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豆満江

20131202

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2010年/中国/1時間30分(中国インディペンデント映画祭で鑑賞)
監 督  張 律(チャン・リュル)
原 題  豆満江
英 題  Dooman River

<あらすじ>
中国、朝鮮の国境である豆満江の中国側には、たびたび脱北者が現れる。少年チャンホは北朝鮮のジョンジンに食料を分けたのをきっかけに、自宅で食卓を囲んだり、遊んだりするようになる。その後深夜突然現れた北朝鮮の青年を家にあげたことで深刻な事態が発生。村では脱北者をめぐる問題が次々と起こったことから、取り締まりが強化される。そんな中、隣村とのサッカーの試合が近づき、チャンホは上手なジョンジンに出場を要請、彼は必ず行くと約束する。

<感想など>(ラストに関するネタバレを含みます。)
トラックの荷台から、人がばらばらと逃げていく。主人公の祖父は、北朝鮮の青年をためらわずに自宅にあげる。姉は家族同様彼に食事を出す。こうした一連の光景が、とてもゆるく感じられた。警戒もせず彼らを助ける村人の姿は意外だ。けれども物語が進むうちに、その背景がおぼろげながらわかる気がしてきた。

チャンホは祖父と言葉が不自由な姉と暮らしている。父は事故で他界、母は韓国に出稼ぎに行ったままだ。質素な生活ぶりだが、対岸に住む人々はさらに過酷な状況下にある。同じ朝鮮語を話しながら互いの国情は全く違う。かつて対岸から嫁いできた老婦人のような例は少なくないのだろう。

子どもたちは対岸との複雑な事情をある程度理解しながら、友達関係を築いていく。チャンホは、大事な家族を傷つけられた腹立たしさを表に出しつつ、友人との約束は尊重する。彼の驚愕、悲憤、そして最終的な行動には、なかなか納得できず、鑑賞後ずっと引きずってしまった。

姉の描いていたつり橋が賑わっている光景を、現実世界で見られる日が来るだろうか、なんて思っているうちにENDとなっていた。

上映後のQ&Aによれば、張律監督が本作を構想したのは制作の10年前だったとのこと。作品の舞台と似た地域で育った監督ならではの、リアルな描写が衝撃的だった。例えば北朝鮮の青年が自国のTV放送を見た瞬間のリアクション。出された食べ物をじっと見つめてからかきこむ動作。飢えを経験したことのない者、追われたことのない者には想像もできない光景だと思う。

キャストは、村長と豆腐屋の女将をのぞきすべて地元の人とのこと。存在感の大きい祖父も、豆腐屋の女将にビンタを食らわした村長の妻も、そのほか酒におぼれる男たちも、迫真的な演技で素人には見えない。特に主人公の少年は目力が強く、彼の悲しみが心に突き刺さるようだった。

確かに、監督の言うように寒々とした作品。それは考えさせられることが多い、ということだ。

ティエダンのラブソング

20131014

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2012年/中国/1時間31分(しんゆり映画祭で鑑賞)
監 督  郝 杰(ハオ・ジェ)
原 題  美姐
英 題  The Love Songs Of Tiedan
出 演  馮 四(フォン・スー) 葉 蘭(イエ・ラン)
     葛 夏(グー・シア) 馮 雲(フォン・ユン)
     杜煥栄(ドゥ・ホアンロン)
<あらすじ>
1960年代半ばの中国。8歳のティエダンは隣家のメイおばさん(葉蘭)に恋心を抱いていた。しかし文化大革命で民俗歌謡劇の「二人台」が禁止され、歌い手のメイは家族と共に村を去ってしまう。

時がたちメイ(杜煥栄)一家が帰郷。ティエダン(馮四)とメイの長女(葉蘭)はたちまち恋仲になる。ところが彼女は内蒙古への嫁入りが決まり、ティエダンは半狂乱に。彼はメイの二女(葛夏)と強制的に結婚させられるが、ある夜「二人台」に飛び入りしたのをきっかけに一座に加わり、彼女をおいて村を出る。

実力を買われたティエダンは副団長に昇進。そこへメイの三女(葉蘭)が親の反対を押し切ってオーディションを受けにくる。

<感想など>(ラストに関するネタバレを含みます。)
劇場でもらったチラシに「さながら中国版『モテキ』」とあった。では主人公ティエダンはモテ男か?と、先入観を抱いて鑑賞開始。最初の、隣のお姉さん(?)メイとのやりとりには、あやす、あやされる、の関係性を越えた、濃密な妖しさが漂っていた。

