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上海游記

20110902

著 者:芥川龍之介
出版社: 岩波書店
所 収: 芥川龍之介全集第五巻
刊行年: 1977年12月

本作品は、1921年、芥川龍之介が海外視察員として上海に赴いた時の、いわば見聞録である。同年8月から、大阪毎日新聞、東京日日新聞に21回連載された。

続編とも言われる『江南游記』に比べ、この『上海游記』は全編が暗い。しつこい車夫に対して言った「不要(プーヤオ)」が最初覚えた中国語とのこと。その後も、往来の猥雑な空気や、西洋の俗悪っぽい雰囲気に顔をしかめている様子が伝わってきた。「来たくて来たのではない」という愚痴が聞こえてくるようだ。

芥川龍之介と言えば、中国の伝奇小説をモチーフにした物語もよく知られており、中国文学や芸術、文化に対する造詣の深さをうかがわせる。目の当たりにした風景が「詩文の中国ではない」と、がっかりしたのもよくわかる。降り立ったのが植民地上海であることで、よけいに想像との乖離を感じてしまったのか。同時に彼は中国小説の荒唐無稽な内容に納得したとも語る。とにかく予想不可の土地なのだ。その感覚は現代にも通じると思う。

芥川の舞台に対する観察眼は鋭い。芝居で道具を使用せずに表現する方法は日本とも共通するが、小道具はでたらめであると、相当手厳しい。また舞台裏まで観察して日本のそれと比較する。神経質なまでに汚さ、乱雑さを嫌悪する姿には、読んでいるこちらがピリピリする。

彼はこの地で、反清活動家の章炳麟(章太炎)と、満州国の遺臣鄭孝胥と語る機会を持つ。過酷な状況を乗り切ってきた二人には独特の威厳を感じ、関心を強めたようだ。積極的に会話を進めた状況がうかがえる。もっともこの会談が派遣された目的でもあるのだろう。

上海へ赴いた作家として今思い浮かぶのが、先日読んだ『上海』の著者横光利一と、詩人の金子光晴である。横光の小説が社会不安、格差に目を向けているのに対し、金子の旅行記では、あくまでも自分の気持ちと商売が中心である。また、芥川が汚いものを毛嫌いするのに対し、金子はわざわざそういうところに足を突っ込んでいる。そんな行為は自虐的にも映る。視点は人それぞれだと、当たり前のことを改めて思った。

芥川の「見聞録」は、予定されていたものだ。レールの上を歩いた結果の産物である。これを新聞で目にした読者は限られているのだろうが、はたして「では自分も行こう」と思った人間がどれだけいただろう。横光に上海行きを勧めた理由は、「百聞は一見に如かず」を伝えたかったからか。ともかく芥川は上記二人にとっては先駆者だった。

これからも折に触れ、上海に渡航した作家の文章を読んでいきたい。


上海

20110829

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著 者: 横光利一
出版社: 岩波書店(文庫)
刊 行: 2008年2月

<経緯・内容>
本作の原型は1928年(昭和3年)から3年にわたり雑誌『改造』に発表された三部作である。1932年これを『上海』と題する単行本にまとめ改造社から刊行。1935年に全面改訂して書物展望社から再刊した「決定版」が、本書の底本となっている。小田切秀雄氏の解説によれば、この版では、一章分が削除され、かなり修正されているとのこと。修正前の改造社版も刊行されているようなので、今度目を通してみようと思う。

著者が上海を訪れたのは1928年春の1か月間。国民党の上海南京占拠、二党の分離、済南事件、張作霖爆死事件など、内外の複雑な情勢が前後を取り巻いていた時期である。物語は、1925年(大正15年)に上海で起きたゼネ・スト、五三十事件を中心としている。著者の「自分の住む惨めな東洋を一度知ってみたいと思う子どもっぽい気持ち」という動機が、主人公参木の虚無的態度に大きく反映されていると思った。

<登場人物>
参木:銀行を辞した後紡績会社に就職。芳秋蘭に恋する。
甲谷:参木の友人で材木商。宮子に求婚。
高重:甲谷の兄。紡績会社の人事担当。
芳秋蘭:中国共産党の革命家。
山口:アジア主義者。遺体を医者に売る商売をする。
お杉:娼婦。参木を慕う。
宮子:踊り子。西洋人のパトロンが多い。
お柳:トルコ風呂を経営。
銭石山:お柳の夫。実業家。
オルガ:娼婦。白系ロシア人の元貴族。
木村:競馬狂。

<あらすじ>
参木は、上司の不正に口出しして銀行を退職。そんなときトルコ風呂で、自分の軽いいたずらから雇われていた少女お杉が辞めさせられたため、自宅に泊まらせる。そのとき同宿していた甲谷から貞操を奪われたお杉は、去って身を落としていく。

