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大唐游俠傳 上・中・下

20140915

作 者:粱羽生
出 版:2010年8月
(原作連載は1963年~1964年)
言 語:繁体字中国語
出 版:天地圖書有限公司(香港)

<あらすじ>
玄宗皇帝治世の唐代。義兄弟の段珪璋と史逸如は同じ日に父親となり、生まれたばかりの男児と女児の婚儀を決める。ところが史逸如が安禄山の手下に殺され、妻と女児は行方不明に。重症の段珪璋は南霽雲や皇甫嵩の助力で回復、妻の竇線娘を追う。しかし竇線娘の兄弟は殺され、男児は空空児に連れ去られてしまう。竇線娘の兄に育てられた鐵摩勒は、王伯通への復讐を誓う。

7年後、鐵摩勒は壮健な青年に成長。官吏の秦襄を救った時に王伯通の息子王龍客と娘王燕羽に捉えられる。しかし鐵摩勒に好意を寄せる王燕羽により解放。以後摩勒は、敵なのに想いがつのる王燕羽と、周囲が決めた許嫁(いいなずけ)韓芷芬との間で苦しむ。そんな中、彼は皇帝の護衛を仰せつかる。

玄宗皇帝の死後、世の中はさらに混迷を極める。追われる身となった鐵摩勒は、安禄山の副将だが正義を貫く聶鋒の世話になる。そこで出会ったのが故史逸如の妻と娘。未亡人盧夢蝶は「薛紅線」と名を変えた娘(本名は史若梅)の乳母として生きていた。

<感想など>
図書館で借りた上、中、下の3冊をようやく読了。と言ってもいつものことながらわかるところだけの「飛ばし読み」である。しばらく前、中巻を返して下巻を検索すると、珍しく貸出し中だった。借主は中巻の存在を知らず上下巻を借りたらしい。下巻をリクエストするとすぐに連絡があった。会ったこともない「大唐游俠傳」の読者さんにちょっと親しみを感じた。

さてその中身。面白かった~。白髪魔女伝よりずっとワクワクドキドキ感がある。ふがいない玄宗皇帝のもとで跋扈する安禄山らと、民衆を守ろうとする游侠らの戦いを軸に、ラブロマンスも織り交ぜて一気に読ませてくれる。正義の側に立つ男たちの骨太な描写からは、その姿が目に浮かぶようだ。若い鐵摩勒もいいが、中年の段珪璋、南霽雲はもっといい!!

そんな正義の味方とは対極にいる、邪悪な爺様方も、実は好みである。(笑)なぜか応援したくなってしまうのだ。若者に負けるな!と。(笑)例えば羊牧勞。鐵摩勒にとっては父鐵崑崙を殺めた敵である。憎々しい爺だが、対決が先送りになることを、ひそかに願っていた。

王伯通の場合は、終盤改心してびっくり。武侠作品では、悪役が反省する例は少ないのでは? もちろん反省とか改心など、正しい道を求める心は大切。でも悪をとことん貫く愚かさもアリではないかと。もっとも、王燕羽の気持ちを考えれば、ホッとする展開ではあった。

他にも心ときめく人物といえば、皇甫嵩、轉輪法王、秒慧師太、展大娘、韓湛…と、年配者の名前が思い浮かぶ。こんな風に見ていくと、高齢者の占める割合が大きい物語であることに気付く。そして、体力も精神力も若者を上回る。恐るべし、武侠小説のご老人!武侠小説の特徴と言えるだろうか。

覇気のある女性陣もステキ。悪辣な展大娘でさえ、とんがった言動に惚れ惚れとしてしまう。けれども私の中での一番は何と言っても王燕羽。鐵摩勒への想いを果敢な行動で表し、最終的には自分を心から愛する展元修と結ばれる。邪悪な父と兄に翻弄されつつ善行を積んだからこそ、幸せがめぐってきたのだ。ほかにも、竇線娘、夏凌霜、韓芷芬ら、強い女性たちの戦いぶりは見事。金弓名人竇線娘の戦法は、ぜひ実写で観たい。

段珪璋と竇線娘の息子段克邪も10年後に姿を現し、短い間だが親孝行をする。夏凌霜は夫南霽雲の死後、双子とお腹の子を1人で育てていくことになる。何とも悲しい話である。武侠小説に登場する若者には、片親だけ、あるいは両親とも不在のケースが多い。その背景がわかる展開だった。

次はこの続きの「龍鳳寶釵緣」をじっくり読むことにしよう。
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しあわせ中国 盛世2013年

20130227

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原 作:陳冠中『盛世 中國,2013年』2009年刊行
監 修:辻康吾
訳 者:舘野雅子 望月暢子
刊行年:2013年10月
出版社:新潮社

