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11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち

20120621



2012年/日本/1時間49分(劇場にて鑑賞)
監 督  若松孝二
出 演  井浦 新  満島真之介  寺島しのぶ
     渋川清彦  大西信満  小倉一郎

<感想など>
今回はあらすじを省略。タイトルがそのまま言いあらわしていると思うので。
さて、あさま山荘事件もそうだったが、この事件もまた、当時通っていた小学校で知った。ニュースを聞きつけた担任の先生が教室のテレビをつけ、その時間の授業は即「社会科」に変更。ただ報道を見るだけで、先生からの詳細な解説があったかどうかは覚えていない。でも「三島由紀夫」の名だけは記憶に深く刻み込まれた。

映画解説本(パンフレットに相当)の年表をたどってみた。日本が高度経済成長の階段を駆け上がっていく中、反社会的と言われる事件が多発しているのが見てとれる。当時は、社会経済文化は限りなく発展していくものだと思っていた。政治に対する強硬な反発もあって当然、という感覚だった。振り返れば停滞を知らない世の中だったと思う。思想云々よりも、今は、当時を切り取って表現する意味の方を考えてみたい。

でも結局、映画を観ても、解説本を読んでも、作家三島由紀夫が自決に到った経緯はよく理解できなかった。満島真之介演じる森田が「先生の作品を読んでもほとんどわからない」と告白する場面があるが、その心境の一部はなんとなくわかる。人口に膾炙した作品と、氏の思想背景が結びつかないのだ。

それでも集中力が途切れることなくのめり込んだのは、登場人物のような一直線的な言行が、新鮮に映るからかもしれない。今の世の中、人間をある一定の方向に靡かせる行為が否定的な見方をされる一方で、時にそうした力が求められる場合もあると思う。作品では、監督のカリスマ性によって引き出された生身の人間が、思いのたけをぶつけている。極限まで突っ走ったあとの快感のようなものが、作品には満ちあふれている。この映画制作集団こそ、限界を突き抜けようとする人々の集まりといえるのではないだろうか。

追い込まれた人間を見るのは怖いものだ。いつもぬるま湯につかりきっている身としては、観終わると脱力状態で、足元がふらついた。でも年に一度はこういう経験もいいかもしれない。

五日市物語

20111123



2011年/日本/1時間59分(劇場で鑑賞)
監 督  小林 仁
出 演  遠藤久美子  山佳之  井上純一
     田中 健  尾美としのり  草村礼子

<あらすじ>
伊藤友里(遠藤久美子)は、渋谷にオフィスを構える「あつめ屋」という情報収集会社に勤務している。ある日チーフの黒田(井上純一)から「あきる野市で五日市の情報を集めてくるように」との命令を受け、かの地へ向かう。最初のうち気乗りのしない友里だったが、市役所職員の栗原雄介(山佳之)、油屋旅館の女将、岸トシ子(草村礼子)との交流を通し、また五日市の自然環境の影響を受け、次第に興味を持って取り組み始める。ところがそんな矢先、突然チーフからプロジェクトの中止を告げられ、帰還命令が出る。

<感想など>(完全ネタバレです)
本作品の舞台、旧五日市町が、秋川市と合併して「あきる野市」となったのは平成7年。冒頭に、「あきる野市」が東京都内であることを知らなかった主人公が、チーフと珍問答をするシーンが出てくるが、これを笑えない人は多いと思う。私はたまたまあきる野市宛の手紙を出したことがあるから知っていた。その土地に住む人はこういう問答を聞いたら是非わがまちを知ってほしいと願うだろう。

主人公が、五日市での体験を通して夢を実現させていく、いわばサクセスストーリーである。筋だけ追うと、仕事を辞めても市役所勤務のマメ男をつかまえたからこそ実現できたんだな、と意地悪な見方になってしまいがちだ。実際、最初のうちは、初対面の人に対する馴れ馴れしい態度や、約束の時間を破ってもごまかす姿勢から、印象が非常に悪かった。しかし旅館の女将さんが登場したあたりから、友里の印象が少しずつ変わっていった。彼女に大きな影響を与えたトシ子おばあちゃんこそ、陰の主役と言えようか。

