韃靼疾風録 : 夢の国・亞洲文化宮

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韃靼疾風録

20120414

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著 者: 司馬遼太郎
巻 数: 2巻(上下)
出版社: 中央公論社
刊 行: 1987年

<あらすじ> 
17世紀前半。桂庄助は松浦藩主から、漂着した韃靼公主、アビアを故郷に送り届ける命を受ける。しかし当時明帝国は女真人の侵入に頭を痛めており、二人は大陸を目前にして島で足止めされる。やがて二人は苦難の末アビアの故郷に到着するが、彼女の父母はすでに殺された後だった。(上巻)男児をもうけた二人は瀋陽城内に住むこととなる。庄助は「日本差官」(外交官)として遇されたのだった。彼はバートラと共に女真軍に従軍し、明の滅亡から清の勃興を目の当たりにする。時がたち、庄助は家族で鎖国状態の日本に帰国する。(下巻)

<感想など>
小説の形をとっているが、内容的には司馬史観で構成された書と言えそうだ。他の歴史小説のように人物のキャラクターを練り上げるのではなく、一歩引いた目で眺めることで、著者自身の考えが前面に出る構成となっている。こうした日本人としての視点が、民族、言語、風習の比較を興味深いものにしているのだと思う。

著者は桂庄助という「分身」を自在に動かし、まずは女真人の言葉を覚えさせる。そして政治情勢をつかみ、女真人バートラとの間に絆を結ばせ、旅をさせる。歴史上の実在人物ドルゴンと接する機会もある。アビアは著者の理想でもあるのだろう。可愛らしくて、強くて、優しい、魅力的な女性に映った。主人公については、武士として藩主の命令を全うしようとする気持ちと、アビアに対する気持ちの狭間で苦悩する姿が、なかなか切なく描かれていて人間的魅力となっている。

そんな庄助の視点で説かれる民族比較がおもしろい。人数では圧倒的に劣る女真人がなぜ明を滅ぼして清を興すことができたのか。戦闘能力の違いもその一因だが、統率者が真の実力者で、部下にとって絶対的存在である点が、決定的な違いといえるだろう。女真人は、漢人皇帝と臣民の信頼関係が薄い状況を利用して、内紛を起こさせる。明最後の皇帝毅宗は、女真人の奸計から忠臣を処刑して周囲の離反を招き、孤独な死に至ったという。生き延びるため時には日和見にならざるを得ない漢人に対し、女真人は率直に描かれている。庄助はどちらかというと女真の剛直さを好む立場である。

強大な帝国を築き上げた清であるが、なぜか女真の風習は長い間に消えていく。乾隆帝が女真の記述を削除する「焚書」を行ったからだという。版図を広げた立役者が「異民族」であることを卑下していたとは驚きだ。漢民族に辮髪を強要した最初の為政者が、後の「焚書」を知ったらどう思うだろう。ちょっときいてみたいものだ。

まだ明が滅ぶ前に、庄助が江南地方を巡る章が設けられている。富み栄える蘇州、杭州は、自分が暮らす東北地方に比べ別天地。しかし人間的気質をみると「故郷」が懐かしくなる。庄助の身の置き所を考える記述もまた興味深い。

女真の言葉と近い蒙古語を専攻した著者だけあって、日本語、漢語との比較にも造詣の深さを感じた。出会った当初は意思の疎通が全くできなかった庄助、アビアも、物語の終わるころには難なく会話を交わしている。愛情表現で誤解を招く場面も含め、二人の言語の過程が、実は一番面白かった。

司馬遼太郎作品はかなり昔に何作か読んだがすっかり忘れている。でも話題が脱線したり前後したりする特徴はよく覚えている。また少しずつ読んでみよう。

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