2012-03 : 夢の国・亞洲文化宮

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フラワーズ・オブ・シャンハイ

20120330

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1998年/台湾/2時間1分(レンタルDVD)
監 督  侯孝賢(ホウ・シャオシエン)
原 題  海上花
原 作  韓子雲『海上花列伝』(蘇州語)
翻 訳  張愛玲『海上花開』『海上花落』(北京語)
出 演 
梁朝偉(トニー・レオン) 羽田美智子  李嘉欣(ミシェル・リー)
高 捷(カオ・ジエ) 劉嘉玲(カリーナ・ラウ) 潘迪華(レベッカ・バン)
魏筱恵(ウェイ・シャオホイ) 羅裁而(ルオ・ツァイアル) 方 瑄(ファン・シュエン)

<内容・あらすじ>(順不同)
清朝末期、上海の高級遊郭が舞台。遊女小紅(羽田美智子)は、なじみ客である王(梁朝偉)が惠貞(魏筱恵)の元に通ったのを知り、情緒不安定になる。翆鳳(李嘉欣)は、借金を重ねる女将(潘迪華)からの独立を決意する。双珠(劉嘉玲)は若い遊女たちのよき相談相手。その一人、双玉(方瑄)は若旦那と相思相愛になるが、正妻が望めないとわかり心中を図ろうとする。あるとき王は小紅が役者と一緒にいるのを発見して怒りが爆発。結局惠貞を見受けするが、彼女が彼の甥と関係したのを知って追い出す。王は昇進しても気持ちは晴れない。

<感想など>
梁朝偉目当ての鑑賞だったが、役柄があまりにも優柔不断、なのにはまり役に見えて、複雑な気分。場面はすべて遊郭内。アヘンを吸い、食事をして、マージャンをして、女性の愚痴を聞く。そんなたわいもない動作の連続なので、暇を持て余した男の印象しかない。外で役人をしている彼は、いったいどんなキャラクターなのだろう。

彼の相手小紅は、かなり謎めいた存在に感じた。演じる羽田美智子は、日本語の上海語吹き替えとのこと。自分にベタ惚れの王に対し、一時の移り気を責め続け、周りをも巻き込んでいるという状態だ。でも彼女の方は、王が困ったり、あるいは後でキレたりするのをかえって楽しんでいるかのよう。当事者よりも給仕をする女性たちの方が的確な判断をしていて頼もしく見えた。まさに<傍観者清>。

最も存在感があったのは李嘉欣演じる高級遊女。7歳から女将に育てられてきたが、今やその女将にも説教できるほどの貫録を持つ。美貌だけでなく商才もあるようで、自分が独立するにあたっての計算もかなり綿密だ。彼女の<上から目線>は氷のように冷たく、その目に射られたら動けなくなってしまいそう。その一方で、遊女たちの姉的存在である双珠には温かな雰囲気がある。女性たちのキャラクターの違いを観察すると面白い。

王がキレて物を投げる場面や双玉が心中騒ぎを起こすところは、その時は印象に残るが、遊郭内の日常茶飯に思え、時間がたつと忘れてしまいそうだ。起承転結がほとんどなく、出来事がつらつら重なっていく本作品では、ストーリー展開よりも、目に見える衣装、調度品の方がずっと印象に残る。アヘンの煙が漂う中、きらびやかな服を纏った女たちはみな物憂げで、ほんのり照らされた顔にも生気がない。ピカピカに磨き上げられた高級感あふれる家具に囲まれながらも、幸せからはほど遠く見える。全編室内だからか、観る側も閉塞感に押しつぶされそうになる。

視覚的にはとても美しいが、観るにしたがって息が詰まっていく。そんな不思議感覚がいつまでもつきまとう作品だった。

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灼熱の魂

20120326

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2010年/カナダ・フランス/2時間11分(劇場で鑑賞)
監 督  ドゥニ・ヴィルヌーヴ
原 作  ワジディ・ムアワッド
原 題  Incendies (戯曲四部作の第二部)
出 演
ルブナ・アザバル  メリッサ・デゾルモー=プーラン
マキシム・ゴーデット  レミー・ジラール
アブデル・ガフール・エラージズ

<あらすじ>(ネタバレを含みます)
カナダに住む双子の姉弟、ジャンヌ(メリッサ・デゾルモー=プーラン)とシモン(マキシム・ゴーデット)は、公証人ルベル(レミー・ジラール)から、亡き母ナワル(ルブナ・アザバル)の遺言を託される。それは、死んだと聞かされていた父と、存在も知らされていなかった兄を探し出し、それぞれに手紙を渡してほしいという内容だった。母に対する反感が強く気乗りしないシモンを残し、ジャンヌは直ちに母の故郷中東へと飛ぶ。