その後彼は、メイの長女、次女、三女と、それぞれ違う形で関わることになる。女形フーフーとの関係も見逃せない。(笑)言葉の不自由な次女との結婚は、当初は先行き不安だったけれども、やがて娘が生まれ、幸せな生活を想像させるところで物語は終わる。メイの血は確実に後世に受け継がれていくのだ。ティエダンの原点がメイにあることを意識させる演出、構成は興味深い。

そんな彼の女性遍歴(笑)と並行して描かれているのが「二人台」の歴史だ。
「二人台」とは中国西北部に伝わる民俗歌謡劇。男女の掛け合いで物語が展開する。前半で、メイとティエダンの父が舞台で歌う場面からは、身近な人々の娯楽、という雰囲気を感じた。また、幼少時から父が歌う姿を見て育った彼は、歌が生活の一部になっている。切り立った崖に感情の塊が突き刺さり、跳ね返るシーンは圧巻。青年期にはすでにプロ並みの実力を持っていたようだ。

やがてティエダンは旅回りの一座に加わる。人々が、去っていく旅役者たちを追うシーンから、各地で絶大な支持を集めているのがわかる。こうして興行収入を上げていった一座は劇場を構え、オーディションで役者を集めるまでになる。現代の劇団の形といえるのだろう。

メイへの憧れと別れ、長女との密な関係と別れ、二女との結婚生活、三女の猛烈なアタックと義兄としての対処。劇団の発展にともない、彼自身も成長していく。見た目は決してイケメンではないが、彼は子供のころから女性の心を惹きつける何かを持っていたのだろう。それは父から受け継いだものかもしれない。ねじ伏せられても、理不尽なことがあっても、彼は自分の歌を貫いて生きてきた。そうした人々の紆余曲折を経てきた「二人台」。生の舞台を観たい思いにかられる。

上映後は東京フィルメックスプログラムディレクターの市山尚三氏を迎えてのトークイベントが行われた。まず、葉蘭が、若き日のメイ、長女、三女の三役を演じたと聞いてびっくり。さすが女優さん、それぞれ全く違うキャラクターだった。予備知識がなくてよかった。また、ティエダンを演じた馮四は年齢設定に無理はあるが、「二人台」のプロであることを優先してキャスティングしたとのこと。これは成功と言えるだろう。20代にはさすがに「アレ?」と思ったが、最後の方は年相応に近づいて味が出ていた。

本作は昨年の東京フィルメックス映画祭で上映され、今回は2回目。中国での上映は今月18日からとのこと。諸事情で本国での上映が遅れたらしい。昨年の同監督による『独身男』も面白く、今後の郝杰監督には期待大!!中国の伝統的な芸術や習慣、人間模様を扱った作品を是非観たい。

ラスト・シャンハイ

20131009

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2012年/中国/1時間59分(劇場で鑑賞)
監 督  王 晶(ウォン・チン)
原 題  大上海
英 題  The Last Tycoon

出 演
周潤發 (チョウ・ユンファ) 黄暁明 (ホァン・シァオミン)
洪金寶(サモ・ハン) 呉鎮宇 (フランシス・ン)
袁 泉(ヨランダ・ユアン) 袁莉(ユアン・リー)
辛柏青(シン・バイチン) 高 虎(ガオ・フー)
倉田保昭  莫小棋(モニカ・モク)
童 菲(キミー・トン) 馮文絹(ジョイス・フォン)

<あらすじ>
20世紀初頭の江蘇省。青果店で働く成大器(黄暁明)は京劇役者を目指す葉知秋(馮文絹)と将来を誓い合っていた。ところがトラブルに巻き込まれた彼が牢獄に監禁されている間に、彼女は北京へ引っ越してしまう。国民党の茅載(呉鎮宇)が出した交換条件により脱出した大器は、上海へ移り住んで青幫の大ボス洪(洪金寶)の配下に入る。

1930年代半ば。大器(周潤發)は上海の裏社会を牛耳る立場にあった。そんな彼に、国民党の将軍である茅が、地下組織員のリストを要求する。ターゲットはかつての恋人知秋(袁泉)の夫。大器は知秋と再会する。

