近代国家への模索 1894-1925 : 夢の国・亞洲文化宮

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近代国家への模索 1894-1925

20111226

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著 者: 川島 真
出版社: 岩波書店(岩波新書)
刊 行: 2010年12月
副 題:シリーズ中国近現代史②

<内 容>
はじめに
第1章 救国と政治改革
第2章 王朝の維持と「中国」の形成
第3章 立憲君主制と共和制
第4章 中華民国の国家構想と袁世凱政権
第5章 国際社会の変容と中国
あとがき

<感想など>
革命派、軍閥、朝廷それぞれが武力を使う。ただ、革命派の武力は正義で、軍閥や朝廷のそれは暴力、蹂躙、といった観念が植え付けられている。「改革」にしても、民衆から発せられたものは「革命」、政権内部からのものは「クーデター」ととらえられがちだ。そうした自分の固定観念を払拭してくれるものはないだろうか、と思っていたところで本書に出会った。どの立場に対しても公平な目で見て、分析していく姿勢が、自分の願いとぴったり重なった。

取り上げられている時代は、清朝最後の15年と中華民国の前期にあたる。こうした中国の激動の時代に周辺諸国の動きも重ね合わせ、世界史全体の視点で眺めている。この姿勢が、公平感を抱かせるのだと思う。

衰退しつつある清朝を、内外がただ手をこまねいて見ていただけではないことを知った。康有為は、数々の障碍を乗り越え変法運動(旧い法をその時代に適応させる動き)の上奏文を光緒帝に届ける。帝の詔勅により、戊戌(ぼじゅつ)変法では憲法制定、国会開設などの案が発せられる。ところが光緒帝が味方に引き入れようとした袁世凱が西太后に報告したことでこの政変は潰えることとなる。変法側、西太后側に寄るのではなく、袁世凱が両者の力関係を考慮した結果の選択との観方を挙げているところに、著者の姿勢が見て取れた。

清朝側が救国の意味で立憲君主制を模索していたのに対し、孫文の革命側は共和制を念頭に置いていたと考えていいだろうか。立憲君主制とはいえ、政局を握るのは従来の満州族で、皇帝の権力を重視した体制である。地方が、そうした中央の支配を脱しようと自治力を強めていった背景は十分に理解できる。本書ではこれを「清からの自立」と表現している。

辛亥革命後、中国内に政府が二つ存在する(広東政府、北京政府)状況は、複雑でなかなか理解が及ばない。1920年代には複数の政党が存在し、政党内でも内紛が絶えず起こる。さらに海外諸国の綱引きの舞台となって政情は安定しない。内側、外側から翻弄され、揺れがおさまらない大型船のようだ。思想、技術を外から吸収する動きや、海外との折衝も活発であるが、国としての方向性は見えてこない。本書ではそんな情勢を、国際社会での位置づけから解説する。終章ではロシア革命の色濃い影響、中国共産党の台頭の経緯が詳細に論じられている。

「あとがき」は前の五章を総括していてわかりやすかった。「『中国』の人びとの想像力が最大限に膨らんだ時期」という著者の考え方が、各章に反映されていると思う。

中国は、年表のどこを切り取っても「激動の時代」となるのではないだろうか。

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