ジャンヌが知った母の情報は次の通り。
異教徒の恋人を殺されたナワルは、二人の間にできた男児を、祖母を通じ孤児院に託した後、叔父宅に身を寄せて大学に通う。しかし内戦の勃発で大学は封鎖され、学生運動も断念。彼女は男児捜索のため故郷に向かう。ところが男児がいたとされる場所はことごとく破壊されていた。彼女は絶望感から復讐目的でキリスト教右派のリーダーを殺害。以後15年にもわたる監獄での過酷な生活が始まる。

<感想など>
最近ラストでびっくりすることが多いが、本作ほど衝撃的なラストはおそらく初めてだろう。ハッピーでも、バッドでもないエンド。余韻を感じる余裕もない。周りは泣いていたが私は全くその気分ではなかった。制作側の真意を考えさせられたのは、エンドロールが終わったとき(正確な表記は覚えていないが)「祖母たちに捧ぐ」という一言を目にした後だ。

物語は、母の人生と、これを追うジャンヌの道中を交互に映し出す。母娘の外見がそっくりなので、時として混同してしまう。例えば、娘が母の通った大学付近を歩いている様子、青系のシャツにスラックス姿で廃墟を尋ねる様子などだ。ミステリアスな展開の中に、ジャンヌのはやる気持ちを感じた。

ミステリー感覚は「遺言は聖なるもの」という公証人の言葉から始まった。「人探しなんて面倒だから早く開封したい」というシモンを諭した言葉だ。また、途中の謎めいた台詞も興味深い。数学を専門とするジャンヌは、序盤で担当教授から「純粋数学を目指すなら行かなければならない」といった意味のアドバイスを受ける。また、後半、監獄から解放されたナワルは「いつか子供たちから救われるだろう」という内容の言葉をかけられる。姉は「1+1=1」を弟から教えられるとは、全く予期できなかっただろう。

キリスト教系、イスラム教系、それぞれの武装勢力による対立抗争を背景に描いているが、制作側の意図は、それがもたらす悲劇というよりは、一人の女性の最期の決断にあると思う。彼女の死期を早めたほどの驚愕の真相は、鑑賞者としても受け入れがたいものだった。今後遺された彼らが幸せになれる保証もない。けれども子供たちへの愛情、報復の虚しさは、何としても伝えたい、という強い気持ちは伝わってきた。

そんな風に考えていくうちに、男女の双子という設定に大きな意味を感じるようになった。

ところで、途中ジャンヌが母の故郷で通訳を介して意思の疎通を図る場面があるが、その土地の言葉が訳されなかったことが非常に残念だった。特に、ジャンヌの母の名を聞いた村人たちが血相を変えて口にする言葉はぜひとも知りたかったが、通訳は全てを忠実に訳しているわけではなさそうだ。作品全般にわたり、フランス語しか解さない人々が<聴き取れない>部分は、鑑賞者も<聴き取れない>。数ヶ国語が使用される作品にはよく見られる現象で、そんなときはいつもジレンマを感じてしまうのだが、今回は特にその思いが強かった。

最後に、ナワルの墓前に佇む人の姿が映し出されるが、全員が同じ場所に集まるときはくるのだろうか。今もって考えはまとまりそうにない。きっといつまでたっても堂々巡りのままだと思う。

イップ・マン 誕生

20120325



2010年/香港/1時間40分(劇場で鑑賞)
監 督  邱禮濤(ハーマン・ヤウ)
原 題  葉問前傳
英 題  THE LEGEND IS BORN - IP MAN
出 演  
杜宇航(デニス・トー)樊少皇(ルイス・ファン)洪金寶(サモ・ハン・キンポー)
元 彪(ユン・ピョウ)黄 奕(クリスタル・ホアン)林 雪(ラム・シュー)
拳 也  葉 準(イップ・チュン)陳之輝(チェン・チーフイ)
陳嘉桓(ローズ・チャン)徐 嬌(シュー・チャオ)廖碧儿(Bernice)


<あらすじ>
イップ・マン(杜宇航)が義兄ティンチー(樊少皇)と父(陳之輝)のもとを離れ、チェン・ワースン(洪金寶)率いる詠春拳道場に入門してから10年。ワースン亡き後ツォンソウ(元彪)が継いだ道場で、二人はメキメキと腕を上げていた。やがてマンは香港のステファン書院に入学。そこで、故国を侮蔑したイギリス人学生を叩きのめして以来、彼の名は一躍有名になる。あるとき偶然入った薬局で、店主であり詠春拳の達人だというリョン・ピック(葉準)と手合わせをするが、その小さな老人に太刀打ちできず、マンは愕然とする。彼はリョンを師と仰ぎ、教えを請う。

