2010-07 : 夢の国・亞洲文化宮

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ねむれ巴里

20100729

金子光晴『ねむれ巴里』

  出版社: 中央公論社
  所 収: 金子光晴全集第七巻
  刊行年: 1975年11月(初版は1973年中央公論社より刊行)

詩人金子光晴(1895年~1975年)による、『どくろ杯』後の放浪記。上海滞在が主の「どくろ杯」に比べ、本作は懐古的な雰囲気が強い。

内容はパリ滞在中の出来事が中心だが、かの地にたどり着くまでの船上風景もまた、印象深い。著者は日本人同士の船室に嫌気がさし、中国人の船室に移動。日本への風当たりが強い時代、周囲にはその行為が奇異に映る。しかし下船する頃には互いに気心が知れ、頼られる存在となる。寝ている中国人女性の体に触れ、同じ人間であることを確認するシーンが生々しい。40年以上たって、なぜこんな場面を曝け出す必要があるのだろう。いや、40年たったからこそ描けるシーンととらえるべきかもしれない。

著者は先発した妻を追い、フランスに向かう。妻との再会を目前にして、室内に彼女の連れがいたらどうしよう、と、アパートへの入室をためらう。相手に恋人ができていても仕方ない、という見方が、どうも理解できない。

また、妻の金を使い込んだことを告白。これに対し彼女が平然としていることにも驚いてしまう。まるで裏切られるのを前提とした夫婦関係だ。切っても切れないとはこういうことか。こうした尋常ではない心模様については、異国の風土を理由の一つに挙げている。著者の比較文化論は、体験に基づいているだけにリアルだった。

人一倍街を歩き回る著者は、人生のどん底にいる人、狡猾な人、心を病む人など、パリの裏側に潜む人々をじっくりと眺めている。貧窮のため人々の間を渡り歩き、生活が荒んでいく様子は痛ましく、なかなか想像が及ばない。男娼以外は何でもやったと語るところから、その苦労は並大抵ではなかったことだろう。身近で同朋が客死するときの心境は重くのしかかってくる。

故人となった著者を知る手がかりとしては、著書、評論の類しか思い浮かばないが、充分満足できる答えはなかなか得られない気がする。この旅行記にしても、読めば読むほど、謎は深まるばかりだ。しかし、己の欲望に正直であるため苦労を重ねる人生には興味をおぼえる。

一連の放浪記を映像化したらどうなるだろう。淡い靄のかかったような絵と、濃密な人間模様が思い浮かぶ。詩人の詩も読んでみたい。
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シャングリラ

20100727

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2008年/中国・台湾/1時間47分(中国映画の全貌2010
監 督  丁乃筝(ティン・ナイチョン)
英 題  Here ’s Shangri_la
中文題  這兒是香格里拉
出 演  朱芷瑩(チュウ・チーイン) 吳中天(ウー・チョンティエン)
     尹昭徳(イン・ジャオドウ)

<あらすじ>
幼い息子トントンを交通事故で亡くしたジー・リン(朱芷瑩)は、息子との思い出の中でしか生きられない状態が続いていた。加害者への憎しみは日に日に増大し、和解を提案する夫(尹昭徳)との関係もぎくしゃくしている。ある日彼女はトントンが描いた山の絵を見つけ、それが雲南省の梅里雪山であると知る。彼女は息子が遺した「宝探し」を暗示するメモを見て、ほとんど衝動的に雲南省へ向かう。そんな彼女を若い男(吳中天)が尾行していた。

<感想など>
雲南省の風景は素晴らしいし、チベット族の風習も興味深かった。しかしそれだけである。奥行きのないストーリーに納得できないのだ。悲しみにくれていた女性がふらりと異郷へ行き、人々との出会いや異文化体験を通して、ようやく息子の死を受け入れる気持ちになり、新たなスタートを切ることになりました、ハイ終わり。こんな感覚だ。

