おばあちゃんの家 : 夢の国・亞洲文化宮

スポンサーサイト

------

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

おばあちゃんの家

20080114


2002年/韓国/1時間27分(レンタルDVD)

監 督  イ・ジョンヒャン

出 演  キム・ウルブン  
      ユ・スンホ  
      ミン・ギョンフン  
      イム・ウンギョン  
      トン・ヒョフィ

<前半のあらすじ>
サンウ(ユ・スンホ)は、母(トン・ヒョフィ)がソウルで仕事を見つけるまで、寒村に住む祖母(キム・ウルブ)に預けられる。祖母は口が不自由で、文字を知らない。山の上にある住居にはトイレや水道の設備がなく、祖母は毎日きつい労働を強いられていた。しかしサンウは手伝おうともせず、持ってきたゲームやおもちゃで遊んでばかり。そして不自由な生活に対し不満が爆発、祖母に意地悪をしてしまう。そんなある日、自分と同じ年頃の少女ヘヨン(イム・ウンギョン)に出会い、憧れの気持ちを抱く。


<感想など>
90度の腰をいきなり伸ばし、おばあちゃんが棚の上の物を取る。
孫にそれを渡すと、腰はすぐ元の90度に。不思議な一瞬だった。
これと同じ瞬間があった、と思ったとき、30年前亡くなった祖母の姿がふっと目に浮かんだ。
この映画のおばあちゃん同様、寡黙で温かな人だった。90度の腰もそっくりだ。
何十年も前の風景を甦らせてくれる力が、この作品にはあると思う。

言葉が不自由なおばあちゃんと、他者とのコミュニケーションをとるのが苦手な孫。
2人が心を通わせる時は必ず来るはずだ。でもどんな展開が待っているのか全然予想がつかない。
おばあちゃんに暴言をはき、ゲーム機の電池が切れてわめき散らし、ケンタッキーフライドチキンが食べられないと駄々をこねるサンウ。
何なんだ、コイツは!!(しかしその気持ちはすごくよくわかる)
余りにも自己中心的なこのオコチャマが変わる可能性は、果たしてあるのか。
でも、ご飯をたたきつけられても、靴をかくされても、かんざしを持っていかれても、おばあちゃんは顔色一つ変えない。なぜこう平然としていられるのだろう
辛酸を嘗め尽くしているからこんな嫌がらせには動揺しない?
孫の全てを受け入れているおばあちゃんの、大きな大きな愛情ゆえ?

そんなおばあちゃんの姿にサンウは少しずつ心を開き、やがて親切にすることに喜びを感じるようになる。
彼を変えたのはおばあちゃんだけではない。
歌の上手な少女ヘヨンや、木の枝を背負って歩く少年チョリとの出会いは大きかった。
チョリの凛とした姿がまぶしい。牛を追いやる彼はまさに英雄だ。サンウは彼に対し、初めて劣等感を抱いたのだろう。
ヘヨンとおもちゃの交換をして帰る途中、彼は敗北感にうちのめされ、みじめな恰好になる。でも村に来たばかりの頃の何倍も成長しているのは確かだ。
最後にはおばあちゃんの身振り手振りを「通訳」できるまでになったサンウ。
迎えに来た母親も前より随分明るくなり、最初の不安も吹き飛んだ。

祖母と孫の交流に感動する一方、母の選択やヘヨンの言葉が気になった。
母はこの不便な村が嫌で、家出同然で飛び出したのだった。
サンウを連れて戻ってきたばかりの母はギスギスして、彼をぽんと置いて出て行く姿からは愛情のかけらも感じられない。どこへ行っても茨の道だと体が語っている。
ヘヨンが「将来女が少なくなって男ばかりが残る」と言うように、サンウの母のような例は後を断たないのだろう。でもそれは女だけではない。市場には若い男も子供も少なかった。ヘヨン自身も心は外に飛んでいる。
過疎の村の現実も考えさせられる作品だった。

孫に何を教えるでもなく、ただ寄り添い、行動を共にするおばあちゃんは、世界一の教育者。
廃屋にも見えるおばあちゃんの家はどんな設備の整った学校よりも優れた学び舎だ。

人間生きていく上で何が大切なんだろうという、ごくシンプルな問題が、いつまでも頭の中を巡っている。

コメント

非公開コメント
プロフィール

孔雀の森

Author:孔雀の森
いろいろな出会いを
大切に♪

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最近のコメント
カテゴリー
最近のトラックバック
最新の記事
リンク
ブログ内検索

Pagetop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。