<感想など>
『イップ・マン』シリーズの中でも、本作のメンバーがいちばん豪華に感じられた。イップ・マンの実の息子、葉準氏の存在が大きいからかもしれない。九十に近い年齢で「世界詠春聯會」代表とのこと。「詠春拳・中興の祖」と言われる梁贊の長男を、見事な台詞回しで演じている。年齢を感じさせない鮮やかさもまた、見どころの一つ。その年齢だからこその軽やかさ、と表現した方がいいだろうか。氏の父親は、手合わせしている「イップ・マン」。物語で氏が演じているのは、父の師匠と仲違いした人物の後継者。何だかややこしくなってきた…。(笑)

今回もまた、さまざまなエピソードが盛りだくさん。中でも、イップ・マンが、幼いころから身を置く道場と、新たな師匠との間で悩むところは興味深かった。リョン・ピックから習った改良技を仲間に教えたために、ツォンソウの怒りを買って破門の危機に。この流派をめぐる確執については、最後に解決とも思える展開が用意されており、物語の屋台骨的役割を果たしていると思った。

主演、杜宇航の出演作は観たことはあるが、彼自身をじっくり観たのは今回が初めて。スッとした顔立ちからは、武術家の姿がすぐには想像できなかったが、いったん動き出すと、空を切る長い手足に魅了される。
そんな彼を含め、タイプの違った達人たちの手合わせもまた、本作鑑賞の目的の一つ。
惚れ惚れとした対戦は次の通り。(出演順)
① 洪金寶×元彪…両者目隠しでの闘い。
② 葉準×杜宇航…葉準氏の台詞をもう一度ききたい。
③ 杜宇航×樊少皇…柔と剛の闘いに見えた。
ほかにも、いろいろな闘いが盛り込まれ、眼を楽しませてくれた。

イップ・マンとウィンセン(黄奕)との馴れ初めから結婚までは、意外に順調だったと思う。マンを「武人」と軽蔑していた副市長(ウィンセンの父)も、彼の人となりを知ってからはたいへん気に入った模様。事件はあったものの、ウィンセンの勇気がすべてを決定づけ、障壁はほとんど感じられなかった。武術メインの物語だから、このくらいの軽さでちょうどいいのだと思う。

三角関係については余計な気もしたが、マンの鈍感さを表現するのに必要な展開なのかもしれない。それにしてもメイワイ(陳嘉桓)のエピソードは気の毒すぎる。何とかならなかったのか。

終盤を一言で表せば、
「地球を乗っ取るためにやってきたエイリアン、中国に上陸!」。
悪役は一応日本人だが、今まで登場した日本人とは異質だった。次元の違う世界から来た「日本人」を語る異星人という感じだ。裏切り者を演じた人も、内心戸惑っていたのではないだろうか。(あくまで主観です。)こういう物語の悪事ネタも、そろそろ尽きてきたかな~、と感じた一幕だった。

ペーパーバード 幸せは翼にのって

20120323



2010年/スペイン/2時間3分(レンタルDVD)
監 督  エミリオ・アラゴン
原 題  PAJAROS DE PAPEL/PAPER BIRDS
出 演  イマノール・アリアス  ルイス・オマール
     ロジェール・プリンセプ  カルメン・マチ
     フェルナンド・カヨ  ディエゴ・マルティン

<あらすじ>
1930年代のスペイン。喜劇役者のホルヘ(イマノール・アリアス)は内戦で妻子を失い、相方エンリケ(ルイス・オマール)にも行方を告げず忽然と姿を消す。二人が再会したのは、戦争も終結した1年後。劇団での再起を考えていた矢先、二人は両親を失ったという少年ミゲル(ロジェール・プリンセプ)を団員として迎え入れ世話をする。ホルヘは亡き息子が忘れられず、ついミゲルにつらく当たってしまうが、ミゲルは着々と腕を磨く。世はフランコ独裁政権下。監視の目は劇団にも注がれるようになる。

<感想など>(ラストに関するネタバレを含みます。)
上に掲載した写真の三人は満面の笑みだが、物語では三人が同時にこうした笑顔を見せることはほとんどない。特に主人公ホルヘは終始額に皺をよせ、難しい表情だ。妻子が健在だったときも舞台以外では笑わず、息子への躾も厳しい。それが愛情からくる厳しさであることは、後の展開からもよく理解できる。

ミゲルを見て思い出したのが『ニュー・シネマ・パラダイス』の「トト」。好奇心むき出しの様子や、大人に対する態度が彼と重なった。けれども本作の少年ミゲルはトトのように無邪気な子どもではいられなかった。

ミゲルは時には子供であることを武器に、その時々を切り抜ける。そんな知恵者の彼にたくましさを感じる反面、可愛らしいとは思えなかった。表情が明るければ明るいほど、彼の過酷さに胸が痛んだ。

それはきっとホルヘの気持ちでもあるのだと思う。彼はどんな世の中でも子供は教育を受けるべき、子供は子供らしくあるべきだと考えている。その気持ちは冒頭で明らかだ。しかし当時は、子供を早く大人にさせようとする時世である。ミゲルも早く一人前の芸人になろうと、必死にホルヘにしがみつく。