日本人の間では、共産党の女性革命家、芳秋蘭の噂が取り沙汰されていた。神出鬼没の彼女だが、参木の再就職先である紡績工場で女工として働いているという。ある日、予想された通り工場は突然炎に包まれ、騒乱は周囲に波及して大混乱に陥る。そんな中、参木は芳秋蘭の方に吸い寄せられ、足を怪我した彼女を介抱する。

あるとき、参木は中国人の身なりで市内の視察をするうちに、市街戦に巻き込まれる。その中に芳秋蘭の姿を発見した彼は身の危険も顧みず彼女を追い、窮地に陥る。いつしか彼は彼女に助けられる形で建物の階上へ。芳秋蘭は自らの思想をはっきりと伝え去っていく。

参木は突然襲われ川に投げ込まれるが、板切れに捕まって九死に一生を得る。彼はお杉の元へ向かう。

<感想など>
凛とした芳秋蘭に比べ、男たちは何と精彩を欠いていることか。

主人公参木は、友人甲谷の妹を熱烈に愛していたが、彼女が結婚して気持ちが萎えてしまい、その痛手から今なお立ち直れないでいる。そんな中トルコ風呂でよく見かける見習いの少女お杉を嫁の候補に考えるが、行動には移せない。その後芳秋蘭と出会って恋心が一気に高まり、自分の真実を吐き出そうとするのだが、結局虚無的心境を吐露するに過ぎない。それでも彼女が出没しそうなところを、参木はうろつくのである。一歩を踏み出せないでいる彼が、腹立たしくてならない。

甲谷という人物も複雑だ。彼は踊り子の宮子を好きなのに、参木に紹介しようとする。そして友人、恋人、商売を天秤にかけるのだ。最後には正直に宮子に求婚するが拒否される。足蹴にされても頭を下げ続ける、その姿は滑稽だ。

他の日本の男にも、評価に値する人物は見当たらない。著者の西洋人に対する目も厳しい。お杉にしても、オルガにしても、故国はすでにないに等しい。このように、著者は、植民地を作り出した列強を非難すると同時に、この地に居住する外国人の、漂流せざるを得ない窮状も映し出している。

人々の暗い顔や、川を流れゆく汚物が丹念に描き出されており、そうした状況を読むのは非常につらい。しかしそんな読むに堪えない部分があるからこそ、歴史的事実や人間の生々しさが生きてくるのだと思う。社交場の華やかさや銃撃戦の凄まじさは、魔都上海を象徴する手段として必要不可欠の要素である。しかしそれよりも視覚上負となることがらに重点を置いている点で、説得力のある作品となっている。また芳秋蘭については理路整然とした意見、革命家としての立場は詳しく述べられるが、私的な部分(恋愛、家族、友人など)は描かれていない。こうしたキャラクター設定が、彼女の謎をより深める好結果となった。

ところで話は全く変わるが、上海を舞台とした映画をいくつか(『上海ルージュ』『上海グランド』『ブラッド・ブラザーズ -天堂口-』『シャンハイ』など)見てきたが、いずれも十分満足できる内容ではなかった。一方、当時を描いた小説やドラマには、本書も含め惹かれることが多い。歴史、恋愛、サスペンスをすべて網羅しようとすると、映画の2時間ではなかなか描ききれないということか。と言いながらも、スリリングな展開の本作品が映像化されたら…と、ちょっぴり期待している私である。

今度は、横光利一に上海行きを勧めたという芥川龍之介の『上海游記』を読んでみたい。

For You

20110722



著 者:五十嵐貴久
出版社: 祥伝社(文庫)
刊 行: 2011年2月(単行本は2008年3月)

<あらすじ>
雑誌編集者の朝美は、韓国の若手トップスター、フィル・ウォンの取材を任され、プレッシャーを感じながらも精力的に準備をしていた。そんな中彼女は、一か月前に急逝した叔母の遺品から、古い日記帳を見つける。そこには、30年前の一女子高生の感情がぎっしりと詰まっていた。特に朝美が気になったのは、藤城という男子生徒との恋愛状況だったが、なぜか中途半端のままで終わっていた。

<感想など>
奇数章は朝美を中心とした今の状況、偶数章は叔母冬子の日記で構成される。30年前の世界にどっぷりつかった頭がいきなり現在に引き戻される、という感覚を何度も味わった。日記が書かれた時代は自分の青春時代とも重なり、舞台こそ違うが同じ空気を吸っている気分だった。

冬子は転校してきた藤城に一目惚れに近い感情を抱く。口数の少ない彼と交流する機会はなかなかつかめなかったが、それでも互いにだんだん近づいていく。彼もきっと私のことが気になっているはず。ああ、こういうテレパシーのようなもの、わかるなぁ。(笑)でも肝心なことが切り出せない。そんな冬子のモヤモヤがもどかしい。どうにかしてあげたい、と思う一方で、態度をはっきりさせない藤城には謎が深まるばかり。