トシ子の祖父がまだ10代だった頃の場面。少女のトシ子が筏乗りの祖父や父を見ている場面。そして初恋の人「しんさん」との思い出の場面。トシ子を取り巻く人々が時間を遡って登場し、五日市憲法の由来が語られると、五日市を知りたい気持ちが強くなっていく。それは話を聞きに行った友里や栗原、中学生たちと同じだろう。そんな一体感が気持ちいい。

「筏乗りになりたい」と言ったトシ子の背中を押した祖父。その時代にあって進歩的だった祖父の意識は、トシ子を通して現代の若者にまで受け継がれている。友里のプロポーズは自然な成りゆきだったが、思い返せば女性から男性に対しての言葉だった。作品自体が、人と人との間の垣根を取り払う役割を果たしているように思えた。

市役所の課長を演じた田中健さんが吹く、ケナフによる主題歌も耳に優しく、作品に対する印象を深めている。

上映後、監督挨拶があったのは、嬉しいサプライズだった。主人公が昔のアルバムを見て「何このおじさん!」と言うが、そのおじさんが監督さんだったのね、と瞬時に気づく。
監督はじめスタッフの多くがあきる野市民、あるいは五日市とのゆかりが深い人々とのこと。出演者についても、プロと素人の間の空気が自然で、手づくり感があふれている。

観終ってから、「わが町秦野も同じ神奈川県民で知らない人がたくさんいるよね」「うちの市もこういう映画作ってくれたらいいのにね」「そしたらエキストラで出ようよ!」などなど、久しぶりに一緒に観た夫と盛り上がったのであった。

あぜみちジャンピンッ!

20110817



2009年/日本/1時間25分(劇場で鑑賞)
監 督  西川文恵
手話演技監修  大橋ひろえ
出 演  大場はるか 普天間みさき 梅本静香
     上杉まゆみ 池田光咲 山中知恵 渡辺真起子
     
<あらすじ>
高野優紀(大場はるか)は聾学校に通う中学生。ダンスチーム〈RIP☆GIRLS〉のDVDを観ながら踊るのが大好きだ。あるとき、同じ年頃の少女たちがダンスの練習をしているところを通りかかり、思わず見入ってしまう。そんな優紀に声をかけたのは、このダンスチーム〈Jumping girls〉のキャプテン、麗奈(普天間みさき)。彼女の計らいでチームに入った優紀は、日々練習に明け暮れ、今までにない充実感を味わう。しかし予想もできない試練が優紀を待ち受けていた。

<感想など>(完全ネタバレです)
障がいが取り上げられている作品の中でも、今回のようにその立場を体感できる機会はなかなかないと思う。周りの音が、遠くの海鳴りみたいに響いてくる。ボリュームをいっぱいに上げた音楽も、かすかな音しか伝わらない。そうした主人公の世界を感じることで、自然に彼女の身になって鑑賞していた。

主人公の周囲には様々な立場の人物がいる。聴力障がいを持つ娘との生活を支える母(渡辺真起子)。聾学校で優紀を慕う後輩。手話のできる健聴者の友達。かつて苛めを受けていた少女。激しい嫉妬心から苛めをする者。それぞれ、優紀との交流を通して自分を見つめ直すようになる。母の場合は、健聴者と共に歩む娘を目の当たりにした後の変化が予想できる。主人公だけでなく、脇役一人一人が鮮やかに描かれている点に、意義があると思う。

ショッピングモールのレストランで働く母は多忙だが、娘が共感できそうな映画のDVDをメールで教えるなど、いつも彼女を気にかけている。ところが保護者面談で娘の変化を担任教師から聞かされ、驚くと同時に不安になる。二人暮らしの母と子は、日中ほとんど顔を合わせていないようだ。すれ違い生活の中で、娘はいつしか自分の世界を持ち始めるが、母は全く気づかない。娘がダンスのことを母に伝えていないのは、母に余計な心配をさせたくない気持ちからか。もし健聴者の母がダンスチームでの一連の出来事を知ったら、どうするだろう。あの気風のよさや、人情味あふれる姿を見ると、案外見守るだけかもしれない、とも思える。子供中心で描かれている中、周囲の大人の心情も知りたい気持ちだ。

聾学校の仲間たちは、つきあいの悪くなった優紀に怪訝な表情を見せる。後輩の少女は、健聴者と交流しているからと、不快感を露わにする。健聴者との間ではコミュニケーションで、また学校の仲間との間では溝ができたことで、彼女は苦しむ。その上一番の理解者である麗奈からは「頼るな」と突き放されてしまう。自分の道を行く途中には、とてつもなく大きな、未知の障壁が立ちはだかっていることを、彼女は思い知らされる。