ミゲルを邪険に扱うホルヘも、息子に対する躾同様、食事時のマナーや口のきき方など細かく注意をする。彼を父のように思うミゲルもその言葉に従う。つながりが見え始めた二人をさらに結びつけたのは、ミゲルがスクリーン上に母の姿を見つけ、初めて子供らしい顔をした時だった。ミゲルの母親を探し出し、すでに記憶をなくしてしまった彼女にミゲルの将来を約束するホルヘの表情は、これまでに見せなかった慈悲深さに包まれていた。

世の中は、独裁政権を打倒しようとする者、またこれを密告しようとする者が動き回る暗黒の時代。劇団内にも、総統暗殺を企む者や内偵者が影を潜めている。その中で喜劇を続けようとするホルヘたちの気概に惹きつけられる。ホルヘもエンリケも、長年コンビを組んでいる勘で、窮地をアドリブで切り抜けていく。さまざまな事情を抱えた人々で構成される劇団は、綱渡り状態ではあるが一つのファミリーのようだった。彼らが繰り広げる数々のショーは、大きなスクリーンで鑑賞したかった。

タイトルの「ペーパーバード」には、「幸せを乗せる翼」の意味が込められているのだろうが、ラスト前には散りゆく命を感じてしまった。悲観的過ぎるだろうが、それしか浮かばなかった。

けれども、後年のミゲルが登場し、広い観客席に見覚えのある面々が次々と姿を現したとき、ペーパーバードはやはり幸せを乗せるのだな、と思った。当時の彼らの想いが、長い年月をかけてここまで飛んできたのだな、と。

緑鮮やかな草原が、いつの世も、どこまでも広がっていけばいいのに、と思うラストだった。

青い塩

20120319

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2011年/韓国/2時間02分(劇場で鑑賞)
監 督  イ・ヒョンスン
英 題  BLUE SALT
出 演  ソン・ガンホ  シン・セギョン
     チョン・ジョンミョン  キム・ミンジュン
     イ・ジョンヒョク  ユン・ヨジョン

<あらすじ>
黒社会から足を洗ったドゥホン(ソン・ガンホ)は、レストラン経営を夢見て料理教室に通い始める。いつも隣にいるセビン(シン・セギョン)は、若いが腕があり、先生にも褒められるほど。実は彼女は闇組織の便利屋で、ドゥホンを探るため彼に近づいたのだった。やがて彼女にドゥホン殺害の命令が下る。しかし彼の人間性に惹かれ始めた彼女はなかなか実行に移せない。

<感想など>(ラストに関するネタバレを含みます)
途中まで出かかった涙が、最後に引っ込んでしまった。こんなラストでいいの~~?そういえば、同じくソン・ガンホ主演の『義兄弟』でも同様の気持ちだった。今の不安定なご時世だからこそ、こういう終わり方もアリなんだろうな、と納得しようとしている私。

ともかく今回の裏切られ感はすごかった。冒頭でラスト(?)と思われるシーンを観たものだから、心には「坂道を下っていく物語」が刷り込まれた。それが崩れたときのショックは大きかった。(笑)

やや苦情めいたことを言ってしまったが、一つ一つのシーンは綺麗で、台詞もよかった。青い塩田に背中から落ちていく場面や、二人が別々の部屋で同じ花火を見ている場面など、色彩に眼を洗われる思いだった。セルフのレストランも素敵。貝が足りないと言ったら海女さんがとりに行ってくれるなんて、すごいサービスだなあ。
愛を色に例えて語るおじさんも魅力的だ。膨れた顔、はちきれそうなシャツ姿の中年男には、愛なんて似つかわしくない。(失礼!)でも哀愁漂う彼の後ろ姿を見た途端ふるえがきて、「愛」をよく知っている人なんだ!と確信。(笑)

セビンは化粧をしない方がずっと可愛い。だが凄腕のスナイパーでバイクを乗りこなし、壮絶な過去を持っている、となれば、トンガリ感を出すためにも黒い化粧は必要になるのだろう。本当にああいう銃弾が制作可能なら、世の中ずいぶん平和になるだろうに。と同時に、銃弾があんなふうに作れること自体、怖いことなのだとも思う。

もう一つ怖いと思ったこと。それはスマホの機能だ。ああやってガッチャンとやれば、相手の居場所がすぐにわかる設定になってしまうのか。本作品では宣伝かと思えるほど、スマホが大活躍していた。やっぱりセキュリティはちゃんとしておかないとね、おじさん!