ストーリーに奥行きがないと感じる理由を考えてみた。

まず、物語を展開させるための仕掛けが不自然に思えた。
トントンの宝探しの発想や、彼の描く絵は、いかにもママが喜びそうにできていて、ちっとも子供らしくない。大人の作為に思えてならないのである。
また、ジー・リンがバッグをなくしてから、これが見つかるまでの経緯も、芝居がかっていて受け入れられない。
この絵とバッグにはキーワード的役割を持たせたかったのだろうが、その役割が充分に果たされていない気がした。

Alexという青年の行動が不気味だ。
彼はなぜ身を挺してまでジー・リンを守ろうとするのだろう。後をつけていくうちに本気で好きになってしまったとか?そこまで夢中になれる魅力を、ジー・リンはもっているだろうか。(私の答えは否。)彼は、母親と再婚した義父がどうしても許せない。だからといって、子を亡くした女性の憎しみを利用して復讐するなんて、考えるだろうか。人間の思考や行動がこんなに短絡的なはずはない。

終盤、白血病で余命わずかの男が登場。解決に向けた苦肉の策か。同情心を引き出して己の罪深さを悟らせ、物事を収めようとしているのだとしたら、これもまた短絡的だ。

「許し」をテーマの一つにしたいのだと思う。不誠実な夫婦、加害者夫婦、嘘をついた竹とんぼ売り、白血病の義父と義理の息子。これまでの展開から容易に解決するとは思えない難題が、何となく収束の方向に向かう。それはそれでほっとするのだけれど、違和感はぬぐえない。

不満をつらつらと書いてしまったが、夫役の尹昭徳はよかった!ソフトな感じがすてき!先日観た『夜奔』から約10年。一層男前になった気がする。短期間に10年の隔たりを目にすると不思議な気分。ちょっと作品をチェックしてみよう!!

北京の自転車

20100726

       shiqisuidedanche2.jpg


2000年/中国・台湾/1時間53分(中国映画の全貌2010
監 督  王小帥(ワン・シャオシュアイ)
原 題  十七歳的単車
英 題  Beijing Bicycle
出 演  崔 林(ツイ・リン) 李 濱(リー・ビン)
     高圓圓(ガオ・ユェンユェン) 周 迅(ジョウ・シュン)
受 賞  2001年ベルリン国際映画祭銀熊賞・審査員グランプリ・新人男優賞

<あらすじ>
グイ(崔林)は山西省出身の17歳。出稼ぎで北京にやって来て、自転車宅配便の仕事を得る。一定回数をこなせば自転車が自分のものになるとあって、グイは毎日懸命に働いていた。ところがその直前に自転車を盗まれ、遅配が原因で解雇を言い渡される。やがて彼は、高校生ジェン(李濱)がその自転車を所有していることを突き止め、取り戻す。ところがジェンや彼の仲間たちが返すよう脅してきた。ジェンが盗品とは知らず500元で買った中古自転車だったのだ。ジェンは家の金を盗んだことを父に咎められた上、ガールフレンドのシャオ(高圓圓)にも愛想を尽かされてしまう。

<感想など>
経済格差を思い知らされる展開である。
同じ17歳でも、グイは出稼ぎせざるを得ないのに対し、ジェンは自転車遊びやゲームに時間を費やしている。北京で高校に通えること自体恵まれていると思えるのだが、そんなジェンの家庭も他の仲間の家に比べると金銭的に苦しい状況らしい。自転車に固執するジェンとモノなんてどうでもいいと言うシャオの間には大きな隔たりがある。また、大多数の移動手段が自転車やバスという状況で、グイが勤める宅配会社の社長は、タクシーを常用しているようだ。そして、グイの同郷先輩は、高根の花だと思っていたチン(周迅)が実は農村出身だと知って、アプローチしなかったのを悔やむ。都会と田舎。金持ちと貧乏。持てる者と持てない者。そのひずみが、狭い所で爆発する。