ダンスのセンターをとられた悔しさから激しい苛めを始める美希(梅本静香)。とてもリアルでわかりやすい心情だ。彼女の子分的存在である野梨子(上杉まゆみ)は、苛めの加担を強いられるが、かつての辛い経験がよみがえってきて辛い気持ちになる。彼女たちの中では、すでに優紀は障がい者ではない。優紀に障がいがあってもなくても、美希にとっては憎きライバルだし、野梨子から見れば自分と同じ苛められっ子だ。日記の回し読み、野梨子の独白、そして田圃での泥まみれと、陰湿な苛めから絆が深まるまでの過程では、思わず涙してしまった。

最後。立ち尽くす優紀のために、メンバーはスピーカーを前に運んだり、彼女の前で踊ったりする。その行為は「助けてあげよう」ではなく「最高のパフォーマンスをしてほしい」という気持ちの表れだと思う。

先週金曜日(12日)の鑑賞で、上映後思いがけず監督さんがご入場。イギリスでの体験を通し、異文化間のパイプ役が貴重だと感じたこと、手話とダンスの類似点に着目したことなど、どの話も興味深い。この日の観客数は10人にも満たなかった気がする。もしかして毎回こうして話をされているのでは?と思ってしまった。次に、私の前の前の席から、高校の制服姿がスクッと立った。何と、それは主演の大場はるかさん!!一緒に鑑賞していたという。手話やダンスを懸命に練習したこと、健聴者として聾者を演じる中で感じたことなど、真摯な気持ちが伝わるコメントだった。撮影から3年がたっているとのこと、映画のあどけない姿とは別人のお姉さんだった。これからオーディションがあるので失礼します、と去っていった彼女には、又いろいろな作品で頑張ってほしいと心から思った。

サプライズがあったせいか、作品の印象がより鮮明に残っている。

亡命

20110615

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2010年/日本/1時間58分(劇場にて鑑賞)
監 督  翰光(ハン・グアン)
原 題  Outside the Great Wall
出 演  鄭 義(ジェン・イー):作家
     高行健(ガオ・シンジャン):劇作家・画家
     王 丹(ワン・ダン):歴史学者
     楊建利(ヤン・ジャンリ):政治活動家
     張伯笠(ジャン・ボーリ):牧師
     胡 平(フー・ピン):政治評論家
     黄 翔(ホアン・シャン):詩人
     徐文立(シュウ・ウェンリー):政治家
     馬徳昇(マー・デシェン):画家
     王克平(ワン・クーピン):彫刻家
     陳邁平(チェン・マイピン):小説家・劇作家

<内容・感想など>
故郷中国を離れ異国での生活を余儀なくされている人々の声を集めたドキュメンタリー。彼らの現在と、1989年の天安門事件、さらにさかのぼって1960年代に始まる文化大革命の映像を織り交ぜながら、祖国とは何か、なぜ「亡命者」が存在するのかを、問いかけている。監督の翰光氏は1987年に来日。日本に拠点を置き、ドキュメンタリー映画を撮ったり、小説を執筆したりするなどの活動をしているとのこと。

まず、アメリカに亡命した鄭義氏の食卓から物語は始まる。ジャーナリストの北明氏は奥さん。「この人は本当に料理上手なの」と話す。15歳の娘さんは「ママは食材を全部一緒に入れちゃう」と、茶目っ気たっぷり。これから壮絶な経験が語られるとは思えない、明るい風景である。

作家として大事なのはその土地に根づいていることだと、鄭義氏は語る。逃走中匿ってくれる人々に迷惑を掛けられないと、亡命を決意した氏の心中は、おそらく波乱を知らない者には理解し切れないと思う。また、文化大革命中の凄惨な出来事には耳を覆いたくなった。

歴史学者王丹氏の顔は、天安門事件当時、新聞でよく見たものだった。針金みたいな細さが、年月を経て骨太な精悍さに変わっている。6年もの獄中生活でも折れない精神、現在も民主化運動に尽力している姿と力強い言動が、心に刻み込まれた。

牧師である張伯笠氏の、旧ソ連への国境越えの話には緊迫感が漂う。判断が少しでもずれていれば命はなかったのだ。普段ピンとこない「命がけ」という言葉が、急にわきあがってきた。

