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シュトヘル 1~6巻

20120712

shutoheru.jpg

著 者: 伊藤 悠
出版社:小学館
刊 行:2009年~2012年

<6巻までのあらすじ>
13世紀初旬の中国大陸。蒙古軍ばかりを狙う女兵士「シュトヘル」は、その残虐な手段から人々に恐れられていた。彼女のターゲットは仲間を惨殺したツォグ族のハラバルで、まず弟ユルール(ツォグ族の中で育ったが実はモンゴルの子)に接近。しかし彼から西夏文字を習ううちに、その文字に対する愛着がわき、ユルールがかけがえのない存在になる。後に彼女はハラバルに処刑される。

現代の日本。高校生の須藤は毎夜戦場の夢にうなされて起きられず、学校も休みがちになる。ある日転校生のスズキを自宅に泊めたのを機に、彼女の導きで過去に飛び、シュトヘルの肉体に転生する。

スズキと瓜二つのユルールは「シュトヘルが甦った」と大喜びするも、別人とわかりガックリ、彼(彼女?)を「スドー」と呼ぶ。スドーは、西夏文字が刻まれた玉音同を宋まで運ぶ旅に同行するうちに、体内に宿るシュトヘルの存在が日に日に強くなっていくのを感じていた。

金国将軍ジルグスは、玉音同が蒙古軍との取引材料になると考え、ユルール一行を拘束。その間ユルールは兄以外のツォグ族が殲滅したと聞かされる。やがてジルグス、ハルバルの一騎打ちが始まる。(未完)

<感想など>
現代と13世紀の大陸とのギャップが大きすぎるのと、台詞がすぐに呑み込めないのと、場面展開が早すぎのとで、1度読んだだけでは理解不能。そこで通して2回読むことに。

自分が日常使っている文字が滅びるなんて、考えたことがあっただろうか。他国の文字を抹殺しようとする背景を、理解することなどできるだろうか。答えはどちらも「否」。時代ものに触れる機会が多い中、文字をテーマとした作品はこれが初めてだ。

物語はシュトヘル(スドー)、ユルール、ボルドゥ(元西夏番学院の官僚)を主軸に、ハラバル、旅の途中で出会うアラビア商人、ユルールの実父とされる大ハンらが脇を固めながら進んでいく。西夏文字を守ろうとするのが、その国と敵対するモンゴルの少年で、彼に影響を与えたのが西夏人の異母というのが、特筆すべき背景と言えそうだ。わずか10歳の少年の、文字を守り抜こうとする意志には圧倒される。

「シュトヘル」が文字の存在を知り、覚えていく過程にも興味をそそられる。私からみれば、物心ついたときから習得すべきものだった文字。あるのが当たり前で、そのありがたさなど考えたこともなかった文字。だから、亡き友の名を文字で書ける彼女の喜びや、伝達手段として尊ぶ姿勢には、あらためて教えられた気持ちだ。

一方で、西夏の文字を滅ぼそうとする大ハンの背景もまた過酷で、想像に絶する思いだった。背中に一生消えない文字を焼き付けられ、その屈辱から残虐な殺戮を開始した状況からは、文字の持つ力を考えさせられる。まるで「文VS武」の物語に見えてくる。

さて、ユルール一行は無事に成都までたどり着けるか、というのが目下の関心事。だが障壁は無数にありそうだし、たどり着いてそれで完結というわけでもないだろう。スズキは今どうしているのか。スドーの中のシュトヘルはいつどのように出現するのか、大ハンとユルールの対面はいつ?新たな登場人物は?などなど興味は尽きない。ともかく次回の展開を期待して待つとしよう。

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刺客列傳

20100911

cike.jpg

作 者:阬光民〔台湾〕
出 版:2006年3月
言 語:繁体字中国語
出 版:人類智庫股份有限公司(台湾)

<内容・感想など>
『史記』中の「列伝二十六―刺客列伝」を漫画化したもの。目次は次の通り。

刺客壹 曹沫(そうかい)
刺客貳 專諸(せんしょ)
刺客参 豫譲(よじょう)
刺客肆 聶政(じょうせい)
刺客伍 荊軻(けいか)