笑い話ではないはずだが、思わず笑いがこぼれてしまう。慣れない都会で頑張っているグイに、災難が次々と降りかかる。彼の自転車を探す様子、自転車を守ろうとする姿からは、以前観た中国映画の登場人物が重なった。『秋菊の物語』の秋菊や、『あの子をさがして』のミンジである。グイは人を羨むような素振りは見せない。ただやり通したいだけなのだ。彼のやらねばならない、という気迫が、すべてをなぎ倒していく。どんな暴力も、理不尽さも、さらに薄っぺらな同情心も、彼の愚直さには完敗だ。自分の笑いは「降参しました!」という気持ちの表れかもしれない。

少年たちが路地裏を自転車で駆け抜ける。殺気立っていて、もし身近で体験したらものすごく怖くなるだろう。しかし傍らの人々は意外にのんきだ。無関心にも見える。もしかすると、彼らの周りにはもっと大変なことがいっぱいあるのかもしれない。これが見慣れた光景だとしたら恐ろしい。

この作品から10年。グイやジェンは今頃どうしているのだろう。あの不良少年たちや、ジェンのガールフレンドだったシャオや、真っ赤な唇のチンは?北京の実情を知らない私にとっては、この光景が今の姿にも見えた。なお、若い高圓圓や周迅にあまり違和感を抱かなかった。もっとも、高圓圓は、あのスカートからOLに見えてしまったのだが。

映画祭二日目。休日のせいかほとんど満席に近い状態だった。

どくろ杯

20100722

金子光晴『どくろ杯』

出版社: 中央公論社
所 収: 金子光晴全集第七巻
刊行年: 1975年11月(初版は1971年中央公論社より刊行)

詩人金子光晴(1895年~1975年)の放浪記。家族との生活を第一部とすれば、第二部は昭和3年から4年にかけて滞在した上海、香港、シンガポール、ジャワでの日々である。物語の中心は、タイトルの「どくろ杯」が出てくる上海だ。よく「筆舌に尽くし難い」と言うが、この人には「難い」というハードルはないのだろう。社会の底辺に蠢く人々の姿を、目で見た通り表現している。20年ほど前に読んだときは、どろどろした空気が辛かったが、今ではその「どろどろ」に興味がある。

妻、森三千代との出会い、彼女の懐妊、結婚、息子の誕生。序盤の生活は家族が中心である。しかし生活はその日暮らし的で、やがて坂道を転げ落ちていく。破滅に向かうのかと思いきや、何とこの詩人は、別の男性と恋に落ちた妻を、強引に、上海へ連れて行くのである。子どもは実家に預け、男とは引き離して。妻の心が恋人に傾いているのがわかっていても、その原因は自分にもあるとして、彼は彼女のそばにいる。不思議だ。なぜこの2人は一緒にいるのだろう。

この時代の上海については、中国の映画やドラマで描かれた華やかな舞台が印象的だ。しかしこの物語には、そうした表の上海ではなく、裏の汚い風景が描かれている。ここでは、詩人は詩ではなく絵を量産する。生活費、渡航費のためだ。これを売るために彼は様々な手を使う。自ら泥沼の中にズブズブ足を踏み入れ、時には銃撃にも遭遇。苦しみあえぐ自分を、もう一人の自分があざ笑うかのような描き方だ。人間はどこまで愚かになれるのか、どこまで堕ちていけるのかを、自ら実践しているようにも見える。

表題の「どくろ杯」とは、男性を知らない女性の頭蓋骨で作られた杯のこと。その顛末を聞いたガラス職人は、自ら地中に埋まったモノを掘り出してこれを作りだす。するとおどろおどろしい気持ちに襲われ、結局元に戻すことを決心。詩人は彼に同行する。こうしたエピソードをはじめ、眼を背けたくなるような光景があふれているのだが、なぜかかえって眼を見開いてしまう。時にはたどたどしく、時には流れていくような文章の、魔力とでもいえようか。スクリーンを、指の隙間から恐る恐る観る、という気分である。

