風が吹くとき : 夢の国・亞洲文化宮

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風が吹くとき

20110816

windblows.jpg

1986年/イギリス/1時間21分(劇場で鑑賞)
監 督  ジミー・T・ムラカミ
原 題  When the Wind Blows
原 作  レイモンド・ブリッグズ『風が吹くとき』
日本語版監督  大島 渚
日本語版声の出演  森重久弥 加藤治子

<あらすじ>
ジム、ヒルダ夫妻は、イギリスの片田舎で年金暮らしをしていた。そんなある日、核戦争が起こるという報道があり、ジムは政府発行のパンフレットを参考に簡単な核シェルターを用意する。その矢先、3分後に核ミサイルが飛来するというラジオ放送が流れる。夫妻は核シェルターに守られ命は助かったものの、辺り一面は破壊され、人の姿もない。二人は何とか生活を続けるが、やがて体に異常が出始める。

<感想など>
所用で訪れた仙台での鑑賞。その劇場では「原発と核を考える映画特集」と題し期間限定で数本の作品を上映している。本作品はその中の一本。

夫妻が醸し出すゆったりしたリズムと、物語の悲惨さとの間のギャップが、より大きな深刻さを感じさせる。冒頭、緑豊かな田園地帯の風景は平和そのもので、老年に差し掛かった夫婦はともにふくよかな体型。ほのぼのとしたやりとりに心が和む。そんな日常が、ある日を境に不穏な空気に包まれる。

しかしこの不穏は、見ている方が感じるのであって、夫婦には慌てる素振りもない。政府に従っていれば大丈夫、と核シェルターをつくる様子は、日曜大工の延長みたいだ。夫のジムはラジオをよく聴いているので世事をよく理解している、と自分では思っている。けれども実際には耳で受けたことを鵜呑みにしているだけに見える。妻のヒルダは世事よりも家庭内の細々としたことを優先する。こうした二人の、鑑賞者から見ればどこか抜けた感覚が、痛烈な皮肉とも受け取れるのである。

二人は命をとりとめる。怪我もない。そこで早速以前と同じような生活に戻ろうとするが、自分たちがいた核シェルター以外は、見るも無残な状態になっている。しかし二人はその光景に卒倒することもなく、明日のパンを考えている。通じるはずもない電話、聴けるはずもないラジオ、観えるはずもないテレビ。それらを一つ一つ試す姿が実に滑稽だ。妻ヒルダが一回だけ悲鳴を上げる。便器から尻尾を出しているネズミを見たときだった。残りわずかの水を必死に求めるネズミ…。破壊のすさまじさよりもそちらにびっくりする、という彼女の心に、衝撃をおぼえる。

二人の体には異常が表れ、ついに起き上がれない状態となる。それでもなお夫は楽観的で、状況の好転を妻に説く。果たして彼は本気でそう思っているのか、それとも妻や己を励ますためにそう言うのか。絶望を受け入れようとしない姿勢が、最後を生きるための術ということだろうか。彼が明るければ明るいほど、観る者は暗くなっていく。

声の出演である森重久弥、加藤治子の掛け合いが絶妙で、耳が釘付け状態に。非難、批判をストレートに伝える作品よりもかえって、趣旨が重くのしかかってきた。劇場を後にするときの足もまた、重かった。

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