上海游記 : 夢の国・亞洲文化宮

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上海游記

20110902

著 者:芥川龍之介
出版社: 岩波書店
所 収: 芥川龍之介全集第五巻
刊行年: 1977年12月

本作品は、1921年、芥川龍之介が海外視察員として上海に赴いた時の、いわば見聞録である。同年8月から、大阪毎日新聞、東京日日新聞に21回連載された。

続編とも言われる『江南游記』に比べ、この『上海游記』は全編が暗い。しつこい車夫に対して言った「不要(プーヤオ)」が最初覚えた中国語とのこと。その後も、往来の猥雑な空気や、西洋の俗悪っぽい雰囲気に顔をしかめている様子が伝わってきた。「来たくて来たのではない」という愚痴が聞こえてくるようだ。

芥川龍之介と言えば、中国の伝奇小説をモチーフにした物語もよく知られており、中国文学や芸術、文化に対する造詣の深さをうかがわせる。目の当たりにした風景が「詩文の中国ではない」と、がっかりしたのもよくわかる。降り立ったのが植民地上海であることで、よけいに想像との乖離を感じてしまったのか。同時に彼は中国小説の荒唐無稽な内容に納得したとも語る。とにかく予想不可の土地なのだ。その感覚は現代にも通じると思う。

芥川の舞台に対する観察眼は鋭い。芝居で道具を使用せずに表現する方法は日本とも共通するが、小道具はでたらめであると、相当手厳しい。また舞台裏まで観察して日本のそれと比較する。神経質なまでに汚さ、乱雑さを嫌悪する姿には、読んでいるこちらがピリピリする。

彼はこの地で、反清活動家の章炳麟(章太炎)と、満州国の遺臣鄭孝胥と語る機会を持つ。過酷な状況を乗り切ってきた二人には独特の威厳を感じ、関心を強めたようだ。積極的に会話を進めた状況がうかがえる。もっともこの会談が派遣された目的でもあるのだろう。

上海へ赴いた作家として今思い浮かぶのが、先日読んだ『上海』の著者横光利一と、詩人の金子光晴である。横光の小説が社会不安、格差に目を向けているのに対し、金子の旅行記では、あくまでも自分の気持ちと商売が中心である。また、芥川が汚いものを毛嫌いするのに対し、金子はわざわざそういうところに足を突っ込んでいる。そんな行為は自虐的にも映る。視点は人それぞれだと、当たり前のことを改めて思った。

芥川の「見聞録」は、予定されていたものだ。レールの上を歩いた結果の産物である。これを新聞で目にした読者は限られているのだろうが、はたして「では自分も行こう」と思った人間がどれだけいただろう。横光に上海行きを勧めた理由は、「百聞は一見に如かず」を伝えたかったからか。ともかく芥川は上記二人にとっては先駆者だった。

これからも折に触れ、上海に渡航した作家の文章を読んでいきたい。


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