春秋戦国時代の匂いに包まれた本!! 各エピソードの前ページには篆書で書かれた名前と匕首の絵が載っていて、興味をかきたてられる。武器や甲冑、鼎などの道具や人々の服装は、色使いも渋くこの時代を髣髴とさせる。筆で刷いたようなタッチが、人々の気迫を高める効果をあげている。そして極めつけは刺客たちのかっこよさ!!鋭い眼差しと鍛え抜かれた肢体がまぶしい。各人物について、もっとよく知りたくなった。

最初は曹沫。表紙絵の一番上。5人のうち唯一、物語中で命を落としていない人である。魯国の将軍として斎国と戦うが敗戦を重ねるばかり。ついには領土の割譲を迫られる。その盟約の最中、何と彼は斎の桓公に匕首をつきつけ、領土の返還を求め、これが成功するのである。大勢の敵兵を飛び越え、桓公の後ろにピタリとつく曹沫は、まさに英雄!「魯国民の代表として礼を言う」とは、なんとしゃれた言葉か。濃い眉の下に光る切れ長の目に射すくめられた。

次は專諸。横顔で縞模様の布を巻いた人物である。兄弟で王位を継承していた呉国では、三男の王の死後、その息子僚が即位する。これに不満を持った長男の息子、公子光は、王位を簒奪すべく画策。臣下の子胥は專諸に呉王僚の暗殺を依頼する。子胥は專諸の家族に資金面で援助し、「恩人」の立場になって、專諸や家族が「断れない」状況を作ってしまう。家族よりも義を取るとは…。專諸は風来坊の雰囲気。どちらかといえば子胥の方が男前。銀髪で鼻梁が通り、紫の衣を羽織った彼はきりっとしている。しかし最後魚の中から取り出した匕首に專諸の顔が映し出されたとき、やはりヒーローは彼だと思った。

三人目は豫譲。左下の、髪の長い人物である。晋で不遇だったとき智伯に仕え、高く評価されたものの、智伯は趙襄子に滅ぼされる。豫譲は智伯の敵討ちを目的に囚人となって労役につく。この漫画では、近づいてきた趙襄子の腕に、豫譲が筆を投げ、突き立てる様子がダイナミックに描かれている。意外にも趙襄子は豫譲の主君への忠誠心に鑑みて釈放。その後、豫譲は路上で再び趙襄子暗殺の機会を狙うが、殺気を感じた馬が嘶いたことで見つかってしまう。豫譲は、趙襄子が脱いだ衣に剣を突き立て、亡き智伯への面目が立ったと感謝の言葉を述べる。そして自らを斬る。仇同士が感情を通わせている点が、他の物語と大きく違うと思った。

四人目は聶政。右下の斜に構えた人物である。彼は殺人を犯したために母、姉と共に身を潜めて生活していた。韓の厳仲子は、そんな聶政に大金を渡し、政治上の仇である宰相侠累の暗殺を依頼する。しかし二度と殺人はしないと心に決めた聶政はこれを拒否。やがて、やむにやまれぬ事情から聶政は殺人を犯してしまうが、厳仲子は聶政を罪に問わないことで彼に恩を売る。聶政は厳仲子の意思どおり侠累を暗殺。その後身元がわからないように自身を切り裂いて死去。その死体が晒され、身元が分かった者に多額の懸賞金が掛けられる。やがて聶政の姉が名乗り出て、自害する。利用された聶政、されに彼の姉が哀れでならない。漫画には聶政の淡い恋心が描かれており、そのときのかわいらしい彼が忘れられない。

最後は荊軻。上から2番目の髪を伸ばした人物。始皇帝暗殺を試みたことで知られている。「風蕭蕭兮易水寒、壮士一去兮不復還(風蕭々として易水寒し、壮士ひとたび去ってまた帰らず)」の有名な句は作者の後書きで紹介されている。友人田光、将軍樊於期の自害に後押しされるように、荊軻は秦に乗り込む。彼の目はいつも上目遣いで殺気が漂う。暗殺失敗までの経緯はスピード感あふれ、見ているこちらの心臓はずっとバクバク状態。荊軻から逃げ惑う始皇帝は、ただの髭面のおっさんだ。同行した秦舞陽が落ち着いていたなら…と思わずにはいられない。ところで高漸離の顔が何潤東(ピーター・ホー)そっくり!!先日のドラマ『荊軻傳奇』でこの人物を演じた役者だ。

漫画と後書きを何度か読んで、作者の思い入れの深さがよくわかった。歴史に対する造詣も深く、各人物に息を吹き込む作業を楽しむ姿勢がうかがえる。

これがアニメ化したら(していたら)買ってしまうかも!!

