2013-04 : 夢の国・亞洲文化宮

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セデック・バレ 第二部 虹の橋

20130426

Seediqbale2.jpg

2011年/台湾/2時間12分(劇場で鑑賞)
監 督  魏徳聖(ウェイ・ダーション)
原 題  賽德克•巴萊 下集:彩虹橋
英 題  Seediq Bale
出 演
林慶台(リン・チンタイ) 馬志翔(マー・ジーシアン)
安藤政信  除詣帆(シュー・イーファン) 蘇 達(スー・ダー)
河原さぶ  除若瑄(ビビアン・スー) 温 嵐(ランディ・ウェン)
春田純一  林源傑(リン・ユアンジエ) 田 駿(ティエン・ジュン)
羅美玲(ルオ・メイリン) 田中千絵

<あらすじ>
運動会に参加していた日本人たちは、セデック族の襲撃になすすべもなく、次々と倒れていった。日本側は直ちに鎮圧に乗り出したが、山間部では苦戦を強いられ、犠牲者は増える一方だった。トンバラ社と友好的な関係を築いていた小島(安藤政信)も妻(田中千絵)と子を亡くしていた。彼は親しくしているタイモ・ワリス(馬志翔)に対し、懸賞金を条件にモーナ・ルダオ(林慶台)討伐への協力を命じる。

山間部は日本軍の攻撃にさらされ、セデック族は次々と命を落としていった。若い男性が戦う中、老人、女性、小さな子どもたちは、静かに山奥へと姿を消す。日本の警官として勤めていた花岡一郎(除詣帆)二郎(蘇達)兄弟も、女たちと共に自決の道を選ぶ。

<感想など>(ラストに関するネタバレを含みます)
第二部では限りなく続く殺戮シーンに、心はどんどん沈んでいくばかりだ。正直のところ、日本人の蛮行や少々違和感のある日本語台詞に接するのも苦痛である。監督の言う「救い」とはいったいどこにあるのだろう…。

しかし画面には吸い寄せられてしまうのである。理屈では説明できない不思議感覚だ。
凄惨な場面が、民族の歌に乗って流れていき、合間にはセデック族の踊りが繰り広げられる。やがて戦いの中に、文化を伝承しようとする気迫、尊厳の主張が大きく見えてくる。

アクションシーンにしても、一つ一つの細かい演出に芸術の域を感じた。韓国からアクション監督を招聘したときいて、その精緻な作りに納得できた。人によっては長々と続く残酷なシーンはカットしてもいいのでは?と思うかもしれないが、流れを考えれば、どれも切れないのだろう。

極めつけは自決のシーン。なにもここまでやらなくても…とため息が出る。しかし一方で幻想的な雰囲気も醸し出され、亡くなった大勢の人々がまだどこかにいるような気配さえ感じられる。一部二部とも映像のほとんどは凄惨なシーンに埋め尽くされているのに、目を見開いてしまうところが、他作品の鑑賞にはない経験だった。

この作品は、敵味方、善悪をはっきり描いた戦争ものとは異なり、様々な立場の者を一堂に集め、人間の尊厳について問いかけていると思う。タイトルの「セデック・バレ」は、「真の人」を表す言葉。ではどれだけの人が「真の人」と言えるのだろうか、と思っているときに虹の橋を渡る人々が現れた。

監督は「霧社事件」のきっかけ、さらに双方の支配、被支配の関係に到った原因を、「矛盾」(行き違い)と表現していた。軽い感覚の言葉だが、これが積み重なれば途方もない大きさになる。作品は、まさにこの矛盾がどんどん膨れ上がる経緯とも思えた。終わったときの疲労感は半端ではない。実際、帰路で長時間電車に揺られるのは苦痛だった。

<追記>
『人間(じんかん)万事塞翁が犬』で名演を披露した「黑莓(ブラックベリー)」が出ると聞いて、楽しみにしていた。登場場面は人間に比べて少ないが、モーナ・ルダオに忠誠を尽くすシーンでは、強い印象を残してくれる。役作りはどうしているの?ときいたら、どんな答えが返ってくるだろう。そのうち、出演作が日本で公開されることになったら、ぜひ監督さんと一緒に舞台挨拶に来てね!