叔母がいかに自分に対し親身だったかを思い出しながら、朝美は現在の仕事に立ち向かう。高校時代の叔母と、自分を導いてくれた叔母。まるで彼女が糸を引いているかのように、朝美には予期せぬ幸運がおとずれる。

あまりにも色々な偶然が重なり過ぎて、作られた感じを抱く人もいるかもしれないが、私はかえって嬉しさ倍増、という気持ちだった。すべてはグランドフィナーレへと続く道と思うと、些細な出来事の一つ一つが大事なパーツに見えてくる。亡き叔母の助言が、朝美の生き方に大きな影響を与える結果となったのだが、これもまた運命と言えるだろうか。

最後まで読んでから、もう一度冬子の日記に目を通した。10代で本物の相手に巡り会うこともあるのだ。彼を最後の最後まで愛した冬子。彼女の情熱と独特の哲学は、朝美に引き継がれていくのだろうな、と思った。

輝く夜

20110707



著 者:百田尚樹(ひゃくた なおき)
発 行:講談社(文庫)
刊 行:2010年11月
(単行本は2007年太田出版より『聖夜の贈り物』として刊行)

<内容・あらすじ>
クリスマス・イブの出来事、5編が綴られた短編集。

第一話『魔法の万年筆』
恵子がホームレスからもらった「魔法の万年筆」は、ただの使い古しの鉛筆だった。これで書ける願い事は三つまで。ケーキを食べたい。弟の会社が持ち直しますように。元彼とヨリを戻せるだろうか。そして隣に住む俳優志望の青年の顔が頭に浮かんだ。

第二話『猫』
雅子は派遣先の会社で残業をしていた。憧れの社長、石丸と二人きりだ。仕事が終わって食事しているとき、石丸から正社員で来てくれないかと誘われる。

第三話『ケーキ』
真理子はその夜、20歳という短い生涯を終えようとしていた。しかし突然、全身を蝕んでいたがん細胞が消滅、奇跡的な回復を遂げる。その後彼女はケーキ屋に勤め、そこで知り合った男性と結婚、自営のケーキ屋を切り盛りして豊かな人生を送る。

第四話『タクシー』
私はタクシー運転手相手に5年前の恋を語っていた。旅先で知り合った男性に鞄職人であることを隠し「スチュワーデス」と偽って付き合い始めた。だんだん彼に惹かれ事実を打ち明けなければいけないと思ったとき、その恋は終わったのだった。

第五話『サンタクロース』
和子と賢治は仲の良い夫婦。高校生の長男、望は和子と亡き婚約者との間に生まれた子。その下に賢治との間に生まれた小学生の男の子2人と来年小学校に上がる女の子がいる。和子はその晩初めて賢治に、あるクリスマス・イブの不思議な出来事を話す。

<感想など>
季節外れだがクリスマスまで待っていたら忘れてしまいそうなので書くことにした。冬の光景を思い浮かべ、ひんやり気分を味わいながら、この暑さを乗り切りたいものだ。(笑)

いずれもハッピーエンドと考えていいだろう。しかも登場する男性はみんな紳士的で、女性には都合のいい、かなりできすぎたストーリー展開だ。でも「ありえない!」なんて言う勿れ。こういう奇跡があったっていいじゃないの!普段本を読み返すことはほとんどないが、今回は各物語のハッピーエンドの部分ばかりを何度も読んでしまった。

どの物語にもオチがある。ああ、よかったと思える終わり方だ。
中でも一番驚いたのは第三話『ケーキ』。不幸な生い立ちの女性が努力を実らせて幸せになる。憧れていた医師ではなく、自分を好きだと言ってくれた人と結婚。やがて、老境に入ってから再会した医師が意外な告白をする。何だか夢物語だなと思っていたら想像もつかない結末が待っていた。彼女は幸せだったと思いたい。

第一話『魔法の万年筆』の主人公恵子は、自分よりも人のことを優先する女性。願い事も自分のことではなく、弟の会社の再興と、隣に住む売れない役者の成功を書く。今まで人に譲ってばかりの、損の多い人生だったが、ついに報われる時が来る。しかも相手も幸せになるのだ。幸せが何倍にも膨らんで跳ね返ってきたと思うと、自分のことのように嬉しくなった。

一番好きなのが第四話の『タクシー』。奇跡としか言いようがない偶然の連鎖に「ありえん!」と叫んでしまった。でもこういう体験をした後の人生を考えると「あってもいいじゃん!」とも思う。特に男性の方の執着心が素晴らしい。互いに最初から正直であればとんとん拍子だったかもしれないが、こんなに衝撃的なことは体験できなかっただろう。後悔も、回り道も、この結果ですべて吹っ飛んだわけだ。