詩人黄翔氏の朗々とした語りや、高行健氏の墨の芸術など、五感を刺激させる演出も印象深い。民主を望む人々の先頭に立つ楊建利氏らの活動も精力的だ。異なる分野にいる人々が、一つの目的に向かい自分自身の手段で訴えていく。その意気込み、熱気がスクリーンの向こうから伝わってくる。

最後もまた鄭義氏と家族が登場。のびのびと育つ愛娘は、両親の過去をどのくらい理解しているだろう。彼女が両親と祖国を見る日は来るのだろうか。彼女のような立場の子供たちはたくさんいることだろう。海外で成長した子供たちは、親の想いをどれだけ受け継いで生きていくのだろうか。そうしたことをいろいろと、とりとめもなく考えていた。

文化大革命、天安門事件を歴史上の一つの流れとしてとらえ、それぞれについての考え方をはさんでいる。そんな展開が、説得力を強くしていると思う。天安門事件から22年たった今年は、新聞紙上に関連事項をみつけることができなかった。今年は国内に報道すべき事柄が多いのもその理由と考えられるが、記憶が遠のいている感も否めない。今なお祖国の民主化に向け尽力している人々がいるのだということは、頭の中に入れておきたいと思った。

まほろ駅前多田便利軒

20110510

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2011年/日本/2時間3分(劇場で鑑賞)
監 督  大森立嗣
原 作  三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』
出 演  瑛太 松田龍平 片岡礼子 鈴木杏
     本上まなみ 柄本佑 横山幸汰 松尾スズキ
     岸部一徳 麿赤兒

<あらすじ>
多田啓介(瑛太)は、まほろ駅前で便利屋を営んでいる。正月早々、依頼先でバスの間引き運転の状況を報告した後、預かり物のチワワが行方不明になって大慌て。近くのバス停へ行くと、若い男がそのチワワを抱いているのを発見する。男は何と、多田の中学時代の同級生、行天春彦(松田龍平)だった。とたんに多田の脳裏に中学時代の苦い思い出がよみがえった。その晩から、行天は「まほろ駅前多田便利軒」に居座ることとなる。

<感想など>
慣れ親しんできた街が舞台となった作品は初めてだ。ほとんどすべての場所が特定できて、まるでドキュメンタリーを観ている気分。また、この日通ってきた西湘バイパスが現れた時は、夫と二人思わず「おっ!」と小さく声をあげてしまった。ついさっき見た風景を、主人公たちの目を通してもう一度見た。貴重な体験だ。

「まほろ」は東京都町田市。「都会でもなければ、田舎でもない」という表現は当たっている。流行や天気予報のことはわからないが、この街に舞い戻りたくなる気持ちはよくわかる。ここから徒歩十分の神奈川県に実家がある。そこに寄ったときは必ず町田にも行く。いつしか財布はこの街のポイントカードでパンパンになった。(笑)バスターミナル付近の電車&大型車のゴーゴー音も、飛行機の爆音も、頭をかきむしりたくなるような騒音に違いないのだが、こうして劇場できいてみると妙に懐かしい。

こんなふうに、映し出される街のことはよくわかっているつもりだが、登場人物についてはなかなか理解が及ばない。便利屋を営む多田も、友人の行天も、自分の子にしては年齢が高く、兄弟にしては若すぎる。境遇も全く違う。自分の側から見ると接点を持ちにくい人々だ。接点ができるとすれば、客になったときくらいだろうか。彼らは様々な人と出会い、偶然とも思えるなりゆきで助けたり、力になったりして、点と点を線で結ぶ。すると、観ている自分ともつながったように思えてくる。やがて物語の主題がだんだん見えてくる。

「やり直せるだろうか」
「愛せるだろうか」

彼らも最初は気づいていなかったのだろう。可能性があっても、日々の惰性や癒えない傷が、希望の二文字を打ち消していたのだと思う。ところが二人は出会ったことで、見えなかったものが見えるようになる。多田も行天も仲良しとは言えない。しかし徐々に互いが不可欠であることに気づく。

