春風沈醉的晩上 : 夢の国・亞洲文化宮

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春風沈醉的晩上

20101115

<はじめに>
映画『スプリング・フィーバー』中の朗読を聞き、郁達夫の本作品を読もうと思い立った。朗読されたのは物語の半ばとラスト部分で、パンフレットには訳文が載っている。1923年に書かれた本作品は10ページ余りの短編。孫文の広東政府が成立して2年たった頃だ。

タイトルに関する一節は、パンフレットに次のように紹介されている。

“こんなやるせなく春風に酔うような夜は、私はいつも明け方まで方々歩き回るのだった”
「春風沈酔の夜」郁達夫 (以上引用)

春風に酔うとはどんな感覚なのか。映画鑑賞後で、かなわぬ恋に悩んでいる主人公の姿を想像してしまった。(実際読んでみると違ったが)

<あらすじ>
〈私〉は上海の貧民窟で翻訳原稿を書いているが、筆は思うように進まず、日々生活苦にあえいでいた。あるとき階上に住む少女が食料をくれる。その少女、二妹は、自室を出入りするのに〈私〉の部屋を通らなければならず「いつも迷惑をかけているから」と言う。〈私〉は、彼女がたばこ工場に勤務していること、元は父親と暮らしていたがその父が故人となったことを知り、以来言葉を交わすようになる。ところが夜の散歩を始めてから彼女の態度が急によそよそしくなる。〈私〉は、ようやく入った稿料で菓子を買い、二妹と話をする。なんと彼女は、〈私〉が夜中に悪者と関係しているのではないかと疑っていたのだ。

<感想など>
映画の内容とは全く違うが、どうしても映画と比較する目が働いてしまう。例えば『スプリング・フィーバー』で衣料工場に勤務するリーと、本書の二妹が、搾取される立場である点で共通していると思えてくる。

また、タイトルの『春風沈醉的晩上』は、〈私〉が真夜中から明け方にかけて街をうろつきながら感じる状況を表している。その散歩によって、春夏の季節の変わり目に病んでいたひどい神経症が、だいぶ解消されたと書かれてある。劇中、宵闇で悩みぬいている男たちと、夜ふらふら出かける〈私〉とが、重なって見えた。〈私〉がいる場所も、映画の青黒い世界と同じ色で塗られているのではないか。

そして、久しぶりに外出して太陽の光を浴びて大汗をかく〈私〉と、アロハシャツの襟元に刺青をちらつかせて歩くジャン。いずれも、真っ暗闇から突如光の中に躍り出た、という感覚だ。トロリーバスの運転手に怒鳴られても大笑いする〈私〉と、新たな恋人を見つけたジャンには、明るさが漂う。もっとも、本書のラストは再びどんよりとした暗闇に戻ってしまうのだが。

先日読んだ同作者の『遅桂花』とも比較しながら読んだ。共通していると思ったのは女性観。どちらも、主人公が相手の女性に対し憐憫の情を抱き、一瞬恋をする。しかしすぐにこの感情を戒める。いずれも、女性の過酷な現実に対する批判と、感じられた。

全体的に、憂い、やるせなさが漂う作品。
機会があれば、〈私〉がうろついていたあたりを、同じようにうろついてみたい(笑)

郁達夫について検索していくうちに、こんな作品があるのを知った。
こちら→『チェリー・ブロッサム』
郁達夫をチョウ・ユンファが演じているらしい!!
ご本人の顔とはだいぶ違うようだが、何となくその様子が思い浮かんだ。
チョウ・ユンファって、どんな人物も、自分色に染めながらも本人との違和感を感じさせず、演じきってしまうのではないだろうか。
チョウ・ユンファが気になる今日この頃♪である。

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