クリスマスが近くなったら再読して気分を盛り上げよう!(笑)

世界でいちばん長い写真

20110413

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著 者:誉田哲也
発 行:光文社
刊 行:2010年8月

<あらすじ>
内藤宏伸は写真部所属の中学三年生。親友の洋輔が引っ越してから気の抜けたような日々を送っていた。ある日祖父のリサイクルショップで、カメラと思われる大きな機械が目に入る。早速これを持って従姉の温子と共にミヤモト写真館へ。店主の説明で、この「グレート・マミヤ」は360度パノラマ写真が撮れるカメラだと知る。宏伸は会心作を撮り、それには部長の三好も興味津々。卒業記念イベントで写真撮影をする企画が進んでいく。宏伸は「世界一長い写真実行委員会」委員長として、大掛かりなイベントを取り仕切ることとなる。

<感想など>
「世界一長い写真」のギネス記録保持者、山本新一氏製作の360度パノラマカメラをモデルにしているとのこと。お手製のカメラであることに興味がわく。物語にはその外形や効能が丹念に書かれているが、読んだだけではまったく想像がつかない。できれば写真を挿入してほしかった、と言うのは贅沢な注文だろうか。

主人公はどこにでもいそうな中学生。積極的に動くタイプでではなく、付和雷同型のちょっと気弱な少年だ。そんな主役に対し、周囲の人物たちはいずれも強烈な個性を発揮している。21歳の従姉「あっちゃん」は、ダンスが上手で、物言いがはすっぱな美人だ。写真部部長の三好奈々恵は、責任感が強くリーダーシップをとるタイプ。陸上部の安藤エリカにはミステリアスな魅力がある。さらにインドを放浪するおじいちゃんが飄々としていておもしろい。ただ、写真店の宮本さんは、写真の知識が豊富で現像の腕が確かであること以外はあまり特徴がない。そんな没個性がかえって印象に残る。宏伸は彼らの間を漂流している。

自分が夢中になれるものとの出会い。その偶然を引き寄せる潜在能力が、宏伸にはあったのだと思う。彼自身の積極的なアプローチというより、レールの上に乗せられた結果に見える。けれどもそれは、彼の素直で従順な性格、感動する心があったからこそだ。みんなに引き出してもらった力によって、彼は成功に向かって歩んでいく。

主人公の「僕」という一人称が使われ、物語はつぶやきのような感じで進行。最初のうち愚痴っぽかったのが、だんだん、わくわくする気持ちや緊張感の漲る言葉に変わっていく。そんな過程が楽しめる作品だった。今度は誰かのギネス記録更新を手伝うのではなく、自分が記録保持者になれるように頑張ってほしい、と思わずつぶやいてしまった。

チーム

20110217

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著 者:堂場瞬一
出版社:実業之日本社(文庫)
刊 行:2010年12月

<あらすじ>
城南大学4年の浦大地は、最後の箱根駅伝に「学連選抜」の一員として出場することになった。予選敗退校の実力者から成るこのチームが、10位以内に入れば、次年度予選枠が一校増える。監督は予選会11位だった美浜大学の吉池、チームメイトは東京体育大の山城、港学院大の門脇、東都大の朝倉らだ。浦は吉池からキャプテンを任命され、にわか仕立てのチームをまとめようとするが、なかなかうまくいかない。特に、実力があって自己中心的な山城は、このチームにとっては爆弾のような存在だった。

<感想など>
今年のお正月、初めて沿道から箱根駅伝を観戦した。大学名の入ったゼッケンをつけた選手たちが通り過ぎる中、ふと目についたのが「学連選抜」。後に実況解説でその背景を知ったが、下位だったこともあって、あまり印象に残らなかった。優勝争いやシード権争いが注目の的だったからだ。

はじめはドラマチックな材料があるようには思えなかったが、予想外にどんどん引き込まれていった。前半はメンバーの集合から出場選手の発表まで、後半は本番の2日間だ。選手たちは、予選会で負けたショックを引きずって、走る意義を見いだせないまま「学連選抜」に組み込まれてしまう。そんなバラバラだった一団が、様々な葛藤を経て駅伝の日を迎える。チームの変化が一番の見どころだろう。終盤でおとずれた劇的な変化は、想定内だったが嬉しい展開だった。

