西ひがし : 夢の国・亞洲文化宮

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西ひがし

20100802

金子光晴『西ひがし』

  出版社: 中央公論社
  所 収: 金子光晴全集第七巻
  刊行年: 1975年11月(初版は1974年中央公論社より刊行)

詩人金子光晴(1895年~1975年)による、『どくろ杯』『ねむれ巴里』に続く放浪記最終編。ベルギーのアントワープで働く妻三千代と別れ、ブリュッセル、パリ、マルセイユを経て、シンガポールへと向かう。

前作では、パリで貧窮生活を送りながらも新進の芸術にも触れている。そんな著者が、ここでは熱帯の過酷な自然と格闘している。さまざまなことをして稼ぐ理由は「妻の帰国費用を工面するため」であるが、そうやって稼いだ金もあっという間に使い果たしてしまう。いったいいつになったら帰れるのか、と思案にくれながら泥沼に足を突っ込んでいく。足を取られるのではない。自分からわざわざ面倒な場所に行くのである。

今回は、シンガポールとバトパハが中心に語られる。バトパパ。聞いたことのない地名なので調べてみると、マレーシアにあるらしい。猛暑の今、猛暑の場面を読んでいると、幻想的なシーンが目の前にゆらゆらしている気分になる。中国杭州の西湖畔にまつわる白蛇伝説と、目の前にいる女を重ねあわす場面は、実際見ているようだった。バトパパが非現実的な趣であるのに対し、シンガポールは排日の気運が日ごとに高まる現実世界である。

知人友人の話や妻への想い、さらに文化論に到るまで、時間を前後させながらいろいろなことがつづられる。一つの文章は長く、いつ切れるのかわからない不安感を抱かせる。こうした、とりとめもなく続く文体からは、出口に見えないトンネルを感じてしまう。明日は明日の風が吹く、という生活は安定から程遠く、いつ堕ちてもおかしくない。しかし阿片を頼るまでにはならない。ぎりぎりのところで己を制しているのがわかる。

妻を迎えに行くはずだったのに、彼女の方がシンガポールにやって来る。二人の対面シーンにはワクワクした。妻が旅を共にした男性と、夫とが対峙する場面もおもしろい。彼女は笑いさえ浮かべて眺めているのだ。妻、三千代さんは、かなりかっこいい! 夫婦の形態もそれぞれなのだろうが、この二人は同等、同類と言えようか。彼女は商売をして自らの渡航費を稼ぎ、夫よりも先に日本へ帰る。ラストは、彼女の手紙文がオチの役目を果たしていて、著者の愚かさが一層強調される仕組みになっている。

なお、全集の十一巻所収の『アジア放浪記』には「上海灘(昭和8年)」をはじめとした数編の散文がある。これらを読んでいるうちに、先日の放浪記がよみがえってきた。底なしに奥深い紀行文だと、あらためて思った。

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