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セデック・バレ 第一部 太陽旗

20130426

SeediqBale.jpg

2011年/台湾/2時間24分(劇場で鑑賞)
監 督  魏徳聖(ウェイ・ダーション)
原 題  賽德克•巴萊 上集:太陽旗
英 題  Seediq Bale
出 演  林慶台(リン・チンタイ) 大 慶(ダーチン)
     馬志翔(マー・ジーシアン) 安藤政信 木村祐一
     除詣帆(シュー・イーファン) 蘇 達(スー・ダー)
     河原さぶ 除若瑄(ビビアン・スー) 春田純一

<あらすじ>
19世紀末の台湾中部。セデック族マヘボ社のモーナ・ルダオ(大慶)は、他集落との狩り場争いで二つの首を取り、一躍、その勇名を馳せる。そんな中、1895年の下関条約で台湾の統治権を得た日本が、彼らの住む山岳地帯にも押し寄せる。セデック族は果敢に抵抗するが結局帰順を余儀なくされる。

時を経て先住民族の各集落は日本の統治下にあった。低賃金で過酷な労働を強いられるセデック族は、次第に不満をつのらせていく。度々トラブルが起きる中、モーナ・ルダオ(林慶台)は血気盛んな若者たちに「日本人に逆らうな」と言い続ける。しかし彼は機に乗じて決起の先頭に立つ。

<感想など>
公開2日目の初回。前日に続き監督挨拶が予定され、上映前のロビーはラッシュアワー並みの混雑だった。魏徳聖監督を見るのは『海角七号/君想う、国境の南』以来2回目。当時すでに本作品を制作中であるときいていたので、かなり長い間このタイトルは頭の中にあった。

今回は過酷を極める撮影の中、監督は、妥協を許さない姿勢を貫いたとのこと。細身で優しいまなざしの人物からはなかなか想像できなかった。大好きなアクションシーンを多く取り入れ、やりすぎ、と言われるかもしれないと笑っていた。いったいどんなアクションなのか興味をそそられる。

監督の「一部、二部、覚悟して最後まで観てください」との言葉にやや緊張して鑑賞開始。
最初セデック族が山地を駆け回るシーンでは、現実離れした感覚だった。風景と衣装の彩が鮮やかで、男たちの筋肉の盛り上がりが作られたように見えたからだ。しかし次第に夢との現実ともつかないその世界に引き込まれていった。

セデック族は複数の集落に分かれ、それぞれが狩り場を巡って対立関係にある。生まれながらに戦いを強いられる男たちは、生きること自体命がけだ。同じ集落内でも実力の有無がはっきりするシビアな世界である。頭目がいかに尊敬に値する人物なのかが、序盤で叩き込まれた。

年月がたち、中年のモーナ・ルダオは一見牙をもがれた獣のようだ。しかし睨まれるとこちらまで緊張するほどの、他の人々にはないオーラが感じられた。演技する林慶台氏はとても素人には見えない。プロフィールを参照すると、タイヤル族の長で教会の牧師とのこと。実生活でも人々の尊敬を集めている人だからこその存在感なのだろう。

後半は日本の統治に対する不満が爆発するまでの過程が丁寧に描かれる。
日本側は花岡一郎、二郎兄弟のような優秀な人材を統治のために使ったり、先住民と日本人との婚姻を進めたりと、人々の生活そのものを日本化する政策をとる。その中では当然のことながら差別意識が生まれる。雇用主と労働者との間に一触即発の緊張関係が生じ、学校では先住民の子どもが理不尽な扱いを受け、セデック族の中では日本の機関で働く者との間に温度差が生じる。そうした状況の中、モーナ・ルダオの、秘かにマッチの先を集める行動は、不気味に映る。若い時代の直情実行に比べ、なんと沈着冷静なのか。彼の並みならぬ覚悟が表れている場面だった。

第一部は悲惨な場面で終わる。「一部は非常に重い。二部には救いがある」という監督の言葉に促され、心身ともにクタクタではあったが、引き続き二部も観ることにした。


舟を編む

20130419

funewoamu.jpg

2013年/日本/2時間13分(劇場で鑑賞)
監 督  石井裕也
原 作  三浦しをん『舟を編む』
出 演  松田龍平 宮﨑あおい 加藤 剛 小林 薫
     オダギリジョー 池脇千鶴 渡辺美佐子
     八千草薫 伊佐山ひろ子 黒木 華

<あらすじ>
玄武書房辞書編集部では、定年間近の荒木(小林薫)にかわる編集者を探していた。そんな時、営業部で変人扱いされている馬締(まじめ)光也(松田龍平)に白羽の矢が立つ。言語学専攻で言葉に執着する彼はたちまち、辞書「大渡海」編纂に夢中になる。私生活では下宿の大家、タケおばあさん(渡辺美佐子)の孫娘香具矢(宮﨑あおい)に恋をするがうまく思いを伝えることができない。彼は先輩の西岡(オダギリジョー)に指南を仰ぐ。

<感想など>
「マジメって、面白い」がキャッチフレーズのような本作は、まさに、真面目に生きる人々への応援歌。
主人公馬締光也は、頭のてっぺんから足の先まで「真面目」で塗り固められたようなキャラクター。本領発揮の場面ではその性格が功を奏す。
真面目な面をからかわれるのがイヤで、本性を隠してチャラチャラやっている人もいるだろう。そういう人は是非、馬締光也の姿から、真面目な人は尊敬される存在であることを認識し、自分のキャラに自信を持つべし!!世渡り上手の西岡がかなわないと思うのは、馬締光也のぶれない姿勢なのだと思う。