主な登場人物は監督と四人の選手だ。面倒見がよく正義感の強い浦、唯我独尊の山城、飄々とした中に情熱を秘めた門脇、実力はあるが経験の浅い朝倉、そしてベテラン監督の吉池。各キャラクターは悪く言えば「ありきたり」、よく言えば「わかりやすい」。特に浦と山城は、同じく箱根駅伝を描いた小説『風が強く吹いている』の人物たちに重なった。山城が初体験の「痛み」により、他者への思いやりを学ぶ場面は、作りすぎの感もある。でも「学連選抜」自体ドラマから遠く、変化に富む素材がどうしても必要なのだろう。コーチ、マネージャー、ライバル、報道者が補佐の役割を果たしている。珍しく恋バナがない、と思ったら女性そのものが登場していないのに気づいた。余計な話はアスリートの身体同様そぎ落とした、という感じだ。

監督の胃痛はこちらに感染してきそうなほどだ。臨場感あふれるリアルな描写によって、自分も同じ景色を見ながら走っているような気持になる。痛みや爽快感までが伝わってくる。だが意外にも選手へのインタビューはほとんどしていないという。作者自身がこのスポーツやコースを熟知しているとしか思えない。

箱根駅伝を目標とした練習の、他種目に与える影響や弊害、学連選抜廃止論など、この競技を取り巻く問題点、社会的側面がたいへん興味深い。純粋な創作部分とドキュメンタリー的な部分とのバランスが絶妙な一冊だと思う。

これから社会に巣立つ若者の物語として、今の季節にピッタリ。未来が開けている展開はやはり気持ちがいい。

来福の家

20110214

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著 者:温 又柔(おん ゆうじゅう)
出版社: 集英社
刊 行: 2011年1月

<内容・感想など>
『好去好来歌』(こうきょこうらいか)と『来福の家』の二編が所収されている。どちらも出自の似た女性を描きながら作風は全く違う。『好去好来歌』にはガラス細工のような危うさが、『来福の家』にはカラリとした明るさが漂う。

『好去好来歌』
楊縁珠(よう えんじゅ)は、台湾人の両親と3歳から東京で暮らしている。高校の授業の一環で大学の中国語の授業に参加した時、後ろの席にいたのが、恋人<麦生>(本名は田中大祐:タナカダイスケ)である。あるとき、麦生は北京留学が決まったことを縁珠に告げる。

主体は楊縁珠だが所々で視点が変わる。それは麦生だったり、祖母だったり、母だったりする。場面の変化が曖昧模糊としているので、時々戸惑ってしまう。主人公の揺れる内面を映すように、文体も展開も夢うつつといった雰囲気を時折感じた。

成長するにつれ、縁珠は日本語だけで会話するようになる。母親は日本語、国語(台湾で使われる北京語)、台湾語をミックスさせて話す。日本では特別視され、台湾では日本人だと思われ、周囲の視線に鋭敏になっていく縁珠。葛藤が彼女の中を逆巻いているように見えた。

「日本人のくせに、どうして中国語を喋るの?(以上引用)」という、麦生に向けられた縁珠の言葉が、自分にも突き刺さった。習った中国語を使いたかっただけなのに。私の中では、彼女を理解しきれないもどかしさと、背景を明らかにしないまま爆発した彼女への憤りが逆巻いた。

本文では「日本人のくせに」にルビがふってある。それまでの過程でも、「ちゃんとした」とか「ふつうの…」がルビで強調されている。この作品を読むまでは気付かなかった何気ない一言が、浮き出してくる。

上品な日本語を使う祖母の世代、「国語」を強要された両親の世代、そしてアイデンティティに揺れる縁珠。物語は縁珠の目を通して中国、台湾、日本の歴史も描かれる。最後に縁珠が、名付け親である祖父の死を悼んで大粒の涙をこぼしたとき、また「タナカダイスケ」の平凡さに気づいたとき、彼女が一歩を踏み出したのだな、と思った。

『来福の家』
許笑笑(きょ しょうしょう)は、台湾人の両親、6歳上の姉と共に東京に住んでいる。大学卒業後中国語の専門学校に入学し、台湾の国語では使われないピンインや簡体字、巻舌音を学習。やがて日本語教師の姉が、小学校教師の瀬戸さんと結婚することになる。

前編『好去好来歌』で、主人公に苦しさを共有できる人がいればいいのに、と思っていたら、本作では姉妹が登場。愛情に満ちた両親と、仲良しの友達、そして新しい家族との交流が微笑ましく、福を分けてもらった気分になった。

言葉遊びの風景が楽しい。笑笑は「エミちゃん」と呼ばれている。幼いころ「名前が二つある」のを羨んだ幼ななじみのサトミちゃんに、笑笑は姉からきいた「もう一つの名前:リミ」を教える。以来、二人はエミちゃん、リミちゃんの仲だ。笑笑が中国語の専門学校で学び始めると、リミちゃんは自分の名の中国語音読みを尋ねる。里実(リー、シー)。よく間違えられる「里美」は「リー、メイ」。こっちの方がきれいな音だ、と喜ぶリミちゃん。これと似たエピソード(名前の文字が「実」ではなく「美」だったら響きがいいのに、と友人が言っていた)を思い出す。