この放浪から40年たってからの執筆だそうだ。筆者はあとがきで、細部を書くために当時共に過ごした人々に取材したが、彼らよりも自分の記憶力の方が確かだった、と述べている。執筆当時76歳。さらに「苦渋にぎらぎらした後巻を書かなければなるまい(以上引用)」と締めくくる。ものすごいバイタリティーだ。後に続く「ねむれ巴里」「西ひがし」も読んでみたい。

桐島、部活やめるってよ

20100718

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著 者: 朝井リョウ

出版社: 集英社

刊 行: 2010年2月









今まで読んだり観たりした高校生主体の物語は、ほとんどが青春のエネルギー爆発!といった感じで、爽やかな後味だった。だからこそ気分転換にもなるのだが、今回はそうはいかなかった。わざわざ本にしなくたっていいじゃん!、ブログやツイッターで呟いていればいいことじゃん、と言いたくなるようなハナシだった。彼らの目を通した高校生活には、自分の子たちが見え隠れして痛い。この現実に向き合えと言われているようで終始落ち着かないのだ。

正確には『桐島、部活やめたんだって』だ。
語り手は、菊池宏樹、小泉風助、沢島亜矢、前田涼也、宮部実果の5人。タイトルの桐島クンは最後まで登場しない。ならばなぜこのタイトルなのか。彼はバレー部キャプテンで、簡単にハイ、やめます、ではすまされない立場だ。桐島を知っている者はもちろん、知らない者にとっても、彼の退部にはニュース性があるのだろう。彼らの間で語られる桐島の話題は、ハナシのつなぎ的役割になっている気がした。

自分の高校時代にこんな閉塞感があっただろうか。
目立つ人、大人しい人、かっこいい人、ダサい人、運動部員、文化部員、といったカテゴリーに区分され、ランク付けされる世界。目立つ人が上で、目立たない人が下。かっこいい人が上で、ダサい人が下。一体なんなのだ、この階層社会は?誰がそんなランクをつけているのか。それは彼ら自身だ。目立つ人は常にそのテンションを保つ。体育があまり得意でない人は、体育の時間は人に迷惑をかけないようにする。各自立場を<わきまえて>、同じ<ランク>の人と一緒に行動することで自己防衛し、1時間目から6時間目、あるいは7時間目までを共に過ごす。彼らは一体いつまで、自らが決めた範疇にとどまっているのだろう。

カッコイイといわれる目立つグループの対極として、映画部の2人が描かれる。彼らはランクを意識しながらも、好きなこと―映画制作や映画鑑賞―に夢中になっている。運動部員たちとは性質の違う<夢中>だ。最初の章で薄っぺらな言葉を吐いていた菊池宏樹が、最終章で再登場、ランク付けの無意味さを意識し始める。彼はカッコイイと言われる立場だが、映画部の2人が無性に羨ましくなる。夢中になれることがある…なんて素晴らしいことなのだろう、と。

人をあからさまにからかったり、ランクづけしたりする背景には、自信のなさとか、好きなことが見つからないといった焦燥感がうかがわれる。

著者は登場人物の中の、どの立場なのだろう。おっと、こんなことを考える自分にも、人を何かに当てはめようとする意識があるのかもしれない。子どもたちはそんな親を意識しながら生きていると言えようか。

1Q84 BOOK3

20100717

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著 者:村上春樹
出 版:新潮社
刊行年:2010年4月



<内容・感想など>
「牛河」「青豆」「天吾」の各人の目線で描かれた30章に、最終章を加えた構成。BOOK2の内容を忘れかけていたが、振り返る箇所が多く理解の一助となった。牛河は青豆を追い、青豆は天吾を追う。天吾は待つ立場だ。BOOK2の牛河は気味の悪い人物として不快指数100パーセント。しかし今回は彼の過去に同情の余地が生まれたせいか、50パーセントくらいに下がった。それにしてもなぜ彼の外見をこれほどまでに醜く描かなければならないのだろう。