ナイフ使用の格闘シーン、カーチェイス、銃撃戦、そして二人が理解を深める過程と、ドキドキする場面がたくさんあったにもかかわらず、しばらく経ったら忘れてしまいそう…。と感じるのは、すべてあのラストのためでしょうね。

ロスト・イン・北京

20120317



2007年/中国/1時間49分(レンタルDVD)
監 督  李 玉(リー・ユィー)
原 題  蘋果
英 題  Lost in Beijing
出 演  范冰冰(ファン・ビンビン)  梁家輝(レオン・カーファイ)
     佟大為(トン・ダーウェイ) 金燕鈴(エレイン・チン)

<あらすじ>
マッサージ店に勤める劉蘋果(范冰冰)は、泥酔して入り込んだ部屋で、社長の林東(梁家輝)に襲われてしまう。これを、外側で窓拭きをしていた彼女の夫、安坤(佟大為)が目撃、慰謝料を請求する。しばらくたって蘋果は妊娠。嬰児が林東の子と判明した場合の金銭授受契約を両家族間で交わし、林東はすっかり父親気分。やがて、生まれてきた男児は血液型判定で安坤の子とわかる。安坤は医者を買収して偽の血液型証明書を作成、契約通りの金額を手に入れる。大喜びの林東の陰で、彼の妻王梅(金燕鈴)の心は荒び、また安坤は父親の立場を徐々に意識し始める。

<感想など>(ラストに関するネタバレを含みます)
過激なシーンや拝金主義の描写が物議をかもしたようだが、その詳細については他サイトにおまかせするとして、ここでは映画の内容を中心にみていきたい。

北京五輪前後の、人心の荒廃を描いた作品をいくつか思い出した。いずれにも社会背景が及ぼした影響を強く感じ、本作品も例外ではないと思う。でもそればかりではない。実質的な主人公、安坤の異常な執着心には、観終わった今も寒気がする。

彼の仕事は、美しい妻の監視目的だったのか。
蘋果が安坤に対し、自分の職場近辺をうろつくのを咎めるシーンがある。そのときは全く気にも留めなかったが、業務中の目撃場面で思い出し、単なる偶然ではないような気がしてきた。彼は日々、ビルの外側から妻の気配を感じようとしていたのではないだろうか。
彼にとって妻は愛玩する「モノ」だった。ところが彼女が自分の手を離れたと思い込むと、今度は「カネ」に執着する。

妻は夫に「人間」を求めるが、夫は妻を「道具」としかみていない。彼にとっての妻は、自分に快楽を与えるモノに過ぎなかった。美しい妻をおおっぴらに自慢できない不満も渦巻いていたことだろう。安坤のつるんとした顔の内側に、どうにもならない冷たさを感じて怖くなった。こういう人間は、時代が作り出したというより、もって生まれた性向と言った方が適切かもしれない。

そんな安坤に比べれば、林東の方がまだ人間味がある。終盤、傷ついた蘋果が胸に飛び込むシーンで、彼は彼女の背中を優しくたたいていた。もちろん、子どもの売買契約を結んだ彼を許す気はさらさらないが、まだ救いがあると思う。

王梅の存在感も大きい。
蘋果の痛ましさが前面に押し出された感があるが、実は林東の妻、王梅の苦しみの方がはるかに深い。彼女は親戚一同を前に嬰児を抱え、母親を演じなければならないのだ。子孫を残そうとする夫の執着心に沿うこと自体、彼女の限界を超えている。蘋果の横っ面をはたいた瞬間の顔は、鬼のようだった。

蘋果はこれから一人で男児を育てていくことになる。人間らしい子に育ってほしいと祈るばかりだ。

社会の闇を描こうとする意欲は伝わったが、作為的な感じは否めない
蘋果は後輩の不遇に怒り、勤務時間をはさんだ昼食でヤケ酒を飲む。こうして誤って寝込んで悲劇に巻き込まれるのだが、この一連の場面が不自然に感じられてならない。後に続く子ども売買契約のために、かなり手の込んだことをやっている、という印象である。
拝金主義や子孫への執着を問題視するのが目的なら、何もこうした映画でなくてもいいのでは?と思えてくる。

嫌いな作品ベスト・テンにも入ってしまいそうな作品だが、俳優たちの体当たり演技は称賛に値するだろう。佟大為の演じる屈折した人物は実に迫真的。以前もドラマで狂気をはらんだ人を演じる彼を見たことがあって、地味な顔だが胸に焼き付いた。范冰冰はいつもの美しさを全部封印してしまったかのよう。梁家輝はよくこの役柄をOKしたなあと思う。金燕鈴は凄まじくて見ていられないほどだった。

今度はこのメンバーで喜劇をお願いしたい。


夢翔る人/色情男女

20120314



1996年/香港/1時間39分(レンタルDVD)
監 督  爾冬陞(イー・トンシン)
原 題  色情男女/VIVA EROTICA
出 演  張國榮(レスリー・チャン)莫文蔚(カレン・モク)
     舒 淇(スー・チー)羅家英(ロー・ガーイン)
     徐錦江(チョイ・カムコン)秦 沛(チン・プイ)
     劉青雲(ラウ・チンワン)

