ねむれ巴里 : 夢の国・亞洲文化宮

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ねむれ巴里

20100729

金子光晴『ねむれ巴里』

  出版社: 中央公論社
  所 収: 金子光晴全集第七巻
  刊行年: 1975年11月(初版は1973年中央公論社より刊行)

詩人金子光晴(1895年~1975年)による、『どくろ杯』後の放浪記。上海滞在が主の「どくろ杯」に比べ、本作は懐古的な雰囲気が強い。

内容はパリ滞在中の出来事が中心だが、かの地にたどり着くまでの船上風景もまた、印象深い。著者は日本人同士の船室に嫌気がさし、中国人の船室に移動。日本への風当たりが強い時代、周囲にはその行為が奇異に映る。しかし下船する頃には互いに気心が知れ、頼られる存在となる。寝ている中国人女性の体に触れ、同じ人間であることを確認するシーンが生々しい。40年以上たって、なぜこんな場面を曝け出す必要があるのだろう。いや、40年たったからこそ描けるシーンととらえるべきかもしれない。

著者は先発した妻を追い、フランスに向かう。妻との再会を目前にして、室内に彼女の連れがいたらどうしよう、と、アパートへの入室をためらう。相手に恋人ができていても仕方ない、という見方が、どうも理解できない。

また、妻の金を使い込んだことを告白。これに対し彼女が平然としていることにも驚いてしまう。まるで裏切られるのを前提とした夫婦関係だ。切っても切れないとはこういうことか。こうした尋常ではない心模様については、異国の風土を理由の一つに挙げている。著者の比較文化論は、体験に基づいているだけにリアルだった。

人一倍街を歩き回る著者は、人生のどん底にいる人、狡猾な人、心を病む人など、パリの裏側に潜む人々をじっくりと眺めている。貧窮のため人々の間を渡り歩き、生活が荒んでいく様子は痛ましく、なかなか想像が及ばない。男娼以外は何でもやったと語るところから、その苦労は並大抵ではなかったことだろう。身近で同朋が客死するときの心境は重くのしかかってくる。

故人となった著者を知る手がかりとしては、著書、評論の類しか思い浮かばないが、充分満足できる答えはなかなか得られない気がする。この旅行記にしても、読めば読むほど、謎は深まるばかりだ。しかし、己の欲望に正直であるため苦労を重ねる人生には興味をおぼえる。

一連の放浪記を映像化したらどうなるだろう。淡い靄のかかったような絵と、濃密な人間模様が思い浮かぶ。詩人の詩も読んでみたい。

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