2011-06 : 夢の国・亞洲文化宮

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酔拳 レジェンド・オブ・カンフー

20110628

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2010年/中国/1時間56分(劇場で鑑賞)
監 督  袁和平(ユエン・ウーピン)
英 題  True Legend
原 題  蘇乞兒
出 演  趙文卓(チウ・マンチェク)周 迅(ジョウ・シュン)安志杰(アンディ・オン)
     楊紫瓊(ミシェル・ヨー)劉家輝(リュー・チャーフィー)周杰倫(ジェイ・チョウ)
     郭暁冬(グオ・シャオドン)梁家仁(レオン・カーヤン)
     デヴィッド・キャラダイン 

<感想など>(ラストに関するネタバレを含みます)
あらすじはDVD鑑賞後のレビューに記したので省略。
自分の中では、今までに観たカンフー作品でワーストなんとかにランクインするほどなのだが、目的あって劇場までのこのこ来てしまった。安志杰演じるユアンの猟奇的な姿、劉家輝演じる白髭じいさんのケタケタ笑う姿をよ~く観たかったから。また、前回感じた矛盾点を再確認したいとも思った。

主人公は、酔拳の創始者スー・サン(趙文卓)。どん底に落ちたときに酔拳を習得し、結果的に喝さいを浴びた英雄である。趙文卓のカンフーが素晴らしく、これも再鑑賞の目的の一つだった。ところがなぜか、スーの人間的側面の描き方が物足りない。どうしても悪役ユアンの方に興味が向いてしまうのだ。そこで今回はまず、そのユアンの立場で見ていきたい。

ユアン、シャオイン(周迅)兄妹の父は、「五毒神功」の鍛錬で「走火入魔」の境地に陥り、スーの父(梁家仁)に殺された。幼かった兄妹は彼に育てられたのだが、ユアンは決して恨みを忘れずいつか復讐したいと考えていた。というのは表向きで、実は、スーに対する個人的恨みの方が強かったのではないか。ユアンはスーと兄弟同様に成長したが、どうやらスーの方が何でもよくできて、卑屈になっていたようだ。大事な妹は奪われる。親王救助の功績は持って行かれる。その上「棚から牡丹餅」式に官位を譲られる。スーが優秀であればあるほど、ユアンは自分のダメさ加減に打ちのめされる。単純なスーには、ユアンの捻じれなど、到底理解できない。すべてはスーの純真さが招いた結果と思える。

ユアンの、妹に対する歪んだ愛情も奥深い。兄妹愛とも、恋愛とも違う。彼は、シャオインを連行した部下の腕をスパッと切ってしまう。彼女に触るな、という意思表示である。彼に底知れない恐怖を感じる一場面だった。一方、甥っ子フォンには優しく「3人で暮らそう」と言うのだ。3人とはユアン、シャオイン、フォンである。こういう愛情を何と呼ぼう。「偏愛」?それとも「変愛」?

見どころはスーとの最後の一騎打ち。井戸の壁面を、両手両足で突っ張って、互いに上り下りしながら闘う。酒蔵で壺を破壊しながら組み合う。素肌を縫う鉄の鎧がベリベリはがされる様子は見ていて痛かった。結局彼の生死は明らかにされていない。ということは続編もあり?(まさかね~)メイク効果もあって、物凄いインパクトだった。

次に白髭じいさん。どうしてスーを開眼させる役柄が彼じゃないのか?と素朴な疑問が浮かんだ。「スー×武神」もまた見どころの一つで、武神はなかなか面白いキャラクターだった。でも内心「趙文卓×劉家輝」に期待していたのは確か。琵琶を奏でるのが周杰倫、アクションが劉家輝だったら…と思うのである。(周杰倫ファンの方、お気を悪くさせたらごめんなさい)

DVD鑑賞のとき、医者のユ(楊紫瓊)がスーを「走火入魔」と診断したことに疑問を持った。鍛錬し過ぎて悪の人格が生まれ、大事な人さえ殺めようとする境地に陥るのが「走火入魔」。ユアンや、彼の父親の状態である。スーのような、幻覚を見る状況とは異なると思った。でも「走火入魔」直前と考えれば納得できる。彼がシャオインの指摘によって自分の幻覚を断ち切ることができたとすれば、ユの診断も功を奏したと言えるだろう。