物語は、おもちゃ箱をぶちまけて、お片づけができないまま放置されている、といった感じだ。おもちゃとは、空気さなぎ、ふかえり、猫の街、男女関係なしの受胎、天吾の年上の彼女、天吾の両親、青豆の家族、タマル、老婦人、さきがけのリーダー…など、青豆と天吾を取り巻く人々や出来事だ。大半は未解決のまま次の巻に繰り越される。でも仕方ないか。1Q84の世界なのだから。そこは月が2つ見える、現実世界とは別の場所なのだから。どんな矛盾も、不思議現象も、あって当然と言えば当然か。しかし何だかそれは、違反、というか、反則、というか…。心のモヤモヤは晴れない。

牛河、青豆、天吾。3人の共通点は、目立たないようにしていることだ。いずれも優れた資質を持っていて、世の注目を浴びるチャンスはいくらでもあるはずなのに、彼らはその方向をばっさり切っている。この小説もまた、彼ら同様息をひそめていないだろうか。新興宗教やDVといった問題を取り上げながら、それらに関して意見するわけではない。問題を解決に導くわけでもない。ただ、膨大な量の現況を説明しているに過ぎない。さまざまな事象について解釈の幅は大きいと思う。しかしそれらから強烈なインパクトは感じられない。

現在の最大の関心事は、青豆と天吾の今後である。前回の最後でも確かそんな気持ちだった。

BOOK3に描かれるのは10月から12月までの出来事である。ということは当然、1月から3月までのBOOK4も存在しなければならない。となれば、その時期だと「1Q85」か。いや、時間を遡ってやはり「1Q84」か。(笑)なんだかんだ言ってやっぱり話題性の多い作品だと思う。

今天吾の書いている小説が『1Q84』、という展開だけはやめてもらいたい。

シー・ラブズ・ユー

20100714

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著 者:小路幸也
   (しょうじ ゆきや)

出版社: 集英社

刊行年: 2007年5月







<内容>
『東京バンドワゴン』の続編。亡き曾祖母(研人、花陽の立場から)、堀田サチの語り口調は相変わらず優しい。今回は冬、春、夏、秋の各章から成る1年間の物語。なぜか複雑怪奇な事件に巻き込まれるが、そのたびに鮮やかに解決されて家族の絆は更に深まる。新たな登場人物も加わって、ますますにぎやかに。

<登場人物>
堀田サチ:古書店主堀田勘一の妻で、76歳で死去。
堀田勘一:<東京バンドワゴン>の三代目店主。
堀田我南人<ガナト>:勘一、サチの息子。伝説のロッカーと言われている。
堀田藍子:我南人の娘。古書店のカフェを経営。
堀田花陽:藍子の娘。中学生になる。
堀田 紺:我南人、秋実の息子で藍子の弟。フリーライターをしながら家業を手伝う。
堀田亜美:紺の奥さん。藍子と一緒に古書店のカフェを切り盛りする。
堀田研人:紺、亜美の息子。
堀田 青:父は我南人。母は池沢百合枝。
堀田みすず:青の奥さん。花陽とは異母姉妹。
マードック:堀田家の近くにアトリエを持つイギリス人。藍子に惚れている。
藤島:28歳のIT会社社長。藍子に惚れている。
池沢百合枝:大女優

<感想など>
複雑な家族構成も、周りの人々との人間関係も、今では関係図を見なくてもしっかり把握できるようになった。サチの語りが確かで、公平だからだろう。今のところ幽霊であるサチの存在を感じているのは紺と研人だけだが、そのうちに増えてきたりして・・・。そうなったらおもしろいだろうな。

今回は我南人の亡き妻秋実さんの七回忌。太陽のようだった彼女が亡くなってどれほど打撃を受けたかが、各人の口から語られる。そのうち、彼女こそ、幽霊になって出てきてくれないだろうか。是非会ってみたい人である。