ピンインが喜ばしい発見だったというのも興味深い。音のみだった中国語を書き記すことの喜び。浮き立つような心が文章に表れている。

専門学校の張先生が「台湾の言葉も中国語に変わりないが発音の段階で混乱しないように指導する」と言う。前作の縁珠が、この先生に出会えたらよかったのにと思った。学習者としては、学ぶ意味を明確に理解したいものだ。

終盤、瀬戸さん一家とウェイウェイを招いてのホーム・パーティで、タイトル『来福の家』を実感した。様々な言葉が飛び交い、率直な疑問が投げかけられ、笑いの渦が起こる。<ヅァージャンミェン>の湯気とかおり、みんなの笑顔が浮かんできて、この「来福の家」に一度お邪魔してみたくなった。

オール・マイ・ラビング

20110208

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著 者:小路幸也
出版社: 集英社
刊行年: 2010年4月

<内容>
『東京バンドワゴン』シリーズの最新刊。今回も四季の移り変わりに沿って物語が進んでいく。まずは第1章夏の編。カフェをきりもりする亜美の弟、修平に、恋の噂が立つ。内気な彼を過激に後押しするのが堀田家の面々だ。その堀田家にとてつもないお宝が存在するとの情報を、マスコミが嗅ぎ付ける。危うし、『東京バンドワゴン』!!第2章秋の編は、騒動に揺れる店と、体を張って助ける記者の姿が描かれる。第3章冬の編は、紺が大学講師をやめたいきさつに恩師が絡んでいるというお話。第4章春の編では、病気を克服した我南人の復活コンサートが決定。これを企画したのは、何と曾孫の研人だった。

<感想など>
いつものようにこれまでの話をかなり忘れていたが、語り手である堀田サチが折に触れ昔話をしてくれるので、眠っていた記憶が呼びさまされた。そして毎度のことながら、日本の近代文学をひもとき、古書店街に足を運びたくなるのである。

今回も波乱の連続だ。修平の相手は有名な女優の佳奈。堀田青の名演技が二人の恋を成就させるが、サチも言うように話が出来過ぎている。店の前に本が置かれている話も、百物語も、後で事情が分かると「なあんだ」である。人間関係は複雑だが、事件は案外単純にできている。そんなところが気軽に楽しめる所以だろう。

登場人物は、一見ごく普通の人々である。でも背景をたどると、それぞれが只者ではない。出自、生い立ち、容貌といった特徴が顕著だからか、一人一人の記憶が鮮明に残る。そして皆に共通するのが極度のおせっかい焼きということだ。自分のことはさておいて、人のために奔走する人々が集まっている。少々押しつけがましい気もするのだが、それぞれの性分だからしかたあるまい。日常を描いていながら、実際はすべてが非日常。だからドラマになるのだろう。

対立関係になりそうな面々が一つ屋根の下で暮らす状況には、当の本人たちより読者である自分の方が戦々恐々としてしまう。たいへんだろうなあ、我慢しあっているのだろうなあと。けれども「無理」とか「忍耐」といったニュアンスは感じられない。各々が努力したり譲り合ったりする様子は極めて自然である。子どもたちも、そんな大人たちを見て育っていく。あらためて、大勢の中で生きていくことの大切さを考えさせられた。

最終章は「旅立ちの章」とも言えるだろう。音楽の血を受け継いだ研人、ワールドツアーを控えた我南人が、どんな道を歩んでいくのか。1歳になったばかりの女の子二人がどのように成長するのか。さらに、サチばあちゃんの声を聞ける人物が、紺ちゃんのほかに出現するのか。物語の続きがますます楽しみだ。

佐藤泰志『海炭市叙景』

20110114

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著 者:佐藤泰志
出版社: 集英社
刊 行: 1991年12月

<内容・あらすじ> 
第一章と第二章それぞれ9編ずつ、合計18編から成る小説集。舞台はいずれも海炭市(函館がモデル)とその周辺である。各章のタイトルと簡単なあらすじは下記の通り。