<あらすじ>
映画監督のシン(張國榮)は、1年ぶりに仕事を依頼され、恋人メイ(莫文蔚)と共に大喜び。しかしそれは彼が目指す芸術作品とは大きくかけ離れたポルノ映画。スタッフとの関係もギクシャクして撮影は捗らない。そんなとき、評判が悪い映画を監督したイー(劉青雲)が自殺し、その反響で興行収入が増える、という出来事が起こる。これをヒントに、プロデューサーのチャン(羅家英)は話題性を狙い路上でのゲリラ撮影を提案。しかし実行した結果、主演女優モニク(舒淇)が怒りを爆発、シンもチャンと言い争い監督降板を宣言する。しばらくたって、シンは亡きイー監督の話を聞いた後、謙虚な気持ちが湧いてくる。

<感想など>
艶かしい場面の連続だが、決して興味本位の作品ではない。低予算でヒットさせろ、という過酷な要求のもと、奮闘する映画人たちの物語である。この『色情男女』がどんな作品に仕上がるのかを楽しみに、画面に見入った。

ドラマが進行するにつれ各人の背景が明らかになる。それぞれが魅力たっぷりで愛しい人たちばかり。

成長著しかったのがモニク。最初は我儘な大根役者だったのが、最後の方では見事な演技を見せる。メイク担当に対し噂話を諫めるシーンには共感した。これも含め、苦労した台湾での少女時代を北京語で話す場面には、実際の経緯は知らないが、役者自身が投影されているように感じられた。

モニクの相手役ワー(徐錦江)は、監督のどんな要求にも応えるプロ意識の高い俳優。街頭で襲うシーンも、女性のつま先(物凄く臭い?)をなめるシーンも、躊躇なく演じる。そんな彼がシンに恋人との関係改善を指南するところは、とてもリアリティがあった。これもまた演じている徐錦江自身の言葉に思えた。

シンの亡き父もまた映画監督だったことは、母親とメイとの会話でわかる。「子どもみたいなもの」と亡き夫を表現する母親は慈愛にあふれ、メイを包みこんでいた。メイの方もシンの母を慕っている。いい関係だなと思う。

最初バラバラだったメンバーがさまざまな困難を経て団結する。そして結果的には最高のシーンが出来上がったわけだが、最後はまるでドキュメンタリーを見ている気分だった。

さて、濡れ場に始まり濡れ場で終わった本作品。最初に比べると、ラストは実に芸術的で、これこそシンの求めていたシーンではなかったか。そう考えていくと、最初のシンとメイの絡みにしても、監督の要求に応えた、プロの役者同士の真摯な演技。全員が高いプロ意識を持っているからこそ、こういう面白い作品が出来上がったのだなと、観終わってしばらくたった今しみじみと思った。

ヤコブへの手紙

20120311



2009年/フィンランド/1時間15分(レンタルDVD)
監 督  クラウス・ハロ
原 題  POSTIA PAPPI JAAKOBILLE/LETTERS TO FATHER JAAKOB
出 演  カーリナ・ハザード  ヘイッキ・ノウシアイネン  
     ユッカ・ケイノネン 

<あらすじ>
1970年代のフィンランド。終身刑を言い渡されていたレイラ(カーリナ・ハザード)は、恩赦で12年間服役していた刑務所を出る。身寄りのない彼女は、ヤコブ(ヘイッキ・ノウシアイネン)という盲目の牧師の家で暮らすことになる。手紙を読み、代筆することを頼まれたレイラだったが、元々不本意だった彼女は来た手紙を捨ててしまう。郵便配達人(ユッカ・ケイノネン)も牧師宅には来なくなる。こうしてヤコブへの手紙は途絶え、差出人への返信ができなくなった彼は、意気消沈する。

<感想など>
蒼みがかった風景が印象に残る。ヤコブの家の中、草むら、どんよりとした空、教会の中。登場人物たちの顔も、周りの色を受けて蒼い。暗いが心静まる色だった。

レイラの罪状については最後まで明かされない。どんなに親切にされてもその気持ちに応えようとしないし、ヤコブを助けようともしない。これほどまでに人を拒否する心はどこからくるのか。彼女の過去を知りたい気持ちがどんどん募る。

ヤコブは盲目ながら身の回りのことはすべて自分でこなす。レイラにお茶を出しパンを切る動作も手慣れたもの。聖書の言葉もよどみなく口から出てくる。これは称賛に値すると思うのだが、レイラはそうは受け取らない。ヤコブが崇高であればあるほど、彼女は引いてしまうように見える。ヤコブの差出人に対する完璧ともいえる返答。差出人のヤコブに対する絶対的な信頼感。そんな状況にレイラはいらついている。

主な登場人物はレイラとヤコブ、そして郵便配達人の三人。あとの二人は出所後の彼女が接する人物だが、この二人が好対照。全面的にレイラを信頼しようとするヤコブと、彼女を見たとたん顔を引きつらせる郵便配達人。大柄で無愛想な外見がマイナスイメージを引き起こすのかもしれないが、それにしてもあの反応はオーバーだ。「信頼」する心の有りようが人によって全く違うことを思い知らされた。

