灼熱の魂 : 夢の国・亞洲文化宮

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灼熱の魂

20120326

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2010年/カナダ・フランス/2時間11分(劇場で鑑賞)
監 督  ドゥニ・ヴィルヌーヴ
原 作  ワジディ・ムアワッド
原 題  Incendies (戯曲四部作の第二部)
出 演
ルブナ・アザバル  メリッサ・デゾルモー=プーラン
マキシム・ゴーデット  レミー・ジラール
アブデル・ガフール・エラージズ

<あらすじ>(ネタバレを含みます)
カナダに住む双子の姉弟、ジャンヌ(メリッサ・デゾルモー=プーラン)とシモン(マキシム・ゴーデット)は、公証人ルベル(レミー・ジラール)から、亡き母ナワル(ルブナ・アザバル)の遺言を託される。それは、死んだと聞かされていた父と、存在も知らされていなかった兄を探し出し、それぞれに手紙を渡してほしいという内容だった。母に対する反感が強く気乗りしないシモンを残し、ジャンヌは直ちに母の故郷中東へと飛ぶ。

ジャンヌが知った母の情報は次の通り。
異教徒の恋人を殺されたナワルは、二人の間にできた男児を、祖母を通じ孤児院に託した後、叔父宅に身を寄せて大学に通う。しかし内戦の勃発で大学は封鎖され、学生運動も断念。彼女は男児捜索のため故郷に向かう。ところが男児がいたとされる場所はことごとく破壊されていた。彼女は絶望感から復讐目的でキリスト教右派のリーダーを殺害。以後15年にもわたる監獄での過酷な生活が始まる。

<感想など>
最近ラストでびっくりすることが多いが、本作ほど衝撃的なラストはおそらく初めてだろう。ハッピーでも、バッドでもないエンド。余韻を感じる余裕もない。周りは泣いていたが私は全くその気分ではなかった。制作側の真意を考えさせられたのは、エンドロールが終わったとき(正確な表記は覚えていないが)「祖母たちに捧ぐ」という一言を目にした後だ。

物語は、母の人生と、これを追うジャンヌの道中を交互に映し出す。母娘の外見がそっくりなので、時として混同してしまう。例えば、娘が母の通った大学付近を歩いている様子、青系のシャツにスラックス姿で廃墟を尋ねる様子などだ。ミステリアスな展開の中に、ジャンヌのはやる気持ちを感じた。

ミステリー感覚は「遺言は聖なるもの」という公証人の言葉から始まった。「人探しなんて面倒だから早く開封したい」というシモンを諭した言葉だ。また、途中の謎めいた台詞も興味深い。数学を専門とするジャンヌは、序盤で担当教授から「純粋数学を目指すなら行かなければならない」といった意味のアドバイスを受ける。また、後半、監獄から解放されたナワルは「いつか子供たちから救われるだろう」という内容の言葉をかけられる。姉は「1+1=1」を弟から教えられるとは、全く予期できなかっただろう。

キリスト教系、イスラム教系、それぞれの武装勢力による対立抗争を背景に描いているが、制作側の意図は、それがもたらす悲劇というよりは、一人の女性の最期の決断にあると思う。彼女の死期を早めたほどの驚愕の真相は、鑑賞者としても受け入れがたいものだった。今後遺された彼らが幸せになれる保証もない。けれども子供たちへの愛情、報復の虚しさは、何としても伝えたい、という強い気持ちは伝わってきた。

そんな風に考えていくうちに、男女の双子という設定に大きな意味を感じるようになった。

ところで、途中ジャンヌが母の故郷で通訳を介して意思の疎通を図る場面があるが、その土地の言葉が訳されなかったことが非常に残念だった。特に、ジャンヌの母の名を聞いた村人たちが血相を変えて口にする言葉はぜひとも知りたかったが、通訳は全てを忠実に訳しているわけではなさそうだ。作品全般にわたり、フランス語しか解さない人々が<聴き取れない>部分は、鑑賞者も<聴き取れない>。数ヶ国語が使用される作品にはよく見られる現象で、そんなときはいつもジレンマを感じてしまうのだが、今回は特にその思いが強かった。

最後に、ナワルの墓前に佇む人の姿が映し出されるが、全員が同じ場所に集まるときはくるのだろうか。今もって考えはまとまりそうにない。きっといつまでたっても堂々巡りのままだと思う。

trackback

灼熱の魂 :龍眼日記 Longan Diary

中東系カナダ人のナワル・マルワン(ルブナ・アザバル)が亡くなり 彼女の実の子供である双子の姉弟に遺書と2通の手紙が手渡された。 姉のジャンヌ(メリッサ・デゾルモー=プーラン)には父宛の手紙、 弟のシモン(マキシム・ゴーデット)には兄宛の手紙。 それぞれを探?...

コメント

もう1度観る勇気はありません

孔雀の森さん、こんばんは。
この作品、随分前に鑑賞していたのですがうまく頭の中を整理することができず
(実はそれは今でもなのですが)感想を書けずにいました。
母の過去があまりにも衝撃的過ぎて言葉を失いました。
「1+1=1」この言葉の重みにも打ちのめされました。
双子の姉弟の2人にこの真実を知らせることが果たしてよかったのか
私にはわかりませんでした。
孔雀の森さんがおっしゃる「男女の双子という設定の意味」が知りたいです。

私も再鑑賞はしないでしょう

sabunoriさん、こんにちは♪
感想が書けないというお気持ち、わかります。
近場の劇場にきたこと、また評判の良さもあって鑑賞しました。
おっしゃるように、双子の姉弟に知らせることの是非には、
考えさせられるものがありました。

>「男女の双子という設定の意味」
これは勝手な推論に過ぎず、あまり深い意味はないんです。
一つ目は、ジャンヌには母ナワルの、シモンにはナワルの恋人のルーツを
色濃くかぶせ、両民族の融和を説いているように見えたこと。
二つ目は、母が、二人への対応の温度差(推測)を、死の間際
悔いていること。
(母は息子を通してその男の影を見てしまい、娘よりも
邪険にしていたのでは?)
三つ目は、二人なら力を合わせ、この困難を乗り越えていけるのでは?
という希望。二人は補完しあう関係に見えました。
少しでも明るい未来を残すために、制作側が用意したのが
「男女の双子」だと思ったんです。
ミステリー仕立てにも有効な設定かしら。結果報告の場面でそう感じました。
制作側には「えっ、違うよ」と言われるかもしれませんね。(笑)

なお、同時に全く救いのない結末も感じられ、自己矛盾に陥りました。
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