タイトルの「シー・ラブズ・ユー」。一体、誰が誰を愛しているのだろう。そんな疑問を抱きながら読み進めるのも面白い。キーワードは我南人の口癖「LOVEだねぇ」。これですべてが丸く収まってしまう気がするから不思議。我南人じいちゃんだからこその効果である。

さて今回、冬の章では赤ちゃんを置き去りにする女性、春の章では売った本を買い取るおじいさん、夏の章では幽霊が見える男の子が登場。そして秋の章では警察の家宅捜索が行われる。人間関係も、登場人物たちの生い立ちも、すべてが並ではない。そんな中で深刻な出来事が次々と起こる。解決不能と思えることばかりなのに、なぜか飄々とした雰囲気に包まれて、締めくくられる。堀田家は高波に襲われるたびに皆で踏ん張って強くなっていく、一隻の船のようだ。個性豊かな船員たちがそれぞれの役割をしっかりと果たし、どんな荒波でも耐えうる船に築き上げていくのだ。

ドラマ化を意識した構成である。気になるのはキャストだが、私の中では池沢百合枝は吉永小百合さんで決まり。堀田勘一には伊東四郎さんが重なる。堀田青や藤島さんはイケメンということで、色々な顔が浮かぶ。我南人の「LOVEだねぇ」を違和感なく言える俳優さんとは?やはりミュージシャンでなければね。

続編も楽しみだ。

台湾人生

20100711

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   著 者: 酒井充子

   出版社: 文藝春秋

   刊 行: 2010年4月







<内容・感想など>
ドキュメント映画『台湾人生』の内容を書籍化したもの。それぞれが語る日本語にはほとんど手を加えず編集したという。日本語だからこその真実味、重みが伝わってくる。鑑賞からかなりの時間が経過しているが、読むうちに各人の顔と背景をはっきりと思い出した。映画の感想は、こちらです。

インタビューを受けるのは、映画と同じ、次の方々である。

陳 清香(チン・セイコウ)さん・・・台湾人による政治を目指す。
蕭 錦文(ショウ・キンブン)さん・・・台湾総督府、ニニ八記念館でガイドを務める。
宋 定國(ソウ・テイコク)さん・・・日本人の恩師の墓参りをする。
塔立國 普家儒漾(ダリグ・ブジャズヤン)さん・・・議員を務めていた。
楊 足妹(ヤン・ツィーメイ)さん・・・昔はコーヒー園で、今は茶畑で働く。

最近戦争を扱った映画、本と接する機会が多い。映画『トロッコ』では『恩給欠格者』の通知を受け取ったお年寄りが憤りを語る。また小説『永遠の0(ゼロ)』では元特攻隊員たちが、戦争の残酷さ、理不尽さを吐露する。自分を含めた戦後世代の知らないことがいかに多いかを思い知らされる。

『台湾人生』の作者、酒井充子氏は、台湾の九份で出会ったお年寄りが流暢な日本語を話すのを聞いて、そうした方々が歩んできた道のりに興味を持ったという。そして取材を重ねるうちに、知らないでは済まされないことが次々と現れ、それらを形にして残そうと考える。戦争を知らない世代は、こうしてきかなければ何もわからない。そうした意味で、戦争を語ってくださる方々は非常に貴重だと思う。

日本の戦前教育を肯定的にとらえる見方には、正直なところ、不思議な感覚を覚えた。自分の親世代は戦前の教育を否定して今日まで生きており、私はそんな親の意識に影響を受けている。つまり、親の見方が私にとってはすべてだった。しかしこうした本を読むと、別の観点があることに気づく。そして場合によっては見方を変える必要も感じるようになる。

日本による植民地化と、国民党による支配。台湾の人々は外部の圧力によって、言葉の自由さえ奪われてきた。受難の日々はまだ終わっていない。そんな事実を突きつけられた作品だった。




少年往事

20100710

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2003年/香港/1時間28分(台湾版DVD)
監 督  陳健忠
英 題  Memory of the Youth
出 演  翟天臨  馬曉倩