シャオインを単身ユアンのもとに走らせ、これをスーが追うという展開にするためには、スーの「心身の不具合」が必要だったのかもしれない。いや、いくらスーを心底愛しているからといっても、あの状態で乗り込んだシャオインも浅はかだ。二人一緒に山を離れられたら悲しい結果にならずにすんだかも、と今さらながらシナリオ変更を望んでいる私。(笑)

後のロシア側との格闘も、納得のいかない展開だった。では何をどうすればいいのかは説明のしようがない。全体的にパーツを当てはめたような作品になってしまったのは残念だった。

今後も歴史、武侠作品の公開が続く模様。次に期待。

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ハーモニー 心をつなぐ歌

20110620

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2010年/韓国/1時間55分(劇場で鑑賞)
監 督  カン・テギュ
出 演  キム・ユンジン  ナ・ムニ
     カン・イェウォン  チョン・スヨン
     パク・ジュンミョン イ・ダヒ
     チャン・ヨンナム

<あらすじ>
ジョンヘ(キム・ユンジン)は暴力夫を殺した罪で服役している。彼女には刑務所で出産したミヌを18か月だけ養育することが許されているが、その充実した日々も終わりに近づいていた。そんなとき刑務所に慰問に来た合唱団の歌に大感激。自分たちも合唱団を作りたいという強い思いから、監守や服役囚たちを説得し始める。こうして元音大教師ムノク(ナ・ムニ)をリーダーに、元歌手ファジャ(チョン・スヨン)、元プロレスラーヨンシル(パク・ジュンミョン)らと練習を始めるが、ソプラノ不足がネックとなっていた。そんなある日、ジョンヘは素晴らしい歌声を耳にする。たびたび問題を起こして独房に入っているユミ(カン・イェウォン)だった。


<感想など>
冒頭で、刑務所側の全面協力に対する感謝の意を目にした。だから大変リアルなものと思っていたのだが、最初からかなり大袈裟である。出産シーンに始まり、子どもの1歳の誕生日にかけてのドタバタは、これが刑務所か?と目を疑った。監守と服役囚らが仲良く一緒にいるなんてありえない。

しかしそれも計算のうちなのだろうか。序盤に突拍子もない明るさがあるから、悲しみに向かう列車は加速する。そして涙を誘う。すべてが、涙を放出させるための技と考えれば、2時間弱のこの構成はとても巧みだといえる。実は自分も『号泣必至』の言葉にさそわれて来たクチであるから、乗せられた、なんて考えず、素直に泣けばいいのである。今だからこんな風に評しているが、観ているときは素直に反応する自分がいた。

子どもの愛らしさよりは、むしろ歌の方に心を奪われた。リーダーのムノクが円陣を組ませ、それぞれの思いを吐露させる。するとこれまでバラバラだった皆の心がまとまっていく。心に深い傷を負ったユミもだんだん打ち解けて、音楽の才能を存分に発揮。音痴だったジョンヘのボイス・トレーニングも功を奏す。みんなが声を合わせる場面では、それぞれの背景と音色が重なって胸がいっぱいになった。皆が一つになる過程には性急すぎる感もあるが、それは観ている自分の望みであるし、皆の生き生きとした表情が展開に勝っているので、論じないことにする。

ジョンヘの子供に対する絶ちがたい想いがある一方で、ムノクやユミの母子関係も物語の重要なカギとなっている。ムノクの娘は手紙も電話も一切受け付けないほど母を憎んでいる。義父から暴力を受けていたユミは母のことが許せず会おうとしない。この二人が連弾するところがいい。心が通い合った瞬間を見た思いだ。

登場人物はいずれも印象に残るキャラクター。老年にさしかかっているムノクからは、慈悲深さ、教養の高さが感じられる。ファジャとヨンシルは楽しいコンビ。テンポのよい言葉の応酬、両者好対照の外見が面白い。ユミの潤う瞳には吸い込まれそうになった。ジョンヘは劇中の大半が泣き顔だったのではないかと思うくらい、ゆがんだ表情が鮮明に残る。さらにコンは、監守というよりは客室乗務員である。隣に並ぶ先輩監守より頭一つ分大きいがイマイチ迫力不足で、どうしても監守に見えない。こうした人物像も、各場面も、綿密に設定されて無駄がないと思った。

口コミ通り、泣きに泣いた。劇場を後にしたときは、とてもすっきりした気分。本作品が芸術としてどう評価されるか、また後々ずっと印象に残るかどうかはわからないが、たまにはこんなふうに泣きに行くのもいいかもしれない。

ところで『号泣』で思い浮かぶのが『海洋天堂』。この劇場でも秋以降上映予定ときき、ちょっと待っていようかと思う。楽しみ!