<感想など>
上海に君臨する主人公が、周潤發、黄暁明のダブルキャストと聞けば、かのドラマ、上海灘を想わずにはいられない。黄暁明が周潤發の物腰を研究し尽くした話をいろいろな評で読んだが、今回もドラマ同様なりきっている黄暁明が堪能できる。

主人公の青年期、壮年期がある一線で切り替わるのではなく、時系列が前後するので、周潤發と黄暁明をかわるがわる楽しめた。嬉しいことに、この切り替えに違和感は全くない。役を離れたら全然違う二人なのに、ここでは同一人物にしか見えないのである。おそらく黄暁明が周潤發の声を吹き替えていることもその背景にあるのだろうが、一方で周潤發もまた、黄暁明を意識しているのではないだろうか。二人が歩み寄って一人の人物を作り上げているように見えた。

そんな二人とがっぷり四つに組むのが呉鎮宇と洪金寶。呉鎮宇はとことん悪を極めた嫌われ者。洪金寶は終盤で、今までに見たこともない無様な格好を披露する。この突出した二人がいるからこそ、見ごたえある物語になったのだと思う。それから、大器に忠義を尽くす林壊(高虎)にも注目!だ。時に裏切り者か?と疑いたくなる眼差しと行動の果てが、強烈な印象で残る。中国ドラマでおなじみの役者さんで、地味ながら癖のある役柄が好き。

女性陣が添え物的なのは上海灘と変わらない。黒社会の女性の描き方については、モノ扱いされたり、はかなく散っていったりする印象が強いので、あまり好きではない。ただ最後、舞台役者の眼差しで事が進むシーンは緊張感があって、観客同様拍手したくなった。

二女性の間に立つ成大器の最後の行動には胸がしめつけられる。やっぱりそれしかなかったのか…。

ラストシーンの余韻を引きながら迎えるエンドロール。流れる張學友の歌が切なくて切なくて、観終わってだいぶたつのに、私の胸の中ではまだエンドロールが流れている。

鉄西区 第3部 鉄路

20130520

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2003年/中国/2時間10分(劇場で鑑賞)
監 督  王 兵(ワン・ビン)

<内容・感想など>
本作上映前にトークショーがあると聞いて出かけた。講演者は1931年生まれの澤田武彦氏と1935年生まれの天野博之氏。最初に天野氏から、中国東北部の歴史的背景について、丁寧に作られたレジュメに沿った話をお聞きした。話題は主に満鉄(南満州鉄道株式会社)設立から経営にいたる過程で、設立当初政府が乗り気ではなかったという事情は意外だった。

次に鉄西区で小学校時代を過ごしたという澤田氏から当時の街の様子をお聞きした。本作に映る街は当時と変わらないところが多いが、撮影から10年以上たった現在の状況をグーグル・アースで見ると、様変わりが激しいとのこと。それは中国全体の変化ということでもあるのだろう。この年代の方々の話が聞ける、貴重な機会だった。

本作では、主に2000年から2001年までの、瀋陽鉄西区を走る鉄道と周りの人々が映し出される。かつて工場の最盛期には多忙を極めていた鉄道だが、この時期にはほとんど役割もない。生活の基盤を失った鉄道員たちは、線路付近での鉄くず売買で一時の糧を得る。休憩所でたわいもない話をしたりゲームに興じたりする姿には、退廃ムードが漂っていた。彼らの多くは1960年代生まれ。教育を受ける年齢がまるごと文革と重なることから「文革っ子」と自分たちを称し、大学なんて行けるわけがねえ、と吐き捨てる姿が眼に焼きついて離れない。私は彼らと同年代だ…。

中盤からは、一組の父子の話が中心となる。鉄道休憩所に時々顔を出す年配の男性と17歳の息子は、許可のない狭い空間に住んでいる。あるとき父親が泥棒の罪で捕えられ、釈放までの約1週間、息子は不安を抱えて待ち続ける。家族写真を一枚一枚見るうちに、彼の目に涙があふれ、とめどなく頬を伝う。そしてついに父親と再会。食堂で酔いつぶれた少年は、父親に謝るかと思うと体当たりするなど、抑え込んでいた心が一気に爆発。小さな父が大きな息子を背負う姿にはこちらも涙…。