補い合うのでもなく、助け合うのでもなく、一緒にいれば楽しいというのでもない。相手の存在によって自分の何かが呼びさまされる、ちょっと不思議な関係の二人である。

台詞も展開も、緻密な計算によって作られていると思う。一つ一つの言葉が意味を持ち、後に続く展開と関連するところに、細かい気配りを感じた。

瑛太、松田龍平の息の合った台詞の掛け合い、間合いも楽しめる。瑛太演じる多田が自分の子を亡くしたいきさつを語るところは迫真の演技で、この時初めて「父性」を考えさせられた。松田龍平のひらひらした走り方もこの人物の生き方を映し出していると思った。この時の彼はふらふらしているようで実はしっかりとした方向性を持っている。

子どもが悪い大人の手先になったり、犯罪の事実をあえて隠したりと、危険な空気が漂う中、真剣に人生を模索する若者たち。あの煙草の煙のように、漂いながら自分の道を探している。道徳的にも、押しつけにもならない展開がよかった。

今町田では「祝公開」にわいている。市民文学館では「まほろ駅前多田便利軒」展が開かれ、ロケ地の地図が配られている。アンケートを書いてくじを引いたらエコバックが当たった。(嬉)
そんな映画以外のあれこれも、作品への好印象につながっている。

海炭市叙景

20101227

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2010年/日本/2時間32分(劇場で鑑賞)
監 督  熊切和嘉
原 作  佐藤泰志『海炭市叙景』
出 演  谷村美月 竹原ピストル 加瀬亮
     三浦誠己 山中崇 南果歩 小林薫

<内容・あらすじ>
海炭市(モデルは函館市)を舞台としたオムニバス作品。
兄妹(竹原ピストル、谷村美月)は二人肩寄せあって生きてきたが、兄は勤務する造船所を人員整理のため解雇されてしまう。元旦に初日の出を見た後、妹はロープーウェーで下山し、兄は徒歩で麓へ向かう。

老女の周囲の家はすべて地域開発のため立ち退いて、彼女の家だけが残っていた。市役所に勤める甥(山中崇)が説得に訪れるが、彼女は頑として聞き入れない。

プラネタリウムに勤める夫(小林薫)と水商売をする妻(南果歩)は危機的状況にある。一人息子は親とほとんど口をきかない。ある晩、夫は妻の勤務先の近くに停車して、彼女が出てくるのを待つ。

父のガス店を継いだ若社長(加瀬亮)は仕事がうまくいかず、再婚した妻に当たり散らしていた。妻は夫の不倫を知り、夫の連れ子に暴力をふるう。

路面電車の運転手は、仕事中息子(三浦誠己)の姿を見かける。息子は東京から出張で故郷に来ていたのだった。父子にはわだかまりがあって長い間顔を合わせていなかった。

<感想など>
原作者は、芥川賞に5回ノミネートされながら受賞は果たせなかった佐藤泰志。劇場ロビーに貼り出された関連記事には、作者の不遇だった人生と、映画の沈んだ背景が書かれてあり、読んでいくうちに暗い気持ちになっていく。

そんな予備知識通りの作品だった。
兄妹が拝んだ初日は赤いけれども明るく見えない。老女は甥からたばこの吸い過ぎを注意されても、長生きしたくないと、投げやりな様子。プラネタリウムの星空はきれいだが、彼が住む家は薄汚い。ガス店社長の暴力と妻のとがった態度には身震いした。路面電車運転手と息子はどことなくよそよそしい。未来へ歩みだしている人もいれば、絶望の淵に漂う人もいる。この映像に何の意味があるのか、と思いながらも、つい引き込まれてしまうのが不思議だった。

小林薫、南果歩、加瀬亮といった実力派から、演技が初めてという役者まで、バラエティに富んだ顔ぶれだ。そんな彼らが紡ぎだしているのは、日常のありふれた会話や仕草である。特にバーの女性たちのおしゃべりは実に自然で、とても台詞には聞こえない。路面電車の行先表示や停留所、商店の看板を眺めているうちに、自分がその街角に立っているような、リアルな感覚を呼び起こされた。

2時間半余り暗闇をさまよっていた気分。すべてが淡々としていて、気がつけば終わっていた。内容は不幸95パーセント、未来への希望5パーセント。このたった5パーセントでかなり救われた気持ちになった。今度原作を読んでみよう。

武士の家計簿

20101212

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2010年/日本/2時間9分(劇場にて鑑賞)
監 督  森田芳光
原 作  磯田道史『武士の家計簿』
出 演  堺 雅人  仲間由紀江  松坂慶子
     中村雅俊  西村正彦  草笛光子
     伊藤祐輝  嶋田久作