第一章 物語のはじまった崖

1 まだ若い廃墟
兄と初日の出を拝んだ帰り、私はロープ―ウェイで下山したが、歩いて降りると言った兄はいつまでたっても姿を現さなかった。
2 青い空の下の海
彼は彼女との結婚を両親に報告するため帰郷。今連絡船で首都に戻ろうとしていた。
3 この海岸に
満夫は妻子とともに、首都から故郷の海炭市に越してきた。ところが引っ越し初日、家財道具が入ったコンテナはなかなか到着しない。
4 裂けた爪
ガス店を経営する晴夫は、後妻勝子の息子アキラに対する虐待に気づいていた。アキラをプールに連れて行こうと思った水曜日、彼はガスボンベを足に落としてしまう。
5 一滴のあこがれ
淳はこの町に引っ越してきたばかりの中学二年生。今日は学校を休んでデパートに趣味の切手を買いに行くことにした。
6 夜の中の夜
パチンコ店勤務の幸郎はマネージャーから、寮で同室の忍に<隠し事>がないか尋ねてほしいと頼まれる。その日は彼が久しぶりに妻子のもとへ帰る日だった。
7 週末
路面電車の運転手達一郎にとって、今日は特別な日である。娘敏子が出産を控えているからだ。
8 裸足
博がスナックを出ようとしていたとき、背広の男、続いてアノラックを着た男が入店。店じまいだと言うママに後者の男は絡み、背広の男に連れ出される。
9 ここにある半島
悦子は墓地の管理事務所に勤めている。彼女はここのマネージャーと不倫関係にあるがそろそろ終わりにしようと考えている。

第二章 物語は何も語らず

1 まっとうな男
寛二は職業訓練校の寮から自宅に戻る途中、警官に飲酒運転をとがめられているうちに完全にキレてしまう。
2 大事なこと
忠夫の趣味は草野球。同じ市からプロ入りした<彼>をいつも応援している。彼は朝野球での海炭市優勝を目指していた。
3 ネコを抱いた婆さん
トキは市役所から再三立ち退きを迫られているが断固として受け入れようとしない。彼女が飼っている豚には、亡き夫との思い出が詰まっていた。
4 夢みる力
広一は競馬で多額の借金を抱えていた。家には妻子もいる。負け続けて迷った挙句、最後の5千円を賭けた。
5 昂った夜
信子は空港のレストランで働いている。彼や仲間との集まりを控えソワソワしているとき、ロビーから争う声が聞こえてきた。
6 黒い森
プラネタリウム勤務の隆三は、スナック勤めの妻春代の不義を疑っていた。高校生の息子ともぎくしゃくしている。ある晩隆三は、虫捕りの思い出がある森へ行こうと思い立つ。
7 衛生的生活
啓介は職業安定所に勤務している。土曜日の昼過ぎ、彼は歯痛を抱えながら明日展覧会に行くことを考えていた。
8 この日曜日
日曜日、恵子は夫の誠をドライブに誘い出す。<あるもの>を見つけるためだ。
9 しずかな若者
龍一は首都からこの別荘地にやってきた。ここで過ごすのも今年が最後だ。彼は知り合ったばかりの女性と一夜を過ごす。

<感想など>
映画にはたまらなく暗い気持ちにさせられたが、原作の読後は違った。いずれの物語も結論に達していないからか。

例えば、最初の物語で亡くなった兄については、事故なのか自殺なのかが、後の物語の人物たちによって推量される。重い話なのに噂話として聞くとあまりにも軽い。映画よりも、自殺の可能性が低く感じられるのも一因かもしれない。

また、第二章4の競馬にのめりこんでいる男が、最後に賭けた結果もわからない。おそらくまただめなのだろうが、「どうにかなるさ」という雰囲気が漂い、悲壮感は微塵もない。

こんなふうに、どの話も今現在の状況や心境をつぶさに描くことに徹し、後は読者任せだ。物語としての盛り上がりもなく、だからどうなの?と訊きたくなる話ばかりだが、なぜか目を凝らしてみてしまう。すると、心のありようにも、行動パターンにも、既視感をおぼえるのだ。第一章4『裂けた爪』は特殊性を感じる一方、「こんな時に限って…」という苦々しい気持ちが痛みよりも強く伝わってきて共感してしまう。
第二章の2『大事なこと』は、他人にはどうでもいいことだ。でも面白い。好きな野球選手をめぐって熱くなる彼の姿が子供っぽい。こんなふうに草野球に燃えている彼も、近々父親になるのだ。これも映像化してもらいたかった。

映画で不明瞭だった部分が、原作でよくわかったケースがある。
兄妹の物語を観たとき、最初二人を夫婦と勘違いした。二人並んだ距離感、食事を用意するときの妹の仕草、妹の兄に注ぐ視線からそう感じたのだった。原作では、夫婦と間違えられ密かに喜ぶ妹の姿が描かれている。彼女にとってはたった一人の、かけがえのない肉親。兄さえそばにいれば幸せ、という雰囲気が伝わってくる。映画では、谷村美月が原作の妹の気持ちを丁寧に汲んで演じていたのだと思った。

第一章の8『裸足』でアノラックを着た男の背景を知り、映画で理解に苦しんだ彼の行動が、今になってよくわかった。舞台が、表向きはスナック経営、裏で売春斡旋をしている店であること、主人公博が複雑な生い立ちであることが、ドラマに奥行きを与えている。時代や土地柄を説明してもらって初めて理解できる話である。博がアノラックの男をタクシーで送ろうとする場面では、彼が男の気持ちに沿っている様子が伝わってくる。