<あらすじ>
舞台は近未来(2009年からみた2013年)の中国。作家の陳は、久しぶりに会った友人の方草地が「1か月がなくなった」と言うのを不思議な気持ちで聞いた。次に会った韋希紅(通称“小希”)は、陳がかつて心を寄せていた女性で、今は母親と食堂を切り盛りしている。一人息子の韋国は大学院生で共産主義青年団に所属。小希との間には深い溝があるようだ。大多数の国民が幸福感に満たされている中、彼女の心には憤懣があふれ、ネット上で過激な発言を繰り返していた。陳は彼女に心を動かされ、共に人生を歩みたいと思うようになる。

<感想など>
「盛世」のスタートは2008年ごろ。その直前の一か月は、国内が荒れ、厳罰が多く適用され、ひどい状況だったのに、「盛世」が始まった途端、みなその時のことをすっかり忘れてしまい、すっかり幸福感に浸りきっている。そういえば六四天安門事件を語るものもいなくなり、下の世代は事件さえ知らないありさまだ…。

といっても、本書はあくまで虚構であると作者も言うように、これをそのまま中国の実態として鵜呑みにしてはならないだろう。しかし発禁処分を受けたという帯の文面には、秘匿案件が隠されている感があり、好奇心をそそられる。また、実際の事件や実在人物が数多く描かれているので、どうしてもドキュメンタリーのように映る。「謎めいた国」の先入観や、「近未来」2013年の設定、昨今の日中関係などから、出来事の一つ一つがリアルに響いてきた。ほんとうに「1か月なくなった」と信じてしまいそうだ。

主人公の「陳」は著者を連想させるが、方草地や小希をはじめ、韋国、ギター弾きの張逗、党中央政治局委員の何東生らの語りにも、著者の意思が入っていると思う。小説上の「陳」は大多数の国民同様幸福感を抱いているが、体制に反発感を持つごく一部の人々と接する中で、次第に疑問を持つようになる。それでも最後まで彼は、幸福感と危機感の間を行き来して、自分の立ち位置を結論付けるまでには到らない。そんな曖昧な終わり方からは続編が連想されるが、続編というのはつまり、今現在からみた近未来。作者の意図をますます知りたくなる。

人の感性や考え方が、いとも簡単に左右されてしまう恐怖。自分もまた「盛世」の幸福感に浸りきっている一人では?と思うと、よけいに背筋が寒くなってきた。「せいせい」と「へいせい」って、何だか語感が似ているようで…。

これを読んでいる最中、たまたま神保町で原書を見つけて買ってしまった。
オックスフォード大学出版社による繁体字版。

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艾米『山楂樹之恋』

20110611



著 者:艾米(エイミー)
出 版:2010年10月(初版は2009年12月)
言 語:簡体字中国語
出 版:江蘇人民出版社(中国)

<はじめに>
著者艾米(エイミー)はアメリカ籍の華人で、文筆活動の開始は2005年。物語は、主人公の回想録を著者が脚色した形をとっている。ネット上でたちまち話題となった本作は張藝謀監督により映画化され、日本でもまもなく公開の予定。また王珞丹、李光潔主演のドラマも制作されている。ドラマでは主演の年齢(役柄との開き)が気になるが、李光潔の老三は見てみたい。書店できれいな装丁の本を見つけて即購入。手元には『山楂樹之恋Ⅱ』(続編ではなく全く別の話)もあり、これを書き終わったら読むつもりでいる。
まずは忘れないうちに登場人物を書きだしておこう。

静 秋:主人公。1974年当時高校生。
老 三:本名は孫建新。調査隊の一員。静秋の恋人。
長 芳:西村坪で世話になった家の娘。静秋の親友。
長 林:西村坪で世話になった家の息子。静秋のことが好き。
大 媽:西村坪で静秋を世話する婦人。
銅婆婆:姓はおそらく「童」。静秋と一緒に労働する老女。
万昌盛:日雇い労働者を振り分ける男。
弟媳婦:静秋の同級生で本名は李坤明。母の李主任は業者に労働者の斡旋をする。
成医師:静秋にとって理想の男性。
江先生:成医師の妻。静秋にアコーディオンを教える。
張 一:静秋の元同級生。
小 周:本名は周建新。付家冲での労働で出会った青年。
静秋の母
静秋の妹

