揚 逸『時が滲(にじ)む朝』 : 夢の国・亞洲文化宮

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揚 逸『時が滲(にじ)む朝』

20080728


出版社: 文藝春秋
刊行年: 2008年7月 
受 賞: 第139回芥川賞



<あらすじ>
1988年夏の中国。梁浩遠(リャン・ハウユェン)は親友の謝志強(シェー・ツェーチャン)とともに第一志望の秦漢大学中国文学科に合格。アメリカ論を語る上級生、馬大材や、魅力的な授業を展開する甘先生を始め、様々な人々と出会い、2人は希望に胸を膨らませる。
1989年春。中国全土に民主、愛国運動の気運が高まる中、浩遠と志強は甘先生の影響で活動に参加する。浩遠はリーダー格の白英露に好意を抱いていたが、彼女はすでに志強と恋仲だった。
6月3日未明、天安門広場に装甲車が突入したとの情報が入る。

<感想など>
登場人物は、大きな志を持ち、才能に溢れた若者たちだ。
己の才能をフルに生かして成功したい。その一途さは、国、地域、時代を問わず普遍ではないだろうか。
愛国の情熱を語る主人公たち、遡って文化大革命時の紅衛兵、日本の連合赤軍の学生たちは、「変えたい」一念で突っ走った点で共通していると思う。
優秀な頭脳。彼らはそれを自覚している。
自分の頭で考えたことは正しいのだ。この思想に基づいて行動すれば成功につながるのだ。彼らは、自分たちの理論は誰からも支持されると信じている。
しかし、実際に経済を動かしている料理屋の店主や客にとっては、観念が先行する学生たちの行動には何の意味もない。
以前、映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』で連合赤軍の学生たちに抱いた感覚は、まさにこの小説に登場する「料理屋の店主や客」と同じだった。
彼らは余りにも純粋すぎたのだ。
時間がたってから、あれ(あの時代、あの時の心情…ETC…)は何だったのかと、それぞれが複雑な気持ちで当時を振り返る。だが、明確な答えは出ない。

物語が描く1988年から2000年末までの時間は、中国内の混乱と高度経済成長で変化の激しい時期である。
その時代に翻弄され挫折も味わう彼らなのだが、徐々に生活者となっていくところではむしろ淡々とした表情を見せている。そこがかえってたくましい。
日本に根を張って生きる浩遠の目から見た同胞たちの姿。
日本から見た祖国の経済発展。
激動の中にあって、浩遠の目は常に冷静で客観的だ。
これは著者の文章の運びから受ける印象かも知れない。

かつて共に「愛国」を叫んだ仲間たちは、10年の時を経て全く違う人生を歩むこととなる。
しかし再会するとそれぞれの絆を再確認する。
当時の心情を計りかねながらも懐かしむ彼らの姿からは、過去も現在もすべて受け入れつつ未来を見つめる、前向きな様子がうかがえる。

前半の激情に満ちた展開と、後半の静かな時間の推移が対照的でおもしろい。
中国語だったら作品の印象はどうなるだろう。

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