走向春天的下午

20100527

  zouxiang.jpg

著 者:幾米(ジミー)〔台湾〕
出 版:2010年1月
言 語:繁体字中国語
英 題:One More Day with You
出 版:大塊文化出版股份有限公司(台湾)

<内容・感想など>
子供が描いたと思われる女の子の絵と、「維亜」という親友にあてた手紙から、最初は、主人公が維亜ちゃんに会いに行く物語だと思った。麗らかな、浮き足立つような春の午後。遠いのだから気をつけるようにと家の人から注意を受けて、主人公は愛犬の阿吉を連れてルンルン!と家を後にする。この「阿吉」、中国語音では「アジー」だが、どうしても「アキチ」と読みたくなる。アキチ、アキチ、アキチ、アキチ…。私の頭の中では完全に「アキチ」となった。

続きを読む

星空

20100515

xingkong.jpg
 著 者: 幾米(ジミー)〔台湾〕

 出 版: 2010年1月(初版は2009年5月)

 言 語: 繁体字中国語
 
 英 題: The Starry Starry Night

 出 版: 大塊文化出版股份有限公司(台湾)







<あらすじ>
主人公の「私」になったつもりで書いてみました。想像を交えています。
以下は完全なネタばれです。

続きを読む

躱進世界的角落

20100514

  著 者:幾米(ジミー)〔台湾〕

  出 版:2009年12月(初版は2008年9月)

  言 語:繁体字中国語

  英 題:How to Own a Corner

  出 版:大塊文化出版股份有限公司(台湾)







<内容・感想など>
タイトルから内容を想像してみる。
ええっ、“世界の片隅にかくれんぼ”~?
まさかお子ちゃまの夜逃げではあるまいな~
子供が親に黙って汽車やバスを乗り継いで
見知らぬ土地へ行ってしまうお話?
飛躍しすぎかと思いつつ読み始めたが、
あながち間違いでもなさそうだ。
ここでの「世界」は子ども自身の心の中。
まず、ひねくれ小僧っぽい男の子がぶつぶつ言いながら
階段を上がっていく。
すると突如タイムマシンの入り口みたいな穴に吸い込まれる。
次の瞬間視界は真っ暗に。見返し2ページが黒一色なんて、
初めてだ。
そして突然視界が開ける。以降、それぞれのページに、
それぞれの子供たちの世界が映し出されていく。

今回の作品は、色彩のインパクトが強烈だ。
敷き詰められた若葉。黄緑に彩られた草地、藍色の中に
ぼうっと光るオレンジ色、
真っ赤な背景ににょきにょき伸びる花、深緑色のトンネルのような世界、
真っ暗な中に浮かび上がる隕石…。
前半は明るい色彩で鮮やかに、後半は暗い色調で幻想的に、物語は進む。
子供たちについては、数回登場する子もいれば、一回だけの子もいて、
主人公ははっきりしない。
でもいろいろなことをつぶやく男の子が中心のようだ。
また、海と陸を隔てる壁に沿って歩く女の子も気になる存在である。

自分の世界は、夢の中、読書、映画鑑賞など、人それぞれだと、
その男の子は言う。
それなら、大人の私もしょっちゅうその世界に入っているではないか。
ブログを書いている今が、まさに夢の中だわ。
(タイトルが「夢の国」だもんね。)
大人なら現実逃避と言われそうだが、逃避してしばらく
自由で楽しい時間を過ごすのは大事なこと。
登場するのは子どもだけだが、彼らの世界には大人の自分も
行ってみたいものだ。