亡命

20110615

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2010年/日本/1時間58分(劇場にて鑑賞)
監 督  翰光(ハン・グアン)
原 題  Outside the Great Wall
出 演  鄭 義(ジェン・イー):作家
     高行健(ガオ・シンジャン):劇作家・画家
     王 丹(ワン・ダン):歴史学者
     楊建利(ヤン・ジャンリ):政治活動家
     張伯笠(ジャン・ボーリ):牧師
     胡 平(フー・ピン):政治評論家
     黄 翔(ホアン・シャン):詩人
     徐文立(シュウ・ウェンリー):政治家
     馬徳昇(マー・デシェン):画家
     王克平(ワン・クーピン):彫刻家
     陳邁平(チェン・マイピン):小説家・劇作家

<内容・感想など>
故郷中国を離れ異国での生活を余儀なくされている人々の声を集めたドキュメンタリー。彼らの現在と、1989年の天安門事件、さらにさかのぼって1960年代に始まる文化大革命の映像を織り交ぜながら、祖国とは何か、なぜ「亡命者」が存在するのかを、問いかけている。監督の翰光氏は1987年に来日。日本に拠点を置き、ドキュメンタリー映画を撮ったり、小説を執筆したりするなどの活動をしているとのこと。

まず、アメリカに亡命した鄭義氏の食卓から物語は始まる。ジャーナリストの北明氏は奥さん。「この人は本当に料理上手なの」と話す。15歳の娘さんは「ママは食材を全部一緒に入れちゃう」と、茶目っ気たっぷり。これから壮絶な経験が語られるとは思えない、明るい風景である。

作家として大事なのはその土地に根づいていることだと、鄭義氏は語る。逃走中匿ってくれる人々に迷惑を掛けられないと、亡命を決意した氏の心中は、おそらく波乱を知らない者には理解し切れないと思う。また、文化大革命中の凄惨な出来事には耳を覆いたくなった。

歴史学者王丹氏の顔は、天安門事件当時、新聞でよく見たものだった。針金みたいな細さが、年月を経て骨太な精悍さに変わっている。6年もの獄中生活でも折れない精神、現在も民主化運動に尽力している姿と力強い言動が、心に刻み込まれた。

牧師である張伯笠氏の、旧ソ連への国境越えの話には緊迫感が漂う。判断が少しでもずれていれば命はなかったのだ。普段ピンとこない「命がけ」という言葉が、急にわきあがってきた。

詩人黄翔氏の朗々とした語りや、高行健氏の墨の芸術など、五感を刺激させる演出も印象深い。民主を望む人々の先頭に立つ楊建利氏らの活動も精力的だ。異なる分野にいる人々が、一つの目的に向かい自分自身の手段で訴えていく。その意気込み、熱気がスクリーンの向こうから伝わってくる。

最後もまた鄭義氏と家族が登場。のびのびと育つ愛娘は、両親の過去をどのくらい理解しているだろう。彼女が両親と祖国を見る日は来るのだろうか。彼女のような立場の子供たちはたくさんいることだろう。海外で成長した子供たちは、親の想いをどれだけ受け継いで生きていくのだろうか。そうしたことをいろいろと、とりとめもなく考えていた。

文化大革命、天安門事件を歴史上の一つの流れとしてとらえ、それぞれについての考え方をはさんでいる。そんな展開が、説得力を強くしていると思う。天安門事件から22年たった今年は、新聞紙上に関連事項をみつけることができなかった。今年は国内に報道すべき事柄が多いのもその理由と考えられるが、記憶が遠のいている感も否めない。今なお祖国の民主化に向け尽力している人々がいるのだということは、頭の中に入れておきたいと思った。

艾米『山楂樹之恋』

20110611



著 者:艾米(エイミー)
出 版:2010年10月(初版は2009年12月)
言 語:簡体字中国語
出 版:江蘇人民出版社(中国)

<はじめに>
著者艾米(エイミー)はアメリカ籍の華人で、文筆活動の開始は2005年。物語は、主人公の回想録を著者が脚色した形をとっている。ネット上でたちまち話題となった本作は張藝謀監督により映画化され、日本でもまもなく公開の予定。また王珞丹、李光潔主演のドラマも制作されている。ドラマでは主演の年齢(役柄との開き)が気になるが、李光潔の老三は見てみたい。書店できれいな装丁の本を見つけて即購入。手元には『山楂樹之恋Ⅱ』(続編ではなく全く別の話)もあり、これを書き終わったら読むつもりでいる。
まずは忘れないうちに登場人物を書きだしておこう。

