ツォツィ : 夢の国・亞洲文化宮

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ツォツィ

20080523

ツォツィ

2006年/イギリス・南アフリカ/1時間35分(レンタルDVD)
監 督  ギャヴィン・フッド
原 題  TSOTSI
出 演  プレスリー・チュエニヤハエ  テリー・ペート
     ケネス・ンコースィ  モツスィ・マッハーノ ゼンゾ・ンゴーベ

<あらすじ>
舞台は南アフリカのスラム街。ツォツィと呼ばれる少年(プレスリー・チュエニヤハエ)は賭博や窃盗を繰り返す不良グループのリーダーだ。ある晩店で酒を飲んでいたとき、年長者のボストン(モツスィ・マッハーノ)が、その日犯した強盗殺人はいき過ぎだと抗議した上、ツォツィが本名を明かさないことをなじる。ツォツィは怒りにまかせてボストンを殴りつけ、店を飛び出す。彼は豪邸の前で帰宅した女性に銃弾をあびせ彼女の車で逃走。しばらくたって後部座席に乳児が寝かされているのを発見する。ツォツィはその乳児を紙袋に入れ、自宅に連れて戻る。

<感想など>
「ツォツィ」とは「不良」の意味。冒頭の彼はこう呼ばれることを誇りにするかのように肩をいからせる。
仲間を引きつれ富裕層のターゲットを物色する時の表情は、飢えをむき出しにした狼そのものだ。しかしよく見ればまだあどけなさが残っており、そんな外見の幼さを凄みで覆い隠そうとする姿はどう見てもアンバランスである。
アパルトヘイトが終わると同じ民族の中で貧富の差が拡大する。差別社会は厳然と存在するのだ。そうした現実が、少年らのすさんだ表情を通して描かれている。

ツォツィは乳児との遭遇によって変わっていく。
仮に、ツォツィではなくブッチャー(ゼンゾ・ンゴーベ)ならどうしただろうか。一も二もなく、女性と乳児を射殺したに違いない。
ツォツィが乳児を連れて帰った行動はほとんど本能によるものだろう。
母親に愛された経験が彼の中に根強く残り、命を慈しむ気持ちがそうした行動を起こさせたのだ。

乳児と接するようになって彼の世界は徐々に広がっていく。
両足に障害を持つモリスの「太陽の光を浴びたくて生きている」という言葉に衝撃を受けながら、その意義をかみしめるツォツィ。
また、乳児の世話をしてもらったミリアム(テリー・ペート)から受けた影響も大きい。
彼女の家には二種類の飾りがつるされている。
一方はさびついた金属片で、もう一方は鮮やかに色づけされたガラスである。
前者はミリアムの夫が亡くなった後作ったもの、後者は夫と暮らしていたときに作ったものだ。
その違いに気づいたツォツィは、もはや肩をいからせていたときの彼ではない。
ミリアムが乳児に乳をあげるのを眺める彼は、母の胸に抱かれた幼子のように穏やかだ。

ミリアムにお礼のお金が必要と考えたツォツィは、仲間と共に乳児の家に侵入。乳児の母親の無事を確かめる意味もあった。
そして、父親を射殺しようとしたブッチャーをツォツィが撃ち殺す。
父親とツォツィが信頼の糸で結ばれる一方で、愛されることを知らず、善悪の区別も理解できないまま死んでいったブッチャーが痛ましい。

この先、ツォツィは本名の「デヴィッド」として罪を償い更生の道を歩むのだろう。
しかし乳児の母親は車椅子の生活を余儀なくされる。ツォツィの更生の代償は余りにも大きいと言えよう。

ツォツィの高く掲げた腕が希望の星をつかむよう信じたい。

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