ヤコブの生活は、レイラとの出会いで大きく変わったことになる。彼は差出人の悩みに応える義務があり、何もかも与える立場だと思っていた。けれども終盤で、それが与えられたものであると悟る。手紙が来なくなった真相ははっきりしないが、これがレイラとヤコブの距離をつめるきっかけとなったのは確かだ。神の導き、という概念が、自然に心に浮かぶ。
レイラは、自身の心を吐露するヤコブに初めて共感し、初めて人のためにできることをしたいという気持ちが芽生える。
レイラの告白シーンでは、彼女とともに思わず涙してしまった。どれほど長い間、本心を封印してきたのだろう。その長さと心の鎧、さらに彼女の今後を考えずにはいられなかった。

レイラの手に初めて触れたときのヤコブの表情が忘れられない。大きな掌、力強い腕力は、彼の想像の中にあっただろうか。彼の顔は、安堵と喜びに満ちていた。ヤコブは幸せな生涯を閉じたといえると思う。

75分という短い時間で、台詞も少なかったが、たくさんのメッセージを感じた作品だった。

ラブ ゴーゴー

20120306

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1997年/台湾/1時間53分(レンタルDVD)
監 督  陳玉勲(チェン・ユーシュン)
原 題  愛情来了
英 題  LOVE GO GO
出 演  堂 娜(タン・ナー) 陳進興(チェン・ジンシン)
     寥慧珍(リャオ・ホイチェン) 施易男(シー・イーナン)
     黄子佼(ミッキー・ホァン) 馬先念(マー・シエンニエン)
     邸秀敏(チウ・シウミン) 王奕棠(ワン・イータン)

<あらすじ>(順不同)
パン屋に勤めるアシェン(陳進興)は、レモンパイを買いに来た女性(堂娜)が小学校時代の同級生リーホァだと気づく。二人は当時、透明人間に会いに、アメリカのディズニーランドへ行く約束をしたが、その直後彼女が突然去ったのだった。彼はのど自慢出演を前に、居候しているミュージシャンの友人シュー(馬先念)に教えを請う。

セールスマンのアソン(施易男)は痴漢撃退グッズを販売するため奔走するがうまくいかない。パン屋の店主(邸秀敏)の勧めで美容院に行くが、髪を切ってくれた美容師(リーホァ)に一目惚れ。そんなとき突然一人の女性客がリーホァにつかみかかる。夫の浮気相手がリーホァだというのだ。アソンは咄嗟に、セールスするはずのグッズ(モデルガン)を女性に突きつける。

アシェンと同じアパートに住むリリー(寥慧珍)は、拾ったポケベルに、にやけ顔。自殺をほのめかす番号の主(黄子佼)をなぐさめると、彼の方からすぐにでも会いたいと誘ってきたのだ。彼女はダイエットを決意し、「2週間後に」と約束する。

<感想など>
ポケベルや、若い男性の髪型など、時代を感じさせる光景が目につくが、内容はかえって新鮮だった。

登場人物それぞれが主人公として描かれるが、最も印象的だったのは最も地味なアシェン。彼は元同級生の美しさに見とれるが、彼女は全く気づかない。勝手に創作したケーキに勝手にネーミングして、これを見た彼女の表情をそっとうかがう。そんな彼が、恥ずかしさをかなぐり捨てて調子っぱずれの歌を披露するところには、内心拍手喝采した。彼女はTVの中の彼を見て泣き笑い。アシェンは一人の人間を救ったことになるが、彼自身は知る由もない。

もう一人、彼女を救ったのがセールスマンのアソン。ビルの屋上いっぱいに描いた絵は、彼女の心にどう響いただろう。こんなふうに思いやりのある人は貴重だ。

リーホァと好対照なのが、かなり太めのリリー。ポケベルの主をなぐさめているうちに、彼に恋心を抱いてしまう。今なら、メールやツイッターの相手に相当するだろう。彼女自身明るく前向きな性格で、同僚との関係も良好だ。そんな彼女が大好きな私としては、あんな男と恋をしなくてほんとうによかったと思った。あなたにはきっと素晴らしい人が現れるはず!と声を大にして言いたい。

その相手の男、チャオ・シューペイは、序盤にパン屋で悪質ないたずらをしていた奴だ。上着の背中に「我一個人住」と書いてあったが、なるほど、誰も相手にしてくれないはずだ。リリー相手に言ったことは本心か、それともカモを探すための策か。(たぶん後者)

「愛情来了!」と言いながら、結局誰一人恋は実らず、望みもかなえられなかったことになる。アシェンとアソンも片想いのままだし、リーホァは失恋して大泣きするし、リリーはダイエットも失敗。シューはデビューを諦め帰郷の道を選ぶ。けれどもこの清々しさは何だろう。