「マジメってかっこいい」のフレーズも、終わってみるとよくわかる。
鑑賞前新聞で「猫背の彼がかっこいい」という内容の評論を読み、どんなふうにカッコいいのかを楽しみにしていた。まあ、松田龍平だし、何やってもカッコいいからね~、なんて軽く考えていたが、あれれ、序盤の馬締は全然輝いていない。しかしひたすら突き進むようになってからは、背中の丸みにちょっと張りが出てきた気がする。

そんな彼に触発されたチームの面々も愛すべき人たちだ。特に西岡。自分には馬締のような鋭い言語感覚がないと感じた彼は、別の道で「大渡海」出版にこぎつけようと、できることを精一杯やる。辞書編纂とは、個人のコツコツ続ける作業が大半であると思っていたが、チームワークも重要なのだと知った。馬締と西岡のやりとりはボケとツッコミのお笑い寸劇のよう。互いの長所短所を知り尽くしているからこそのかけあいは、間の取り合いが絶妙で、笑って泣けた。

馬締は時を経て、辞書編集部の中心的人物となり、顔がグンと引き締まる。でも奥さんとの距離感は以前と変わらない。それは、出会ったときから互いを尊重する姿勢なのだと思う。朝出勤する時の背筋が前より幾分伸びているように見えた。

ファッション誌の部門から移ってきた岸部(黒木華)の変わっていく様子も興味深い。整理上手な面を、馬締から褒められたことがきっかけで、優秀な編集者へと成長する。それと同時に、人材育成に貢献する馬締の、新たな才能も発見。大渡海出版に向けた執念が、さまざまな能力を開花させたと思うと、大きな目標がいかに大切であるかを、ひしひしと感じるのである。一つの能力は、ほかの能力を生み出す原動力でもあるのだな、と。

あっという間に観終わった感覚だったが、何と133分の長尺であると、これを書いていて知った。きっと、台詞の一つ一つに惹きこまれ、彼らと一緒に言葉の海を泳いでいたのだろう。泳ぎ切った(と言えるかどうかわからないが)今、爽快感に包まれている。

ルージュ

20130408

rouge2.jpg

1987年/香港/1時間36分(劇場で鑑賞)
監 督  関錦鵬(スタンリー・クワン)
原 題  胭脂扣/rouge
出 演  梅艷芳(アニタ・ムイ) 張國榮(レスリー・チャン)
     萬梓良(アレックス・マン) 朱寶意(エミリー・チュウ)

<あらすじ>
1930年代の香港。妓女のユーファ(梅艷芳)と富豪の次男坊チャン(張國榮)は熱烈に愛し合っていた。しかしチャンの家族はすでに彼の許嫁を決めており、二人の結婚に猛反対。絶望したチャンとユーファは心中を図る。50年後、幽霊となったユーファは新聞社勤務のユン(萬梓良)に、尋ね人の広告掲載を依頼する。実は彼女は死ぬ間際、チャンと会う約束をしていたのだった。ユンは恋人のチョウ(朱寶意)と共に、ユーファの願いを叶えるべく、待ち合わせ場所を探そうと奔走する。

<感想など>(ラストに関するネタバレを含みます)
映画鑑賞が趣味です、と言うようになったのは、『さらば、わが愛 覇王別姫』からだと思う。同時にレスリー・チャンが香港出身と知り、香港映画も観るようになった。それまではごくたまに大陸の映画を観るくらいだったから、かなり影響されたことになる。振り返れば自分の鑑賞歴もまだまだ浅いなあと、つい昨日のことのように感じてしまった。

さてこの『ルージュ』。当時レスリーつながりでレンタルビデオを探したが、近所では見つからなかった。でも何かの記事で、ストーリーもいくつかの場面も、しっかり頭に入っていたので予備知識は十二分。初鑑賞なのに既視感があった。坊ちゃん然としたチャンと妖艶なユーファにはどこかで会っているような…まさか50年前の香港…のはずはないんだけれどね。チャンの台詞にもあったように、まさにお似合いカップルである。

メロドラマ路線ながら、幽霊と現代人との珍道中とも感じられる作品。
ユーファが幽霊だと知った時の、ユンの大げさなリアクションや、チョウの強烈な正義感には、思わずクスリときてしまった。ユンとチョウは交際から4年、ちょっと倦怠ムードだったが、ユーファの熱烈な恋心に感化されて、互いを見つめなおす。その様子をチラリとのぞくユーファの表情がいい。また、二人の女性がルージュの交換をする場面も印象深い。過去と現代での占いが伏線になっていて、ミステリー感覚もある。こんなふうにさまざまな面で楽しめる作りがツボだった。

ラストの情報も入っていたので、心待ちにしていた。
彼が激動の時代をどのように過ごしたのか…。想像をかきたてられる展開だった。

最後の字幕「もう一度出会えたなら」は一瞬で脳裏に焼きついた。
プロフィール

孔雀の森

Author:孔雀の森
いろいろな出会いを
大切に♪

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