<簡単なあらすじ>
1974年、静秋ら校内から選ばれた高校生たちは、教材編集のために西村坪という農村に派遣される。静秋が滞在した家庭には、調査隊の一員である孫建新という青年がよく出入りしていた。彼は家族の一員のように慣れているので、長男、次男の下の「三男坊」と呼ばれている。静秋は建新に惹かれながらも、6~7歳年上の彼に警戒心を抱いていた。文革のさ中、「地主」の父と兄は農村に送られ、教師の母は「資本家の娘」として糾弾され、静秋の家は貧困にあえいでいた。静秋はその出自を恥じていたが、建新は彼女の文才や容貌、様々な能力を褒め励まし続ける。そんな彼に、静秋はだんだん心を開いていく。彼女が聞き取り調査を終えて学校に戻ってからも、二人は母親らの目を盗んで逢っていた。ところがある日見つかってしまい、しばらく交際しないことを約束させられる。

<感想など>
純愛か純愛ではないか。そういう話題も聞かれるようだが結果的には「純愛」だろう。終盤に差し掛かった時、純愛ではないと思わせておいて、最後の最後で「どんでん返し」の衝撃を食らう。もしこれがなければ常套的な話に終わっていたのではないか。

女性の気持ちや生理現象が詳細に綴られている。面白いのは月経を「老朋友」と表現していることだ。中国では日常的にこの言葉を使っているのだろうか。主人公の容貌についても、美人で、胸が大きいとか、足が小さいとか、かなり具体的に描かれている。また勉強がよくできて人の面倒見がよく、卓球やバレーボールが得意で、編み物や裁縫の腕も抜群、となれば、今でいう「万能な模範生」である。彼女の姿が脳裏に浮かんでくるようだ。ところが時は文化大革命の時代。父母の糾弾や家の貧困に直面している彼女は、目立たないように、警戒しながら日々を送っている。せっかくの才能も開花させるチャンスがない。

そんな静秋の心を少しずつ開いていくのが「老三」である。彼は口下手ではない。何とか気を引こうと、あの手この手で彼女に迫る。静秋ははじめのうち、騙されているのではないかと警戒する。しかし思い返せば、最初に好きになったのは彼女の方なのだ。アコーディオンの音色に魅せられ、その弾き手を見た瞬間、いや見る前から恋に落ちていた。(と解釈していいだろう)

彼女は老三が大好きだ。でも「男は狼」と刷り込まれた頭は、本能に忠実な行動を許さない。その上彼の父は解放軍所属で、両家の階級(家柄)は全く違う。彼女は考える。自分は農家の息子である長林と一緒になった方が、親は安心するのではないか、と。今の時代、自分の思うようには生きられないのだから…。序盤で二人はサンザシの木の下で口づけをかわすが、これは老三の一方的な行動だった。本能ではこの行為を受け入れたいのに、頭がこれを阻止している。

彼女は老三に許嫁がいると聞いてひどく動揺する。嫉妬心と警戒心のはざまで揺れ動く心が、甘酸っぱさを伴って響いてきた。作者の繊細な筆運びに乗せられているのがわかる。彼女の方も老三をやきもきさせる。長林は静秋のために尽力。彼の母は息子の嫁になってほしいと積極的に迫る。「弟媳婦」は静秋に仕事を紹介する。張一は、静秋にセクハラ行為をした万昌盛を殴る。小周は静秋を何かと気遣う。彼女を取り巻く男性たちを見ると、老三は平静ではいられなかったはずだ。

ところで、彼は殉職だという。彼の業務をはっきりと描いていないので明らかではないが、病気との因果関係が濃厚のようだ。今大きく報道されている事故との関連を考えずにはいられない。

本作は静秋の主観が中心だが、老三主体の物語ならどうなるだろう。彼が静秋に居場所を告げず、密かに彼女の姿を見る様子などはすべて彼の弟の話だが、思い浮かべると目頭が熱くなる。

出会い、惹かれ、誤解し、すれ違い、抱擁し、別れ、探し、想い合い、そして再会する。ベタなラブストーリーの要素てんこ盛りで、早く先が読みたくなる展開だ。実は誘惑に負けて終盤を先に読んでしまった。でもその時点ではどんでん返しに気づかなかった。よかった、気づかなくて。

映画とドラマを是非観たい。

兄弟

20110523

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著 者:余華
出 版:上巻:2005年8月 下巻:2006年3月
言 語:簡体字中国語
出 版:上海文芸出版社(中国)
日本語版:上巻『文革篇』下巻『開放経済篇』訳者:泉京鹿