ああ、これはドキュメンタリーなのだ、とあらためて思った。

本作では「東方紅」マークの機関車がガタゴト走る風景が、自分的にはとても楽しめた。電車の一両目に乗って、果てしなく続く(と思っていた)線路を飽きもせず眺めていた幼少期に返った気分である。あのころと違い、この線路はすぐに終点に来てしまうのが残念ではあるが。汽車は踏切に差し掛かると減速、踏切係員が遮断機のそばで車や通行人を止めているが、そこを突っ切る車も何台かあって、ヒヤリとした。いつの間にか自分も乗っている感覚になっていた。連結場面の振動が伝わってきたときに、その場面をぜひ観たい、と思ったら実際最後の方で見せてくれたので、嬉しくなった。

130分という上映時間は、第1部の240分、第2部の175分に比べると短いけれど、やはり鑑賞後の疲労は大きかった。未見の第1部は、今回もお預けになりそうだ。

我らが愛にゆれる時

20121209

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2007年/中国/1時間55分(レンタルDVD)
監 督  王小帥(ワン・シャオシュアイ)
原 題  左右
英 題  In Love We Trust
出 演  劉威葳(リウ・ウェイウェイ) 成泰燊(チェン・タイシェン)
     張嘉譯(チャン・ジアイー) 余 男(ユー・ナン)

<あらすじ>
メイ・チュー(劉威葳)は夫シエ(成泰燊)、娘ハーハーと幸せに暮らしている。ところがある日、ハーハーが白血病で、早急に骨髄移植か臍帯血移植をしないと余命わずかと判明。実はハーハーは前夫シャオ・ルー(張嘉譯)との間の子。メイ・チューもシャオ・ルーも骨髄が不適合だとわかったとき、彼女はある決断をする。それは前夫との間に子をもうけ、臍帯血移植でハーハーを救うことだった。シャオ・ルーの再婚相手ドン・ファン(余男)は当然のことながら難色を示すが、人工授精に同意する。しかしこの人工授精が無理とわかったとき、メイ・チューは更に一つの決意をする。

<感想など>
奇跡の連鎖がモラルを超えた…。
という言葉が思わず口をついて出たが、心中は複雑だった。メイ・チューの申し出に対し皆が激しい拒否反応を示したときは、自分も同様の気持ちになり、暗黒の結末しか思い浮かばなかった。しかし、にっちもさっちもいかない―左右為難―状況下で、彼女の決断を後押しする要素が見えてくると、この選択もアリかと思えてくる。

その要素の一つが、わずか5歳のハーハーが、自分を取り巻く状況を、ある程度理解していること。彼女は自分が治らなければ両親が悲しむのがわかっている。その上、面会に来た<おじさん>が実父であること、その父の手に自分の命がゆだねられているのも察している。そして、血のつながらない父のあふれるほどの愛に応えることが皆の幸せにつながると、無意識的に感じている。だから実父に「生きたい」と言ったのだ。シエが彼女のことをしきりに「いい子だ」と言うが、「いい子」を超え「天才」ではないか。子役は泣かせる演技をするわけでもなく、あくまで「脇役」の立場。でも物語の根幹をつくっているところが絶妙だと思う。

メイ・チューの再婚相手シエは、存在そのものが奇跡だ。娘の看病のため、仕事を在宅業務に切り替え、不動産会社勤務の妻を支えて食事も作る。妻の決断に対し、苦しみながらも結局は後押しする立場となる。(信じられん!!)どんな過程でこういう人格が出来上がるのか、そちらの方に興味がわいた。辛くなるといつもたばこを買いに行くその姿に切なさがにじみ出ていた。

客室乗務員のドン・ファンが、搭乗中の故障で「ハーハーが思い浮かんだ」のも何かの因果だろうか。その前に彼女がシエの家を訪問すること自体ちょっと信じがたいのだが、夫への愛情が深く、元々常人よりも慈悲深い人であると考えれば、そう不思議なことでもない。彼女もまた存在そのものが「奇跡」の人だ。

「左、右」というつぶやき、高層住宅群を背景に左右に向かう高架鉄道、真紅のシーツ、双方の妻が着ていた真っ赤なセーター。象徴的な場面にその意味を問いたくなったが、解釈の必要はないとも思えた。役者たちの演技とともに、視覚的効果が印象的。