<あらすじ>
江戸末期。猪山直之(堺雅人)は、御算用者(会計処理の専門家)として代々加賀藩に仕えてきた猪山家の8代目。確かな技術を持ち、その仕事ぶりは「そろばんバカ」と言われるほどだ。やがて彼は、剣士である西永与三八(西村正彦)の娘、駒(仲間由紀江)と結婚。猪山家の財政事情が苦しくなると、家財を売って金に換え、自ら家計簿をつけ始める。直之は息子直吉(後の成之)にも御算用者の道を歩ませようと、4歳から帳簿つけや算盤、論語を教える。

<感想など>
武士の中でも「御算用者」は決して華々しい存在ではないのだろう。しかし黙々と算盤をはじく羽織袴姿が並ぶ光景からは、今までスクリーンで観たことのある「武士」とは違った緊張感がうかがわれた。特に主人公の不正を追及する姿勢、突き抜けたプロ意識は、現代人が見習うべき後姿とも受け取られる。

大きな山場はないが、のほほんとした雰囲気が漂う、心地よい作品だった。新婚の駒をやさしく包む空気は、個性豊かなメンバーが作り出しているのだろう。手堅い仕事をする父信之(中村雅俊)には度量の大きさがうかがえ、ふくよかな母常(松坂慶子)のお茶目な面は笑いを誘い、おばばさま(草笛光子)の算数好きな姿はかわいらしく映る。おばばさまから常へ、常から駒へ、そして駒から息子成之(伊藤祐輝)の妻政(藤井美菜)へと、人間関係を円滑にする大切なものが受け継がれているのを感じた。

主人公直之は今でいう「仕事人間」である。新婚の晩には新妻そっちのけで婚礼費用を計算。家の財政がきびしいとわかると、再建のため家族にお宝を出すよう迫る。母はお気に入りの着物を抱えて嘆くが、直之は情けをかけず冷静に対処。さらに直吉には御算用者になるためのスパルタ教育を課す。直之に算盤のない日はない。信之の亡くなった晩まで葬式費用の計算をする直之に向かって、幼い直吉はその「算盤バカ」ぶりを非難する。しかしそんな直吉も、やがて「経理のスペシャリスト」に抜擢されるのだ。父と息子の葛藤と、何年もたってからの和解が、胸に響く。

安心して観ていられる物語。でもどこか物足りない。笑わせる部分もあるが、もっとエンターテイメント性があったらと思ってしまう。直吉が母駒の父(つまり祖父)を「与三八(よさんぱち)!」と呼び捨てする場面では、この2人のつながりも知りたくなった。剣士の娘駒が剣を握ったら、算盤をはじく場面がもっとリズミカルだったら…と、希望がどんどんふくらんでいく。ただ、原作があり、実在の人物を扱っているから、逸脱はできないのかもしれない。

今度原作を読んでみよう。

悪人

20100920

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2010年/日本/2時間19分(劇場で鑑賞)
監 督  李相日
原 作  吉田修一『悪人』
出 演  妻夫木聡 深津絵里 岡田将生
     樹木希林 柄本明 満島ひかり 
     宮崎美子 光石研 余貴美子

<あらすじ>
長崎で土木作業員として働く清水祐一(妻夫木聡)は、祖父、祖母(樹木希林)との3人暮らし。仕事と祖父母の面倒をみる単調な日々を送っている。そんな中、出会い系サイトを通して関係を持っていた女性、石橋佳乃(満島ひかり)を殺害してしまう。
佐賀の紳士服量販店で働く馬込光代(深津絵里)は妹との2人暮らし。職場と家の往復をする日々だ。あるとき出会い系サイトで知り合った男、清水祐一と会うことになる。

<感想など> 完全ネタバレです。
原作を読んでいたので、ある程度内容を知った状態での鑑賞となった。しかし、テレビの予告編で2人寄り添って日の出を見ている姿からは、希望の光を連想し、「ひょっとして…」と、原作とは違うパターンを思い浮かべた。結果的には、原作を読んだ者にとっても新鮮に感じられる展開となっており、観た人の数だけ解釈が存在するという、ごく当たり前のことを再認識した次第。