裏表紙の後書きで、ジミー氏はこう述べている。
「自分の心には子供が一人いる」
そしてその子の呼称は「她」である。
やはり娘さんを念頭においているのだろうか。
登場人物は可愛く描かれているわけではない。
かなり突き放した見方をされている。
わが子と距離を置く観察眼は、作家として必要なのかもしれない。

話は変わって。
遠い遠い昔の夢。舞台でスポットライトを浴びて煌々と輝く、
巨大なチョコレート。
その壁面には某菓子メーカーを示すローマ字が深く掘り込まれてある。
幼い私は、その物体をただ見上げるだけで、食べたくても手が届かない。
ジミーさん、いつかこの光景を描いてくださいませ~

幾米故事的開始

20100509

    jimigushi2.jpg
著 者:幾米(ジミー)〔台湾〕
出 版:2009年9月(初版は2008年2月)
言 語:繁体字中国語
出 版:大塊文化出版股份有限公司(台湾)

<内容・感想など>
副題は「創作10年特別企画」。絵本作家ジミーの生い立ちや関係者の言葉、創作活動10年の軌跡が綴られた本。自伝、随筆、評論的要素が強いが、ほとんどのページに絵が添えてあるので、画文集のジャンルに分類した。表紙は、アトリエで制作に集中する横顔と、3匹の白兎が組み込まれた図柄。真摯な姿に遊び心が見え、好奇心をそそられる。

まずジミー氏が絵本作家として活動する前の履歴が語られる。幼い頃から描くことが好きで美術系の大学に進学。卒業後は広告会社に勤務し、やがて独立。挿絵画家として仕事を始めたとのこと。これだけ読むと、夢を叶え順調な人生を歩んでいるように思える。しかし突如襲いかかった病魔が、ジミー氏の人生を大きく変える。私が目にした絵本はすべて、闘病を経た40歳以降に描かれた作品であることがわかった。

各作品の解説を読んでようやく、以前不思議に感じていたことの謎が解け、理解がより深まった気がした。例えば『微笑む魚』で男性が空にぽっかり浮いている絵。魚になったのか?ならばどうしてなのか?という疑問は今まで置き去りのままだった。ジミー氏は白血病で無菌室に隔離されていたときの自分を水槽の魚に重ね、最後大海に放された状況を描いたのだという。

死の恐怖と闘った経験が新たな発想、発見をもたらし、創作意欲が高まったとのこと。もし病気にかからなければ、全く違う作風になっていたかもしれない。運命、人生の転機というものを、あらためて考えさせられた。

ジミー氏は大人が楽しめる絵本を念頭に創作しているのだという。人々がたくさん描かれている絵には、必ずといっていいほど、これまで発表した作品に登場するキャラクターが隠れている。そうした緻密な絵を描くのはたいへんだろうという意見に対しては、そんな遊びが好きだから、と返す。読者を楽しませることを喜ぶ、作者の姿勢を感じた一言だった。

『向左走・向右走』の解説では、主人公たちの行動範囲を示す地図が紹介されている。左に向かう彼女の動線は赤の矢印で、右に向かう彼の動線は緑の矢印で示され、アパートを中心に彼らが立ち寄った場所が描かれている。この地図を見るだけで物語がよみがえってきた。互いにこんな近くにいながら会えなかった偶然が面白い。雨水で電話番号がにじんだメモについては、実際に数字を書いた紙をぬらして実験を繰り返したとのこと。作者の緻密な計算が読者を楽しませてくれている、と思うと、ますますその「計算」に興味がわいてくる。

ジミー作品が好きな理由の一つとして「上から目線ではない」ことが挙げられる。最近読んだ『我的錯都是大人的錯』は反省を促す内容だったが、上から言われている感覚はない。登場人物の女の子による鋭い指摘は、彼女自身の素朴な疑問や率直な感想である。命令ではないからすんなり受け入れられるのかもしれない。ちなみにこの作品には娘さんの気持ちが反映されているとのこと。今度読んだらまた別の見方ができるかもしれないと思った。

最後のQ&Aには、絵本作家ジミーをより知るためのキーワードが散りばめられている。おそらく超多忙の日々を過ごしているのだろう。市場を意識せざるを得ない創作では、プレッシャーもあるようだ。健康に気をつけ、マイペースで、創作を続けていただきたい。