両家族の未来に多少の明るさが見える結末で、救われる思いだった。実話に基づいているときいて驚いたが、その現実がよい結果だからこそ生まれた映画だと信じたい。

鉄西区 第2部:街

20121202

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2003年/中国/2時間55分(『中国映画の全貌2012』で鑑賞)
監 督  王 兵(ワン・ビン)
原 題  鉄西区
製 作  珠 珠(ズゥ・ズゥ)

<内容・感想など>
第1部、第3部未見での鑑賞。舞台は中国東北部の鉄西区と呼ばれる工業地帯で、10年も前のドキュメンタリーである。冒頭の宝くじ販売のシーンは、新たな時代の到来を感じさせながら、不安もよぎる。家電をゲットした一人の男性は、威勢のいい販売員のインタビューに対し、10年以上無職だと平然と言うのだ。喜びを表すそぶりも控えめだ。ほどなく、にぎわっていた広場は、荒涼とした空地になってしまう。その次からが主題となる内容なのだが、なぜかこの冒頭シーンが一番印象に残っている。

『艶粉街<イェンフェンジェ>』の名に聞き覚えがあり、随分前に艾敬<アイジン>のCDアルバム『艶粉街の物語(艶粉街的故事)』を買ったのを思い出した。この中では、彼女が育った艶粉街が、透き通った歌声で語られている。「大人たちは生きていくので精いっぱい」というくだりは、時代は違っても今回の映像とだぶるところがある。「ここにもビルがつぎつぎに建つのでしょうか」という歌詞は、まさにこの作品で問われている内容そのものだ。

もう一つ思い出すのが、数年前に鑑賞した『北京の自転車』である。オリンピックを前に北京の古い街並みが解体される中、大人の期待をよそに遊び暮らす高校生の姿が印象的だった。あのときの高校生が、今回の「その日暮らし」的な若者と重なって見える。国の描く明るい未来が、国民にとっては必ずしも明るくならない、という矛盾を描いた点で共通していると思った。

さてそうした若者たちである。10代後半の子どもたちが、毎日つるんで遊びほうけている。部屋でゴロゴロしたり、ナンパに夢中になったり、あるいは喧嘩したり…。時間の無駄遣いをしているようにしか見えない子がたくさんいる。父親世代に無職の人が多い現状で、彼らに仕事を探せというのは無理難題なのかもしれない。そんな中、再開発計画のもと、移住の強制、建物の取り壊しが行われる。移転費用に納得のいかない住民は立ち退きを拒否、電気も止められた中で苦しい生活を強いられる。

3時間近い上映時間のほとんどは、曇り空の下に広がる埃っぽい街並みや住居、人々の苦しそうな表情、動き、訴えなどで占められている。ドラマティックな展開があるわけでもないのに見入ってしまうのはなぜだろう。事実の重みに引き寄せられるからだろうか。人々の絶え間ないせきが、鑑賞からだいぶたった今も耳について離れない。

機会があれば今回見逃した第1部、3部を観たい。今回10年も前の映像が古いとは思えなかったのだが、果たして今後、どんな印象を持つだろうか。その前に実際に「鉄西区」という場所、<艶粉街>をこの目で見てみたい。

ニエアル

20121123

nieer (2)

1959年/中国/1時間55分(『中国映画の全貌2012』で鑑賞)
監 督  鄭君里(チョン・ジュンリ)
原 題  聶耳
英 題  Nie Er
出 演  趙 丹(チャオ・タン) 鄧 楠 (ダン・ナン)
     江 俊(ジアン・ジュン)孫永平(スン・ヨンピン)
     張瑞芳(チャン・ルイファン)

<あらすじ>
1930年代の上海。19歳のニエアル(趙丹)は荷運びをしながら音楽を志していた。やがて歌舞団にバイオリン奏者として入団、同郷の友人鄭雷電(張瑞芳)と再会する。彼女を通して共産党の地下工作者スーピン(江俊)と知り合ったニエアルは、以後、抗日戦争、国共内戦の激動の時代を、革命音楽の活動をしながら生きる。ソビエトへの留学に出発する直前、彼は『義勇軍行進曲』を書き上げた。