静 秋:主人公。1974年当時高校生。
老 三:本名は孫建新。調査隊の一員。静秋の恋人。
長 芳:西村坪で世話になった家の娘。静秋の親友。
長 林:西村坪で世話になった家の息子。静秋のことが好き。
大 媽:西村坪で静秋を世話する婦人。
銅婆婆:姓はおそらく「童」。静秋と一緒に労働する老女。
万昌盛:日雇い労働者を振り分ける男。
弟媳婦:静秋の同級生で本名は李坤明。母の李主任は業者に労働者の斡旋をする。
成医師:静秋にとって理想の男性。
江先生:成医師の妻。静秋にアコーディオンを教える。
張 一:静秋の元同級生。
小 周:本名は周建新。付家冲での労働で出会った青年。
静秋の母
静秋の妹

<簡単なあらすじ>
1974年、静秋ら校内から選ばれた高校生たちは、教材編集のために西村坪という農村に派遣される。静秋が滞在した家庭には、調査隊の一員である孫建新という青年がよく出入りしていた。彼は家族の一員のように慣れているので、長男、次男の下の「三男坊」と呼ばれている。静秋は建新に惹かれながらも、6~7歳年上の彼に警戒心を抱いていた。文革のさ中、「地主」の父と兄は農村に送られ、教師の母は「資本家の娘」として糾弾され、静秋の家は貧困にあえいでいた。静秋はその出自を恥じていたが、建新は彼女の文才や容貌、様々な能力を褒め励まし続ける。そんな彼に、静秋はだんだん心を開いていく。彼女が聞き取り調査を終えて学校に戻ってからも、二人は母親らの目を盗んで逢っていた。ところがある日見つかってしまい、しばらく交際しないことを約束させられる。

<感想など>
純愛か純愛ではないか。そういう話題も聞かれるようだが結果的には「純愛」だろう。終盤に差し掛かった時、純愛ではないと思わせておいて、最後の最後で「どんでん返し」の衝撃を食らう。もしこれがなければ常套的な話に終わっていたのではないか。

女性の気持ちや生理現象が詳細に綴られている。面白いのは月経を「老朋友」と表現していることだ。中国では日常的にこの言葉を使っているのだろうか。主人公の容貌についても、美人で、胸が大きいとか、足が小さいとか、かなり具体的に描かれている。また勉強がよくできて人の面倒見がよく、卓球やバレーボールが得意で、編み物や裁縫の腕も抜群、となれば、今でいう「万能な模範生」である。彼女の姿が脳裏に浮かんでくるようだ。ところが時は文化大革命の時代。父母の糾弾や家の貧困に直面している彼女は、目立たないように、警戒しながら日々を送っている。せっかくの才能も開花させるチャンスがない。

そんな静秋の心を少しずつ開いていくのが「老三」である。彼は口下手ではない。何とか気を引こうと、あの手この手で彼女に迫る。静秋ははじめのうち、騙されているのではないかと警戒する。しかし思い返せば、最初に好きになったのは彼女の方なのだ。アコーディオンの音色に魅せられ、その弾き手を見た瞬間、いや見る前から恋に落ちていた。(と解釈していいだろう)

彼女は老三が大好きだ。でも「男は狼」と刷り込まれた頭は、本能に忠実な行動を許さない。その上彼の父は解放軍所属で、両家の階級(家柄)は全く違う。彼女は考える。自分は農家の息子である長林と一緒になった方が、親は安心するのではないか、と。今の時代、自分の思うようには生きられないのだから…。序盤で二人はサンザシの木の下で口づけをかわすが、これは老三の一方的な行動だった。本能ではこの行為を受け入れたいのに、頭がこれを阻止している。

彼女は老三に許嫁がいると聞いてひどく動揺する。嫉妬心と警戒心のはざまで揺れ動く心が、甘酸っぱさを伴って響いてきた。作者の繊細な筆運びに乗せられているのがわかる。彼女の方も老三をやきもきさせる。長林は静秋のために尽力。彼の母は息子の嫁になってほしいと積極的に迫る。「弟媳婦」は静秋に仕事を紹介する。張一は、静秋にセクハラ行為をした万昌盛を殴る。小周は静秋を何かと気遣う。彼女を取り巻く男性たちを見ると、老三は平静ではいられなかったはずだ。