幾米『我的錯都是大人的錯』

20100408



 著 者:幾米(ジミー)〔台湾〕

 出 版:2007年

 言 語:繁体字中国語

 英 題:Don’t blame me,it’s not my fault

 出 版:大塊文化出版股份有限公司(台湾)






かなり前に購入しながら放っておいた本。
まずタイトルにドキリとさせられた。
「アタシがこんなにグレちゃったのも、ぜ~んぶ大人のせいなんだからね!!」とも受け取れる。(ちょっと勝手すぎやしないか?)
やがて、一人の女の子が長いテーブルの前にポツンと座っている姿が飛び込んでくる。もじゃもじゃ頭にひよこを飼い(笑)、目を下に落とし、浮かない顔をしている。
「誰にでも間違いはある。だからみんな反省して、二度と間違いはしないと誓う。けれども…」
「もし私が期待にそえない子どもになってしまっても、それでも私を愛してくれる?」
これ以後、いろいろな人(子)がいろいろなことを言う。
歴史上の人物の言葉もある。
最後にはあの彼女が再登場。今度は少し笑みを浮かべている。
途中、どんな問答があったのだろう。

登場人物はほとんどが子どもだ。でも年齢は不詳。
思い返せば、ジミー作品に登場する子どもたちは、ほとんどが心に何かを抱えているように見える。

ある所では大人と子どもの違いが描かれる。
大人は夢と現実を分けて考えるが、子どもはそんなことは世界で一番つまらないと思っている。
そこには、三日月をバックに孫悟空が柿の木から下りてくる姿が見える。
どういう意味だろう。

またある場所では衝撃的な説が流れる。
流星はお空の○○○だって!
ええっ!!! 誰が考えたの?そんな説。
暗い空を見上げている女の子。
かたわらには枝の広がった木と、ピンクの豚さんの姿。

こんな疑問の声も聞こえてきた。
大人は童話を作り話と知りながら、なぜ子どもにそんな「うその話」を聞かせたがるの?
子どもが聞いて喜ぶだろうと思うからかな。
いや、ほんとうは、自分が楽しんでいるのかもしれない。

また、こんな説もある。
大人はよその子を「過保護だ」と笑いながら、自分の子を過保護にする。
これは何となくわかるなあ。(笑)

私は親の立場だが、よその子も含め子どもが苦手である。
立場に関わらず、子どもを好きな人も、苦手な人もいると思う。
ここに登場する子どもたちは、ほとんどがいわゆる「子どもらしい子ども」ではない。
大人が期待するような子どもではない、ということだ。
手探りで子どもと向き合おうとする大人が創造した子どもの姿とも思える。
それが真の姿かどうかは別にして、こうして悩める大人がいると思うと、ほっとする。

最後は、冒頭の女の子をまるごと受けとめる形でしめくくられ、安心した。
表紙の子の上目遣いは「こっちを向いて!アタシ(ボク)を愛して」のサインだろうか。


池田理代子『ベルサイユのばら』

20091116

前回の「最後の恋 ~つまり、自分史上最高の恋。~」から、
オスカル&アンドレ
マリー・アントワネット&フェルゼン

を、連想したのでした。『ベルサイユのばら』に登場するこの2組は、
まさに上のタイトルにぴったりの大恋愛をみせてくれます。

先日図書館で見つけ、読みふけったのが、この『ベルサイユのばら完全版』。
             
             刊 行:2009年2月
             出版社:集英社
             巻 数:全9巻

窓つきの表紙、カラーの挿絵が、とてもゴージャスです。
このセットのうたい文句は下記の通り。
* 週刊マーガレット掲載時のカラーページ完全再現
* 単行本未収録の扉絵ギャラリー掲載
* 池田先生自ら監修・着彩した扉絵・本文ページ
* 月刊Jam掲載の外伝『名探偵ル・ルー編』も読める!