<感想など>
主人公は中国国歌の元になった『義勇軍行進曲』を作曲した人物。曲自体は一時期毎日のように聴いていたが、作曲者については全く知らなかった。ソビエト行の途中立ち寄った日本で遊泳中水死し、暗殺説もあるが、詳細は不明とのこと。

さてこの曲、特に好きというわけでもないが、何度も聴くうちに耳について離れなくなる。「起来!」、「前進!」という歌詞に、「いけいけ!どんどん!」と背中を押されている気持ちになる。それはその時の気分にもよるのだろうけど、人の心を高揚させるエッセンスが入っているような気もしてくる。

実は鑑賞中うとうとしてしまい、細かい感想を書けないのがつらいところ。ちょうど、ニエアルが革命活動を始めようとしている肝心な部分があやふやである。でも、青年が感化され、一途に突き進んでいくさまは、強烈な印象で残っている。フランスに国歌『ラ・マルセイエーズ』があるように、中国にも勇壮な国歌が必要という要請から、ニエアルは一気に曲を書き上げる。

人物、物語の双方がまさに、『義勇軍行進曲』そのものだ。誇張された台詞や舞台劇のセットのような背景に違和感をおぼえる時もあったが、制作側の意図ははっきりと伝わってくる。さきの『白毛女』同様、恐れを知らないポジティブな人物が、国策映画には不可欠ということがわかる。

今度、鵠沼海岸にあるというニエアルの碑を見に行こうかと思う。

白毛女

20121120

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1950年/中国/1時間51分(『中国映画の全貌2012』で鑑賞)
監 督  王 濱(ワン・ビン) 水 華(シュイ・ホァ)
英 題  The White Haired Girl
出 演  田 華(ティエン・ホァ)張守維(チャン・ショウウェイ)
     李百萬(リー・バイワン)陳 強(チェン・チアン)

<あらすじ>
舞台は1930年代の貧村。喜児(田華)は父揚白労(張守維)と二人暮らしで、恋人王大春(李百萬)との結婚を控えていた。ところが喜児を見初めた地主の黄世仁(陳強)が、彼女を借金のかたにする証書を揚白労に無理強いし、揚は絶望のあまり自殺。喜児は黄世仁に連れ去られ彼の子を身ごもる。やがて黄の屋敷を脱出した喜児は生まれた赤子を捨て、洞窟で暮らすようになる。髪は真っ白になり、時々出没するその姿は、周囲から「白毛仙女」と恐れられていた。そんなある日、八路軍に参加していた王大春が偶然彼女を発見。悪徳地主は成敗され、喜児と大春はようやく一緒になれたのだった。

<感想など>
主題歌『北風吹』がめちゃめちゃ懐かしい。NHK中国語講座のテーマソングで、毎日のように聞いていたからだ。そして、中国映画鑑賞のきっかけが、かの国を知ることだったのを思い出した。こうした国策映画はそんな動機に即座に応えてくれる。中国語を勉強し始めた時に観たかったなと、今さらながら思った。

主演の田華は先日の『老人ホームを飛びだして』にも出演、そこではほんものの白髪だった。(笑)デビュー間もない頃と現在の両方を続けて観ることができて、得した気分。さて、本作の喜児は薄幸な役柄とはいえ、どんなに辛い状況下でも自分を奪った悪徳地主に強く反発する。普通の子だったら、あきらめてしまうところだろうが、彼女は先輩格の女性を味方につけ、彼女の尽力で見事脱出。少女だが貫禄が漂い、先日の映画でちらりと見た、堂々とした彼女と重なるところがあった。

国民党支配下の旧社会をとことん悪辣に描き、これを打破する革命勢力を力強く見せる。最後にはやや違和感があったが、共産党の勝利をうたうためには、やはりハッピーエンドでなければならないのだろう。年月がたっているにもかかわらず二人が昔のまま、というところには突っ込んではいけない。(笑)共産党賛美の軸が強靭で全くぶれないところに、政治色を強く感じた。

ところで、本作鑑賞前は、『白毛女』から連想するのがレスリー・チャン、ブリジット・リン主演の『キラー・ウルフ』で、物語自体も悲恋以外の何も思い浮かばなかった。だから本作でもどちらかが死んでしまうものと思い込んでいたのだった。最後の「違和感」はそんな思い込みから生じたのかも知れない。今の時代に『白毛女』を描くとしたら、エンタメ的視点は必須で、濃厚なシーンやら悲劇的結末やら、様々な脚色が想像される。そんな今現在、国策映画を見る、というのがとても貴重な体験に思えるのである。