あの人は悪人か、悪人ではないのか。これに明確な答えを出せるかときかれれば、自信はない。永久に続く問答とも思える。主人公清水祐一が悪人かどうかという問いについて、恋人の光代がその答えに窮している(しかし心の底では決まっている?)のを見ると、鑑賞側も自分の心に問わざるを得なくなる。法律に照らしたり、彼の育ってきた環境を考えたりと、まるで裁判員になったような心境で考えをめぐらせる。すると「悪人」という言葉のもつ曖昧さに、光代同様困窮してしまう。

主人公の二人を取り巻く多彩な顔ぶれが、物語を一層重厚なものにしている。石橋佳乃の父(柄本明)は遺された者の怒りと悲しみをたたきつけ、その鬼気迫る姿はスクリーンから飛び出してくるようだった。清水祐一の祖母が深々と頭をたれる姿には目頭が熱くなる。一方「強く生きよう」と自分を奮い立たせる姿からは観ているこちらが勇気づけられた。(バスの運転手の一言が大きい!)嫌疑のかかった大学生増尾(岡田将生)の、誠意のかけらもない人間性には驚き呆れる。(もしかして究極のマザコン?)殺された石橋佳乃の、祐一に対する言葉は、爆弾のように私の心で炸裂した。どういう状態になったらこんな言葉が吐けるのか、と。こうしたたくさんの人々の目をカメラとすれば、そのレンズから見える祐一像は、何だかとても小さい。光代もまた同様に小さい。二人の孤独感が押し寄せてくるようだ。

親子関係にも考えさせられるところが多い。
石橋夫妻は娘の援助交際に驚愕し、「こんなはずじゃなかった」という思いを深める。夫は、娘を都会に出すことに賛成した妻を責める。それでも自分たちの娘への愛情は変わらないことを認識。夫婦関係の変化も含めた再生への道が、輝いて見えた。

祐一の母(余貴美子)には「元凶!!」と思わず心でつぶやいてしまった。彼女の母、つまり祐一の祖母は、娘の非情さをほとんどあきらめて、自分が彼の母として生きる覚悟を決めている。祐一の陰鬱さ、優しさなどの心模様を垣間見るとき、母、祖母の姿も浮かんできた。この親子三代の顔は、かなり似ている!!もちろんこの作品だから感じることなのだが。

激動に揺さぶられ続けた139分。一分の隙もない映像にくぎづけで、時間の経過も忘れていた。鑑賞からしばらくたった今になって、作品に描かれている心理の重みと共に、制作スタッフ、出演者の真摯な思いが胸の中で大きくなっていくのを感じた。

キャタピラー

20100915

terasima.jpg

2010年/日本/1時間24分(劇場で鑑賞)
監 督  若松孝二
出 演  寺島しのぶ  大西信満
     吉澤 健  河原さぶ
     篠原勝之

<内容・感想など>
ベルリン国際映画祭のコンペンション部門で、主演の寺島しのぶが最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞ときいたのが、ずいぶん前のことに思える。こうしたニュースから、自然に寺島しのぶを注目していたが、終わってみると彼女以上に相手役の鬼気迫る姿が脳裏に焼きついて離れない。離れてほしい、でも、離れない。夢に出てきそうで怖い。こんな感覚にさせるのは、制作側の意図だろうか。

前半のあらすじは次の通り。
戦時中のある日、黒川シゲ子(寺島しのぶ)の夫、黒川久蔵(大西信満)が、両手足と聴力を失った姿で戻ってくる。久蔵は、勲章と彼を崇める新聞記事の飾られた部屋で寝起きし、シゲ子は農作業をしながら彼の面倒を見る。時にはこの「軍神様」を手押し車に乗せて、彼女は村を練り歩いていた。

上映時間は84分。かなり短い作品なのに、ものすごく長く感じられた。最後の方では、映画の上映とその中の戦争の両方に対し、「早く終われ!」と祈っていた。予想以上に、観るに耐えないシーンの多い作品だった。

2人が暮らすのは、田畑の広がる中に建っている一軒家。藁葺き屋根の、典型的な農家なのだが、このだだっ広い家には、障害のある夫と働き通しの妻だけ。農家といえば大勢が肩を寄せ合って暮らしている光景が思い浮かぶので、この静けさが不自然に感じられてならない。軍神様と奉られながらも、実際には見放された気配が強く漂っている。