ページをめくるうちに、いつしか夢中になっていた中三の頃に戻っていきました。


そして翌日にはこちらのセットを購入。


 刊 行:2009年8月(第57版)
 出版社:集英社(文庫)
 巻 数:全5巻




三十数年前、受験勉強に突入したころに『ベルばら』と出会いました。
ベルばら好きの友人たちとのお喋りは、学校で、交換日記で、とめどなく続きました。
クライマックスの台詞は暗記できるほど読み込み、ブラウスの袖のふくらみや、
目の中に煌く星まで、はっきりと脳裏に刻み込まれたほどです。
中学卒業と同時にこのブームも自分の中で自然消滅したかのようでした。
それが今、あのページを開いた途端、当時の感動がそのままよみがえってきたのです。

今回は新たな発見(以前気づかなかったことに気づいただけですが)がありました。

① オスカルは享年33歳。(1755年12月に生まれ1789年7月に逝去)
中三当時気づいていたらショックだったかも。30代以降はみんなおじさんおばさんに
みえましたから。
奥手でどぎまぎする彼女は、かなり可愛いと、今回あらためて感じました。

② 出動前夜オスカルと一夜を共にしたとき、アンドレの目は見えていたのでは?
窓辺にたたずむオスカルの、霧がとりはらわれたようなタッチの絵は、アンドレの視線で
描かれています。あのときだけ視力を回復していたと信じたいです。

③ マリー・アントワネットに関してはその時々の年齢が記されていますが、オスカルに
ついては誕生と逝去の年月日しか記されていません。

終始、年齢不詳のイメージを通したかったということでしょうか。

あの頃はオスカル一筋でした。
でも今回は、当時脇役に過ぎなかったアンドレが、とても大きくなって再登場!!
厳然とした身分制度が存在した18世紀のフランス。平民として貴族に仕えた彼は、
生活に困ることはなくても、常に身分の違いを意識せざるを得ない状況でした。
アンドレの人生の大半はオスカルと共にあります。
2人は主従関係にありますが、アンドレは配下であってもオスカルに遠慮などしません。
「影」の立場ながら(そうであるからこそ)主張すべきところはしっかり主張し、
隊長であるオスカルをしっかりとリードしていきます。
今回惹かれたのは、彼のそうしたはっきりとした態度でした。
終盤のアンドレは視力が失われていくにつれ、感覚が鋭敏になっていき、独特の陰りが
出てきます。この雰囲気のあるアンドレが素敵!

文庫版より大型版の方が、圧倒的に迫力があります。
また図書館へ行こうっと!


グ印亜細亜商会

20091114



著 者:グレゴリ青山

刊 行:2003年5月

出版社:旅行人








<内容・感想など>
先日読んだ『ブンブン堂のグレちゃん』が面白かったので、同じ作者のものを、と思い
購入。
イラストや写真がたくさん掲載されているエッセイです。
大きな本屋さんで店員さんに訊いたところ「コミックエッセイのコーナーにあります」
とのこと。
コミックエッセイ…。カテゴリはどうしようか…。
作者は画家で、イラストや写真、手書き文字が半分を占めているので、「絵本・画文集・漫画」
としました。

最初の「六十年代のアジアもっこりヘア」では、『花様年華』のマギー・チャンと
トニー・レオンのイラストがノスタルジックな香を醸し出しています。
ふくらませたヘアスタイルが流行していたという年代。
さらに60年代の香港、台湾、タイ、マレーシア、インドの、そして若尾文子さんの
「もっこりヘア」を紹介しています。
『花様年華』観賞時には、トニー・レオンのポマードで光る頭の方が印象に残っていました。
今度観る機会があれば「もっこりヘア」にも注目してみましょう。
これは作者のマニアックな世界の入り口でした。

上海の懐メロテープや旧い漫画雑誌、さらに日本の上海ソングの紹介記事からは、
自分が以前読んだ小説や観たドラマなどの光景が浮かんできます。
さらに話題はインド、ミャンマー、タイの歌や映画へと移っていき、私にとっては
すべてが知らないことばかりなのですが、語り口調とディープな絵に引き込まれて、
何となく追体験しているような気分になってきます。