機会があればバレエもみてみたい。

老人ホームを飛びだして

20121101

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2012年/中国/1時間44分(第25回東京国際映画祭で鑑賞)
           <スペシャルメンション>受賞
監 督  張 揚(チャン・ヤン)
原 題  飛越老人院
英 題  Full Circle
出 演  許還山(シュイ・ホァンシャン) 呉天明(ウー・ティエンミン)
     李 濱(リー・ビン) 顔丙燕(イェン・ビンイェン)
     王徳順(ワン・ダーシュン) 蔡鴻翔(ツァイ・ホンシアン)
     韓童生(ハン・トンション) 田華(ティエン・ホァ)

<あらすじ>
グォ(許還山)が老人ホームに着くと、ちょうど旧友のチョウ(呉天明)を中心に仮装大賞への出場者を選んでいるところだった。天津のテレビ番組出演を目指すのだという。皆は毎日練習に励むが、施設長(顔丙燕)はけが人の続出を心配して猛反対。入居者の家族も同意しない。チョウたちは演目を変更して秘かに練習を再開、ついに職員を騙してホーム外への脱出に成功する。チョウが昔の経験を生かして大型バスを運転し、一路天津へと向かうが、途中彼は倒れてしまう。実はチョウは末期癌を患っていた。彼はこれまで仮装大賞への出演を励みに頑張ってきたのだった。

<感想など>(ラストに関するネタバレを含みます。)
両親が登場人物たちと同年代なので他人ごとではない、と思うと同時に、夢物語のような気持にもなる。「私は誰かの号令に合わせて体操なんてまっぴらごめん」と言う母と、スクリーンの中でにこにこ笑っているお年寄りとは、全く違うように感じるのだ。また、亡き義母は耳が遠かったからか、積極的に外へ出て行こうとしなかった。こうした身近な年配者に比べ、本作品のお年寄りたちはトラブルを抱えながらもみんなで一緒にいるのが楽しそうに見える。そんな様子を、最初のうちは非現実的と思ったが、やがて彼らのパワーに食われ、自分も参加している感覚になっていった。

チョウの強いリーダーシップによって、個性豊かな面々が一つにまとまっていく過程は素晴らしい。マージャンパイの段ボールをかぶり号令に合わせて移動する場面に笑い、参加が危ぶまれる場面では不安になり、彼らが涙を流す時は共に涙し、こちらの感情もフル回転。

バスの中から見える風景にも心を揺さぶられた。一面ひまわりの野原や、草原のパオや、馬が疾走していく場面などが、開放的な気分にさせてくれる。内モンゴルを通って天津へ行く、となると、かなりの距離があるのだろうが、無理だとかなんとか、細かいところは気にせず一緒に旅をしていた。

登場人物一人一人にも興味がわく。
グォを演じる許還山は、ドラマ『大秦帝国』で主人公の父親役だった方。見事な戦いぶりを見せた王が、今回は息子との葛藤を抱えた人物である。背中の筋肉が浮き出るほどがっちりした体形で、声の張りも素敵だ。今後の出演作が楽しみ。

認知症で、チョウを夫と勘違いしている女性(李濱)からは、彼女自身がもつ人間性が感じられた。病気になる前から、心がけや生き方が美しい人なのだなと思う。病気はいつおとずれるかわからないもの、と思うと、もう一度今の生活を振り返ろうという気持ちになる。

チョウの仮装大賞にかける理由がわかったときは、思わず声を上げてしまった。それは周りの観客も同じこと。強い意志を持ち続け、その心意気が周囲に波及し、それぞれが生きる気力をもって生活していく。影響を与え、与えられながらの生活は、たいへんだろうと思う反面、刺激が気力につながるのであれば必要と言えるだろう。自分がその年代になったら…と考える年になってしまった。

多面鏡をイメージした仮装大賞の出し物では、みんな中腰になって動きもそろっている。やはり役者だ。そして最後には最大の仮装が待っている!