寺島しのぶのシーンが注目されているようだが、実際には色っぽさはあまり感じなかった。むしろ淡々とした印象が強い。そんな彼女と、久蔵を対比してみると、両極端の情景を見ているようだ。岩のような久蔵と草木のようなシゲ子。戦局の変化と共に二つの像は変化していく。しなやかだった草木が岩を砕くほどの力を持つ。力関係が逆転し、反戦を強く思う気持ちが高まる中で、狂気が生まれる。二人が同志的に見える一瞬もあった。

戦争が終わった瞬間、シゲ子の顔が明るくはじける。しかしその一方で…。先まで見ないうちに、エンディングが始まり、幾分ホッとした。

君よ憤怒の河を渉れ

20100815

  kimiyo.jpg
1976年/日本/2時間31分(レンタルDVD)
監 督  佐藤純弥
原 作  西村寿行『君よ憤怒の河を渉れ』
出 演  高倉 健  中野良子  原田芳雄  池辺 良
     大滝秀治  西村 晃  倍賞美津子  田中邦衛
     大和田伸也  内藤武敏  岡田英次

<内容・感想など>
80年代後半、中国滞在中に「日本人なら『追捕』(中文タイトル)を知っているだろう?」とよく言われたものだ。全く知らなかったので逆にどんな物語なのかきいていた。主演の高倉健や中野良子は超有名日本人。なぜこの2人が?と思ったものだ。後年、文革直後の中国での熱狂ぶりを知り、いつか観ようと思いながら、鑑賞は今まで延び延びになってしまった。そして今日初めて「憤怒」が「ふんぬ」ではなく「ふんど」と読むことを知った。

オープニング、クレジットは、まるでテレビの2時間ドラマ風。そうか、70年代の世界なのだ。漆喰の壁、箱型自動車、公衆電話、旧式のブラウン管テレビ…。懐かしい光景が散らばっている。芝居も大袈裟な気がする。

高倉健扮する東京地検の検事、杜丘〈モリオカ〉が、ある日突然犯人に仕立て上げられ手錠を掛けられる。自宅の捜査に立ち会う中、刑事たちの隙を見て逃亡。以降、彼は追手を逃れながら真相をつかむべく各地を飛び回る。北海道で熊に襲われた女性、真由美(中野良子)を助けたことがきっかけで、彼女には何度となく危機を救われる。

政治が絡んだシリアスドラマだが、ふっと気が抜けることがある。

杜丘は長野、北海道、静岡と、各地を転々とするが、道中では明るいメロディが流れ、その時だけ旅番組の様相だ。追われている人間とは思えない、のほほんとした雰囲気が、緊迫感をそいでしまう。

また、彼は一見冷静沈着だが、突発的な行動が多い。長野では自分と無関係な殺人現場に、マヌケにも指紋を残す。(検事でしょ?)北海道ではできもしないのにセスナの操縦を「やります」と言う。一通り説明を受けただけで操縦桿を握るなんて無謀も甚だしいが、まあ健さんならいいとしよう。(笑)彼は強運の持ち主だから、危機は必ず回避する。こうしていつも逃げおおせるのを見ているうちに、どんな災難が降りかかっても大丈夫だろうと、緊迫した場面もあまり心配せず観ていられた。

中野良子演じる良家のお嬢様は勇ましい。一目ぼれした男を命懸けで守り抜く。武侠ドラマの女侠客といった感じだ。彼女の辞書に「不可能」という文字はない。新宿ではたくさんの馬を出して追いつめられた杜丘を乗せ、大勢の警察官、機動隊を煙に巻く。

驚いたのは2人が早々に恋人関係になってしまうこと。炎と2人の姿が交互に映し出され、官能シーンをより艶やかに見せている。また中野良子その人ではないと思うが、服を取り払ったシーンもある。これらも中国で放映されたのだろうか。(最初の頃はカットされたとの話も聞いたが)

最後にありえないことが起こる。ここからはもうSFの物語。人間を洗脳する薬で世を支配しようとする輩が現れる。ここは勧善懲悪の世界。もちろん正義が勝利を収めるのだが、絶体絶命の相手に対し、普通撃つか~?

刑事役の原田芳雄、その上司役の池辺良、真由美の父親役の大滝秀治と、そうそうたるメンバーが顔をそろえている。若き日の大滝秀治と、もの真似の関根勤が似ているので思わず笑ってしまった。こんなふうに往年の俳優の昔日を眺めるのも面白い。ストーリーよりも俳優の一挙一動が楽しめた作品だった。


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