最後は台湾の画家陳澄波氏のエピソード。たまたま日本で鑑賞した絵に惹かれ、
台北市立美術館へ。
そこで陳氏の人生に触れてますます惚れこんでご子息に会いに行くまでの心の動きを
綴っています。
作者の思い入れと俊敏な行動からは、一途な情熱と同時にその心を見る冷静な眼も
感じられました。

作者の集めた本、ポスター、チラシ。さらに描いたたくさんの絵や撮影した写真で、
かなりディープな展覧会が開けるのではないでしょうか。

なんだか不思議世界に迷い込んだような時間を過ごしたのでした。

ブンブン堂のグレちゃん

20091106


著 者:グレゴリ青山

刊 行:2007年9月
    (2003年古書情報誌『彷書月刊』連載分
     +書き下ろし)

出版社:イースト・プレス







<内容、感想など>
職場の方に借りて読んでいくうちに、どうしても手元に置きたくなって、
とうとう買ってしまいました。
大きな本屋さんで探すのに苦労した、貴重な一冊です。

副題は「大阪古本屋バイト日記」。
80年代半ば、著者18~19歳当時にアルバイトをしていた古書店周辺のドラマを、
50ほどのマンガと12のコラム、さらに著者自身の絵や写真で、紹介しています。
場所は大阪の古書店街。入札に関する裏話も興味深いです。
読みながら無性に行きたくなりました。

著者は、作中では「グレ山グレ美」の名で登場、愛称は「グレちゃん」。
昼は古書店「ブンブン堂」で働き、夜はデザイン専門学校に通う、頑張り屋さんです。
表面的には「ゆるキャラ」ですが、古書店主から仕事のイロハを教わる様子、
他店が工夫しているところ(掃除用具、補修用具など)を観察する眼からは、
真摯な態度がうかがえます。

グレちゃんの眼から見た古書店街には、個性的な店舗と人々がひしめきあって、
とってもエキサイティング。
ブンブン堂のご主人、息子のブン蔵クン、隣のラタラタ書店さん、ポンポン書房の佐藤さん。
その他、大勢の方々がグレちゃんの前に現れます。
私の目から見たら、きっと皆さんごく普通の方なのだと思います。
でもグレちゃんの遊び心と鋭い観察眼が入り込むと、ご主人は主役(グレちゃん)を
食うほど濃い存在で、ブン蔵クンはプラモ狂で、ラタラタさんの髪の毛と心はいつも
飛んでいて、佐藤さんは突然女優になり…という具合に、それぞれの本質(?)が
露呈するのです。

さてグレちゃん自身はどんな顔をしているのでしょう。
漫画では横に広い鼻、点のような目、分厚い唇が強調されていますが…。
写真を拝見したくなりました。

10代のグレちゃん、30代後半のラタラタ書店さん、40代の佐藤さんの3人が
京都へ行くお話。
はたから見れば一緒にいるのが不思議なくらい「違う」3人だそうですが、
甘味屋さんではお喋りに熱中。話題は「シブい趣味」。
それぞれ古本屋さん勤務だけあって、レトロな人や物に夢中になるのだそうです。
その気持ち、私もよくわかるなあ。

グレちゃんは時々妄想の旅に出るようです。例えばフランス文学者の生田耕作氏。
いつも黒いマントを羽織って登場しますが、そのたびに「実際は着ていません」との
但し書きが。グレちゃんの中ではマントを着ているイメージなのだそうです。
その感覚もよくわかる! 私も自分の中だけで勝手に描いている人物像があります。
また、歩きながら小説の世界に入っていったり、一人で会話してニタニタしたり…
危ないぞ、グレちゃん。でも私もそういうことがよくあります。 私こそ危ない!

ちょうど私が中国へ行った1987年、グレちゃんは鑑真号で中国へ行ったのだとか。
もしかしたらどこかですれ違っていたかも!!
興味深いのは、大連の古本屋さんの写真。
中国での2年間、古書店の存在を知りませんでした。知っていれば行ったでしょう。
自分の興味ある場所をかぎつけて足を運ぶグレちゃん。そういう嗅覚と行動力、
私も持っていたいです。

何回読んでも笑える一冊です。

 
プロフィール

孔雀の森

Author:孔雀の森
いろいろな出会いを
大切に♪

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