「こんなに涙したのは『海洋天堂』以来」という声が聞こえ、自分もそうだなと思った。何しろ途中、涙で鼻が詰まって口呼吸となったせいか、喉がヒリヒリしたのだ。

今回アジアの風部門で観た二作品(『ホメられないかも』と本作)はどちらも素晴らしく、是非一般公開してほしい。また、来年からは観たい作品が休日に上映されますように、と今からお祈りしたい気分。(笑)

ホメられないかも

20121024

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2012年/中国/1時間48分(第25回東京国際映画祭で鑑賞)
監 督  楊 瑾(ヤン・ジン)
原 題  有人賛美聡慧、有人則不
英 題  Don’t Expect Praises

<あらすじ>
小学校を卒業した年の夏。級友のシャオポーが実家に帰ることになり、僕<ヤン・ジン>も同行した。僕は父に「友達の家に寄ってからおばあちゃんの家へ行く」と書置きをして家を出た。長距離バスに乗り、さらに長時間山道を歩いてようやく到着。それから数日間、シャオポーの怖いお父さん、優しいお母さん、弟と共に過ごし、おばあちゃんやおじさん、おばさん、きれいなお姉さんにも会った。早くおばあちゃんの家に行きたいと言っても、そのたびにシャオポーがお母さんに用事を言いつけられ、引き留められる。いったいいつになったらこの家を出られるのだろう。そしてようやくその時が来た。でもいざとなると彼と離れたくないんだな。

<感想など>
面白い!隣の人が盛大に笑うので、自分も周りを気にすることなく笑えた。今まで鑑賞した中国映画の中で、笑った回数ナンバーワン、と断言してしまおう。アニメの挿入も効果的で、子どもから大人までみんなが楽しめる作品だと思う。

ヤン・ジンとシャオポーが対照的なキャラクターだなと思ったら、勉強のできるヤン・ジンが、やんちゃなシャオポーのお世話係ということらしい。小説『山楂樹之恋』や、台湾映画『花蓮の夏』にも、そんな話があったのを思い出す。あちらにはそういう習慣があるのかしら。自分の感覚では、かなり難しい人間関係になりそうで、どの立場にも絶対になりたくない。(と言っても自分がお世話係になる可能性はなし:笑)でもヤン・ジンとシャオポーの場合は、互いに認め合っている様子で、ボケと突っ込みの漫才コンビみたいなやり取りもあり、ほのぼのとした雰囲気だ。

もう一つ興味深かったのは、卒業した日にみんなが紙を引きちぎり、ばらまいている場面だ。ヤン・ジンとシャオポーは教材を古紙としてまとめて持っていき、お金に換えてもらっていた。こういう習慣もあるのかな。

ヤン・ジンにとって、カルチャーショックの一つが、「褒められない」ことだったのかもしれない。小学校では親の職業や勉強で一目置かれていたのに、炭鉱の責任者であるシャポーの父親は、彼をただの子供としか見ていない。ヤン・ジンは父親の問いに対し行政区分をよどみなく答えて対抗心を燃やす。長い夏休みに、自分の育った環境とは全く違うところに身を置き、新たな発見をしたり、自分と比較したり。そんな子ども目線が楽しめる。教訓的だったり、成長物語だったりしないところがいい。

シャオポーの姉のエピソードは、よく考えればとても深刻で、描き方によってはとても辛い印象になりそうだが、ここではどこまでも前向きな展開である。姉の力強い口調には、こちらが励まされた。

興味深い場面を挙げようとするときりがないのでこの辺で。

Q&Aでは、朴訥とした口調ながら思いやりのある監督の人柄がうかがえた。
舞台は山西省。監督自身の思い出も投影されているとのこと。山西省出身の映画監督が多い背景に、ハングリー精神旺盛な気質も挙げていた。

笑いどころの一つが、シャオポーのおじ夫婦が、ダム建設で水没するところにわざわざたくさんの木を植えている場面。木が多ければ賠償額が高くなるから、というのは舞台背景となっている1995年から97年の話で、後になると状況は厳しくなるとのこと。

オーディションで選ばれた子役は飲み込みが早かったが、かえって大人はなかなかOKを出すことができなかったとのこと。確かに子役二人は素晴らしかった。シャオポー役の子は、天性のお笑い芸人、なんて思ってしまった。

帰りに、劇場の外で、監督自ら希望者にポスター(上に掲載されたのと同じもの)を配ってくれた。こんな経験できるなんて幸せ!次の作品も楽しみ!!


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