母と娘 : 夢の国・亞洲文化宮

スポンサーサイト

------

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

母と娘

20100519

   ANAK.jpg

2000年/フィリピン/2時間(アジア映画祭りにて鑑賞)
監 督  ロリー・B・キントス
原 題  ANAK(CHILD)
出 演  ヴィルマ・サントス  クラウディン・バレット
     バロン・ゲイスター  シェイラ・モー・アルヴェロ
     ジョエル・トーレ  レアンドロ・ムエオス

<あらすじ>
ジョシー(ヴィルマ・サントス)は6年ぶりにマニラに帰ってきた。彼女は一家の生活を支えるため香港で家政婦として働いていたが、友人らと事業を始めるため帰国を決意したのだった。空港には高校生の息子マイケル(バロン・ゲイスター)と小学生の娘ダダイ(バロン・ゲイスター)が迎えに来ていたが、最初全く気づかない。夜は自宅でパーティを開き、子供の面倒を見てくれた叔母たち親戚一同に大量の土産物を配り、大盛り上がり。深夜に帰宅した娘カーラ(クラウディン・バレット)は、はしゃぎまわる母を冷ややかな目で見ていた。

<感想など>
フィリピン映画は初めてだった。10年前の作品で現在と違う場面もあるのだろうが、登場人物が抱える問題には、考えさせられることも多かった。

最初は、ハイテンションのジョシーについていけなかった。空港で大量の荷物をカートに乗せ、意気揚々と歩いていく姿。久しぶりに会った子供たちにキスをしまくる姿。大勢の親戚に土産物を振舞いながら饒舌に自慢話をする姿。陽気で元気いっぱいの肝っ玉母さんである。しかし6年ぶりに会った子供たちのよそよそしさ、特に長女の憎しみのこもった眼差しからは複雑な事情が見え、紆余曲折の展開を予感させる。

物語は回想を交えながら進んでいく。なぜ彼女が海外へ働きに出なければならなかったのか。なぜ6年間も帰れなかったのか。父親はどうしたのか。6年の間、長女カーラはどんな気持ちで過ごしていたのか。そんな闇の部分が明らかになるにつれ、ジョシーの底抜けの明るさの裏に隠された悲しみも理解できるようになり、長いトンネルに入り込んだ気分になる。

カーラは母への憎しみを、自らを傷つける形で表現する。母が咎める。娘は反抗する。母が嘆く。さらに母の悲嘆をあおる。彼女は母不在の寂しさを、今になってぶつけるのだ。一方、最初母を敬遠していた末っ子のダダイは、あっというまに母になつく。この両極端の状況から、カーラの寂しさがよけいに重く感じられた。

ジョシーが夫の葬儀に出られなかったのは、旅行に出た香港の雇い主に閉じ込められ、夫の死を知らなかったからだ。また、6年もの間パスポートをとりあげられたままだったという。こうした信じがたい雇用関係が実際にどれだけあるのかわからないが、彼女はそんな状況に耐えながら、家族を思って、働きづめに働いて貯蓄に励んだのだ。しかし娘にはそんな母の苦労や想いが伝わらない。

この母娘関係はいったいどうなるのか。「あんたなんか生まれてこなければよかった。腹の中に戻したいくらいだ」という母の言葉には驚愕!!でも次の瞬間「なぜならあなたを愛しているから」と言う。娘は、母がかけがえのない存在であることを告白。これまでに、母と娘は何度となく言い合いをして、取っ組み合いまでする。最後は、母も娘も、本能むき出しの動物になっていた。

ところで女性たちの激しさに比べ、男性たちの存在感のなさが気になった。亡き父の稼ぎが少ないために、母親が稼がなければならなかったのだが、父親に対する批判眼は全く感じられない。(故人だからか)また、長男は母の願いもむなしく成績が悪いため奨学金を打ち切られてしまう。彼は優しいのが取り柄だが、やってやろう!という気概は皆無だ。男も頑張れ!と言いたくなった。

2003年日本公開当時のパンフレットによれば、主演のヴィルマ・サントスは後に政界入りし、市長になったとのこと。美貌の中に迫力と優しさを兼ね備えたキャラクターは、役者の人柄も映し出していると思った。

コメント

非公開コメント
プロフィール

孔雀の森

Author:孔雀の森
いろいろな出会いを
大切に♪

カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最近のコメント
カテゴリー
最近のトラックバック
最新の記事
リンク
ブログ内検索

Pagetop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。