俳優の顔を思い浮かべながら読んだ話もある。
第一章6『夜の中の夜』。映像化されていない話だ。シチュエーションは違うが「幸せの黄色いハンカチ」を思い出し、主人公には高倉健さん以外考えられなくなった。彼の偽名が「幸郎」、というのも理由かもしれない。服役後、人の入れ替わりの激しいパチンコ屋で激務を続ける渋い中年男は、上司からの信頼が厚く、息子ほどの青年からも慕われる、結局どうなったのだろう。一番知りたいことが想像に任されている。

どの物語も「東京」を強く意識している。しかしその地は「首都」という言葉に置き換えられている。現実的な情景が「首都」の一語でやや非現実的な方を向いてしまう。不思議な感覚だ。

1988年から1990年にかけて文学雑誌に掲載された作品を1冊の本にまとめたとのこと。この後も海炭市を舞台とした物語の構想はあったそうだが、残念ながら途中で作者は故人となってしまった。この一冊がまだ季節の半ばという気もするし、一話完結の物語の積み重ねとも思える。
作者が今も健在なら、どんな話が生まれていただろうか。

ブレイズメス1990

20101225

1990.jpg

著 者:海堂 尊
発 行:講談社
刊行年:2010年7月

<あらすじ>
時代は1990年。東城大学病院に勤務する世良雅志は、ニースで講演する垣谷に付いて渡仏する。彼のもう一つの目的は、佐伯院長の命令により、モンテカルロ・ハートセンター部長の天城雪彦を帰国させることだった。その目的は果たされる。ところが天城の考えは学内の反発を買い、孤立無援状態に。佐伯は世良に、天城の付き人になるよう指示する。天城の心臓外科医としての腕は超一流。彼は桜宮市に『スリジエ・ハートセンター』を設立する前段階として、東京国際会議場に一日限りの手術室を設営し、公開手術を行う。

<感想など>
『ブラックペアン1988』に続く物語。大学内外の凄まじい権力闘争が細かく描写されていて、医療を受ける側としては不安をかきたてられた。

今回の初対面は天城先生。素晴らしい手技の持ち主で、モナコで一目置かれるギャンブラーでもある。彼は、患者の財産の半分を報酬とする契約で手術をするという。他の登場人物同様、医師としてあるまじきこと、と思うのだが、彼は決して悪者扱いされているわけではない。資産を多く持つ者を優先的に助けるという彼の考え方が、未来の医療を熟考した上での論理として説明されているのだ。

天城はまるでスター扱いだ。腕がいいのは当然のこととして、容貌はいいし口も立つ。中東の産油国やモナコの王族と懇意で、途方もない額の金を動かす力を持っている。世良は、そんな天城に対し、言葉に表せない不安を抱く。それがどんなことなのかは続編のお楽しみとなりそうだ。

天城と対立関係にあるのが、講師の高階権太。高額所得者優先を説く天城に真っ向勝負を挑む。先日読んだばかりの『アリアドネの弾丸』で高階院長が被疑者に仕立て上げられたのを思い出した。そのとき、あれ、もしかして天城も登場しているかも?と、もう一度『アリアドネの弾丸』を開いてみた。高階は田口、島津と共にエーアイセンター建設予定地へ行く。通り過ぎたタクシーの乗客を見た高階が「あの人が…いや、まさか」(「」内引用)と、衝撃を受けた様子で語る。その人物が天城ではないかと思ったのだが、具体的な人物情報は書かれていない。エーアイセンター建設予定地には、20年前、心臓外科専門病院である『スリジエ・ハートセンター』建設の構想が描かれていたわけだ。いったいどんな経緯でこの計画は潰されたのだろう。ますます続編が楽しみになってくる。

もう一つ目が離せないのは、世良と看護婦花房との恋物語。前作から互いに恋心を抱いていた両人には後半までやきもきさせられるが、終盤でようやく前進が見える。だけど『ジェネラルルージュの凱旋』での花房の相手は速水であり、それも長い月日を経てのゴールインのようだ。いったい世良と花房はどうして終わり、速水と花房はどのように始まったのか。続編(あるものと思っている)には当然複雑な人間関係も織り込まれるのだろう。

でんでんむしこと碧翠院桜宮病院も焼失前で、双子の姉妹はまだ少女である。この時期はあの小夜ちゃんが桜宮病院で修行していたのではないだろうか。

そしてバチスタ手術の桐生先生が、まだ駆け出しとして初々しく登場。

作品が増えると知った顔も多くなり、架空の世界ながら再会が嬉しくなる。今後は過去を埋めていく作品も楽しみだ。

プロフィール

孔雀の森

Author:孔雀の森
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