みんなそれぞれ我が道を行き、成功するような予感がするのだ。リリーはもう、恋を拾おうとは思わないだろう。アシェンはパティシエとしての腕を磨くような気がするし、アソンは今回の件で顧客を増やしたかもしれない。
チャオは、恋を釣り上げるような行為をやめるだろうか。

バラエティに富んだ面々の人生模様には、笑ったり、怒ったりと、おおいに楽しませてもらった。そして何と言っても人間は中身が大事、という当たり前のことを改めて学んだ思いだ。

最後に「爆笑愛情大悲劇」という文字列を見てまたまた笑った。心が重くなった時に観たい作品の一つとして覚えておこう。


ポエトリー アグネスの詩(うた)

20120304

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2010年/韓国/2時間19分(劇場で鑑賞)
監 督  イ・チャンドン
出 演  ユン・ジョンヒ  イ・ダウィット
     キム・ヒラ  アン・ネサン
     パク・ミョンシン

<あらすじ>
ミジャ(ユン・ジョンヒ)は釜山で働く娘に代わり、中学三年生の孫ジョンウク(イ・ダウィット)を育てている。ヘルパーとしてカン(キム・ヒラ)という老人の介護をするが、その収入でも生活は苦しい。ある日文化院で詩の講座があるのを知った彼女は、早速受講を始めるが、詩作の難しさを思い知る。そんな中、ジョンウクと彼の友人たちが、女子中学生の自殺に関与しているのを、遊び仲間の父親(アン・ネサン)たちから知らされる。話し合いの中で、亡くなった生徒の母親(パク・ミョンシン)に示談金を払うことに決まるが、彼女には分担額500万ウォン(約36万円)が用意できない。ミジャはその金を得るためある行動に出る。

<感想など>
事実を題材にした、非常に重い作品。「アグネス」が自殺した女子中学生の洗礼名であるとわかると、ミジャの詩作と「アグネス」との関わりを知りたくなった。
長丁場である139分も削りに削った結果だろう。行間にあふれる物語を、終わった今も考え続けている。

ミジャとジョンウクの住むアパートは狭くて散らかっている。彼女の仕事も重労働だ。認知症の告知を受け、孫の罪を知り、彼女の内面は怒涛が渦巻いているはずだ。けれどもミジャ自身はいつもお洒落で、物腰は優雅。詩作のために花を眺め鳥の囀りに耳を傾ける彼女は貴婦人然として、表面的には苦境をうかがい知ることはできない。そんなところに凛とした強さを感じるのである。

さまざまなテーマの中で、まず浮かび上がるのが父権の強さと傲慢さだ。一人の少女が複数の少年のレイプが原因で自殺。その罪は計り知れないほど重いはずなのに、父親たちはあまりにも安い示談金ですべてを解決しようとする。彼ら父親も、また学校側も、教育する立場でありながらその義務を忘れてしまっていることに怒りを禁じえない。
父親たちはミジャに対し、丁寧な言葉を使いながら心の中では嘲り、遺族である母親への説得役を押し付ける。彼らの妻たちはどうしているのだろう。夫に「お前は黙ってろ」とでも言われ沈黙を通すしかないのだろうか。

ドロドロとした物語の一方で、ミジャは懸命に詩作と向き合う。朗読会で発表される詩はいずれも秀作。ミジャは詩を発表した女性に秘訣を尋ねるが、その「言葉がツルツル出てくる」感覚が理解できない。彼女が、先生の話した内容を皆の前で語る場面では、認知症を発症しているとは思えないほど、確かな記憶力を披露していた。真摯に取り組む彼女は実に美しい。

ミジャは、亡き少女の足跡をたどろうとするかのように、彼女の写真を手に入れ、学校内の現場へ行き、さらに飛び降りたとされる橋の上まで行く。あの老人との行為には、示談金の件もあるだろうが、何より望まない相手との行為を追体験する、という意味も込められているようにも思え、吐き気がしてきた。

そこまで身を削る意味はどこにあるのだろう…。と思っているうちに、詩と事件の経緯とが、一本の線になっていく。

物語はいくつもの疑問を残して終わる。
ミジャは詩作教室で幼児体験を涙ながらに語り始めるが、あの続きはどうなっているのだろう。
彼女は今までどんな人生を送ってきたのだろう。孫の友人の父親に語ったように「波乱万丈」だったのだろうか。
娘との関係は周囲に話すような「仲良し」なのだろうか。
孫が警官に連れて行かれた時、詩人は「ミジャ」だったのか。それとも「アグネス」だったのか。

草木のざわめきや鳥の囀り、子供たちの声が流れるエンドロールだった。思い返せば全編に音楽はなかった。感じなさい!という詩作教室の先生の声が聞こえてくるようだ。

プロフィール

孔雀の森

Author:孔雀の森
いろいろな出会いを
大切に♪

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