<あらすじ>
舞台は1928年の青島。13歳の少女、方憶琳(馬曉倩)の腕白ぶりには誰もが手を焼いている。そのせいか、彼女は転校を繰り返していた。ある日、憶琳は培理中学のキャンパスでケースに入ったバイオリンを拾う。持ち主を探しているうちに、彼女は「七大金剛」と称するいたずら仲間たちとすっかり意気投合。やがて持ち主の堯永諾(翟天臨)とも出会う。培理中学が気に入った憶琳は、女子校を勧める母親の反対を押し切ってここに入学。バイオリニストを目指す永諾と、ヨーロッパ放浪を夢見る憶琳は、仲がよすぎて、周りから何かと冷やかされていた。永諾は、一流のバイオリニスト、唐遠驥に弟子入りしたいと言う。憶琳と永諾は唐を探しに出かける。

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クロッシング

20100706

     crossing2.jpg

2008年/韓国/1時間47分(劇場で鑑賞)
監 督  キム・テギュン
英 題  CROSSING
出 演  チャ・インビョ  シン・ミョンチョル  ソ・ヨンファ
     チョン・インギ  チュ・ダヨン

<あらすじ>
北朝鮮の炭鉱の町。元サッカー選手のキム・ヨンス(チャ・インビョ)は、妻ヨンハ(シン・ミョンチョル)、息子ジュニ(ソ・ヨンファ)と、貧しくも幸せな生活をおくっていた。ところが妊娠しているヨンハが結核にかかり、病は日に日に悪化していく。ヨンスは薬を買うために中国行きを決意し、国境の河を渡る。彼は強制送還の手を逃れ、中国の大使館に逃げ込み、脱北者として韓国へ移送される。家族を思い、労働に明け暮れながら故郷に送金し続けるヨンス。しかしそんな中知らされたのは妻の死だった。

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永遠の0(ゼロ)

20100704

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著 者:百田尚樹
   (ひゃくた なおき)

発 行:講談社(文庫)

刊 行:2009年7月
(単行本は2006年
太田出版より刊行)







<あらすじ>
健太郎は大学在学中から4回司法試験に落ち続け、26歳の今は、半ば諦めかけている。フリーライターの姉慶子は、そんな彼に、特攻隊員だった亡き祖父、宮部久蔵の調査に協力して欲しいと言う。新聞社員の高山から持ちかけられた企画だ。宮部は、6年前死去した祖母の前夫で、母清子の実父である。現在のおじいちゃんが実の祖父だと思っていた姉弟にとって、この事実は衝撃的だった。健太郎は宮部久蔵を知る人々を訪ね歩く。臆病者。勇敢なパイロット。妻子を心から愛した人。温厚。囲碁の腕はプロ級。「生還」が口癖。祖父の生きざまが次第に明らかになっていく。

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The Harimaya Bridge はりまや橋

20100702

harimayabasi.jpg

2009年/日本・アメリカ・韓国/2時間(レンタルDVD)
監 督  アーロン・ウールフォーク
英 題  THE HARIMAYA BRIDGE
出 演  ベン・ギロリ  高岡早紀  清水美沙   misono
     穂のか  ヴィクター・グランド  白石美帆  
     山崎 一  柏木由紀子  ダニー・グローヴァー
     
<あらすじ>
サンフランシスコに住むダニエル(ベン・ギロリ)は、亡き息子ミッキー(ヴィクター・グランド)が描いた絵を取り戻すため、日本の高知県を訪れる。教育委員会の職員たち(清水美沙、山崎一、misono)は、ダニエルのために車での送迎、住居の手配など、細々とした気遣いをするが、彼の日本に対する不信感はなかなかぬぐえない。やがて彼は、ミッキーが教えた中学生エミ(穂のか)を通して、孫の存在をほのめかされる。ミッキーと神前結婚式を挙げたノリコ(高岡早紀)が、一人で子どもを育てているかもしれないという。ダニエルはノリコが住む山村に向かう。

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プロフィール

孔雀の森

Author:孔雀の森
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