どくろ杯 : 夢の国・亞洲文化宮

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どくろ杯

20100722

金子光晴『どくろ杯』

出版社: 中央公論社
所 収: 金子光晴全集第七巻
刊行年: 1975年11月(初版は1971年中央公論社より刊行)

詩人金子光晴(1895年~1975年)の放浪記。家族との生活を第一部とすれば、第二部は昭和3年から4年にかけて滞在した上海、香港、シンガポール、ジャワでの日々である。物語の中心は、タイトルの「どくろ杯」が出てくる上海だ。よく「筆舌に尽くし難い」と言うが、この人には「難い」というハードルはないのだろう。社会の底辺に蠢く人々の姿を、目で見た通り表現している。20年ほど前に読んだときは、どろどろした空気が辛かったが、今ではその「どろどろ」に興味がある。

妻、森三千代との出会い、彼女の懐妊、結婚、息子の誕生。序盤の生活は家族が中心である。しかし生活はその日暮らし的で、やがて坂道を転げ落ちていく。破滅に向かうのかと思いきや、何とこの詩人は、別の男性と恋に落ちた妻を、強引に、上海へ連れて行くのである。子どもは実家に預け、男とは引き離して。妻の心が恋人に傾いているのがわかっていても、その原因は自分にもあるとして、彼は彼女のそばにいる。不思議だ。なぜこの2人は一緒にいるのだろう。

この時代の上海については、中国の映画やドラマで描かれた華やかな舞台が印象的だ。しかしこの物語には、そうした表の上海ではなく、裏の汚い風景が描かれている。ここでは、詩人は詩ではなく絵を量産する。生活費、渡航費のためだ。これを売るために彼は様々な手を使う。自ら泥沼の中にズブズブ足を踏み入れ、時には銃撃にも遭遇。苦しみあえぐ自分を、もう一人の自分があざ笑うかのような描き方だ。人間はどこまで愚かになれるのか、どこまで堕ちていけるのかを、自ら実践しているようにも見える。

表題の「どくろ杯」とは、男性を知らない女性の頭蓋骨で作られた杯のこと。その顛末を聞いたガラス職人は、自ら地中に埋まったモノを掘り出してこれを作りだす。するとおどろおどろしい気持ちに襲われ、結局元に戻すことを決心。詩人は彼に同行する。こうしたエピソードをはじめ、眼を背けたくなるような光景があふれているのだが、なぜかかえって眼を見開いてしまう。時にはたどたどしく、時には流れていくような文章の、魔力とでもいえようか。スクリーンを、指の隙間から恐る恐る観る、という気分である。

この放浪から40年たってからの執筆だそうだ。筆者はあとがきで、細部を書くために当時共に過ごした人々に取材したが、彼らよりも自分の記憶力の方が確かだった、と述べている。執筆当時76歳。さらに「苦渋にぎらぎらした後巻を書かなければなるまい(以上引用)」と締めくくる。ものすごいバイタリティーだ。後に続く「ねむれ巴里」「西ひがし」も読んでみたい。

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