ところで、彼は殉職だという。彼の業務をはっきりと描いていないので明らかではないが、病気との因果関係が濃厚のようだ。今大きく報道されている事故との関連を考えずにはいられない。

本作は静秋の主観が中心だが、老三主体の物語ならどうなるだろう。彼が静秋に居場所を告げず、密かに彼女の姿を見る様子などはすべて彼の弟の話だが、思い浮かべると目頭が熱くなる。

出会い、惹かれ、誤解し、すれ違い、抱擁し、別れ、探し、想い合い、そして再会する。ベタなラブストーリーの要素てんこ盛りで、早く先が読みたくなる展開だ。実は誘惑に負けて終盤を先に読んでしまった。でもその時点ではどんでん返しに気づかなかった。よかった、気づかなくて。

映画とドラマを是非観たい。

処刑剣14BLADES

20110606

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2010年/香港/1時間53分(劇場で鑑賞)
監 督  李仁港(ダニエル・リー)
原 題  錦衣衛
英 題  Fourteen Blades
出 演  甄子丹(ドニー・イェン) 趙薇(ヴィッキー・チャオ)
     呉 尊(ウーズン) 徐子珊(ケイト・ツィー)
     戚玉武 (チー・ユーウー)  洪金寶(サモ・ハン)
     羅家英(ロー・ガーイン) 劉松仁(ダミアン・ラウ)
     午馬(ウー・マー) 陳之輝(チェン・チーフイ)

<感想など>
あらすじは、DVDを鑑賞したときこちらで述べているので省略。

大画面で観ると、色が引き立っているのを感じた。前半はぞろぞろ蠢く錦衣衛の黒色が基調。これに処刑される者たちの赤色が加わり、緊張感が一気に高まる。後半は砂漠の黄土色と空の青色がくっきりと色分けされてまぶしい。所々に木の葉の緑が添えられて目に鮮やかだ。画像処理もあるのだろうが、視覚効果は十分にあると思う。やはり観に来てよかった。

今回の目的の一つは、白虎を演じた陳之輝を見ること。短い時間の中で、存在感を最大限にアピールしたと思う。けれどもああいう殺され方には納得がいかない。小娘の目くらませ術は完全に反則である。(笑)長年苦しみながら技を磨いてきた錦衣衛たちを、あまりにもバカにしている。錦衣衛に肩入れするつもりはないが、「魔法」が物語を安っぽくしているような気もしてくるのだ。(あの女にかなり悪感情持ってます:笑)

闘いは基本的に武器使用である。そんな中で、武器なしのカンフーが一番印象に残った。凄まじい手を武器に闘う男は、獰猛な熊を思わせる。青龍と熊がガップリ四つに組む。そういう闘いを先に見てしまうと、あとの武器がみんなチャチに見えてくる。

勧善懲悪劇のはずだが、善と悪の区別がつかない時がある。親王がどうしても悪には見えないのだ。深い皺の刻まれた顔には憂いが漂い、一見静かだが、心の奥は燃えさかっているという雰囲気だ。「謀反」とは、朝廷側からの見方であって、善悪の善を朝廷とするなら悪は必然的に刃向う者となる。あの皇帝を「善」、西域の親王を「悪」と、無理に線引きしてしまったような違和感が、最後まで消えなかった。

違和感と言えば、後半、盗賊も護送屋も、そして青龍も、一致団結して悪と闘おう、という勢いに、自分だけ乗り遅れたような気持ちになった。親王の謀反について述べたところは説明的で、注意していないと聞き逃してしまいそうだ。つまり説得力が感じられないのである。だから彼らが命を懸けてまで闘う必然性が、どうも伝わってこない。それは親王が悪人に思えないという自分の受け止め方とも関係していると思う。

先日DVDで鑑賞した時は、あの二人は死んでしまったものと思ったが、もしかして青龍は生きている?(あくまで思い込みです)ならば続編という発想もアリだ。魔法使いの脱脱にはこれでお引き取り願うとして、青龍には再登場をお願いしたい。そのときには武器ナシで、素手での勝負を期待。あのできすぎた武器は甄子丹には似合わない。いや、かっこいいんだけれどね。箱が邪魔な気がしてならないのである。(笑)

<追記>
続編を構想しているという監督の談話がこちらの中ほどにあります。まだ具体的な話ではないようです。
プロフィール

孔雀の森

Author:孔雀の森
いろいろな出会いを
大切に♪

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