<はじめに>(完全なネタバレです)
著者は、張芸謀監督作『生きる』の原作者。10年ぶりに発表した本作は、中国で大ベストセラーになったという。日本語翻訳版はすでに文庫化されており、訳語を確認するためにも読むつもりでいる。
物語の時代は1960年代半ば、文化大革命が始まる頃から、2005年反日運動が起こる時期までの約40年間である。舞台は上海から長距離バスで数時間の、江南地方の小さな町。著者の故郷の浙江省だろうか。
まずは忘れないうちに登場人物を書きだしておこう。

李光頭:主人公
宋 鋼:李光頭より1歳上の義兄
林 紅:李光頭の初恋の女性 
劉作家:作家
趙詩人:詩人
陶 青:李光頭の元上司
宋凡平:李光頭の継父 宋鋼の実父
李 蘭:李光頭の実母 宋鋼の継母
童鉄匠:町の鍛冶屋
余抜牙:町の歯科医
王冰棍:町のアイスキャンディー売り
小関剪刀:町の研ぎ屋
張裁縫:町の仕立て屋
蘇 媽:食堂(点心の店)のおかみ
蘇 妹:蘇媽の娘
周 游:商売人

<簡単なあらすじ>
李光頭と宋鋼は再婚した両親と共に貧しいながらも幸せな日々を送っていた。ところが文化大革命が始まってすぐ、父は地主として糾弾され惨死、母は2人が10代半ばの時に病死する。以後兄弟は離れた時期もあったが、やがて助け合って生活するようになる。実直な兄宋鋼とは対照的に、弟の李光頭は町のはみ出し者だ。彼は町一番の美女、林紅に何度も求愛するが激しく拒絶される。後に宋鋼の方が林紅と結婚し、兄弟は絶縁する。
役所を解雇された李光頭は廃品回収業に身を転じ、その利益は年々上昇の一途をたどる。彼は豊富な資金で次々と新たな事業を展開し、ついに町一番の大富豪に。一方、宋鋼、林紅夫妻の生活は困窮していた。宋鋼はリストラされた上、体を壊す。林紅は上司によるセクハラに悩まされるが生活のため我慢していた。宋鋼はついに出稼ぎを決意。商売人周游について福建省、広東省、海南島を巡る。

<感想など>
1960年生まれの作者は、主人公と同年代と思われる。前半には、激しい貧困、親との永遠の別れなど、一生分の苦労を経験したような兄弟の姿が、時には痛々しく、時には力強く描かれる。2人は実の兄弟ではないが、互いを思いやり、絆を強めていく。それは再婚した父母の人間性によるのだろう。両親は深く愛し合い、尊敬し合い、それぞれが相手の連れ子にも実子同様の愛情を注ぐ。父の不屈の精神を引き継いだのが弟、母の細やかな性質を引き継いだのが兄とも思え、血のつながり以上に深い信頼関係が伝わってくる。彼らの幸せが一瞬のうちに理不尽な嵐で壊される様子は、読んでいて本当につらい。

兄弟のキャラクターは全く違う。慎重な兄とそそっかしい弟。大人しい兄と活発な弟。わずか7歳で性に目覚める弟に対し、兄は奥手(というより普通)である。いつしか兄は弟に逆らえない状況となる。とはいっても弟には兄を支配しているつもりはない。兄も弟と一緒にいるのが楽なのだ。しかし、いつしかその密接な関係は終わりを告げる。林紅が兄弟を引き裂いたと言っても言い過ぎではないだろう。でも彼女を責めることはできない。好きな女性と結婚して精神的に満たされながらも坂を転げ落ちていく兄と、多くの女性と関係を持ち大富豪になるが恋愛できない弟。さてどちらが幸せだろう。最後はそんな問いかけも聞こえてくるようだ。

2人を取り巻く登場人物もキャラクターが際立っていて面白い。
劉作家と趙詩人は、兄弟が7、8歳のころすでに中学生。李光頭を散々苛めていたが、いつしか立場は逆転する。李光頭の付き人的役割を与えられ経済的に潤う劉に対し、趙の方は生活に恵まれない。劉も趙も、荒波に翻弄されるたびに大樹を頼る、小人物の代表に感じられた。

街の職人たちは、初めて李光頭に投資したときに大損する。その苦い経験から、二度目の投資に際しては、する者としない者に分かれるが、これが生活上の明暗を分けることとなる。ただ経済的に潤う者が必ずしも幸せとは限らない。遠い地で行商生活をする小関剪刀は、貧しくても奥さんとの丁々発止のやり取りを楽しんでいる。世界中を飛び回る余抜牙が、見識が広そうで実は踊らされているさまは、滑稽に映る。十人十色の人生模様がドラマチックだ。

物語をけん引するのは、李光頭の傑出したキャラクターといえるだろう。背が低くピカピカ頭。その容姿はすぐ脳裏に浮かべることができる。幼くして生き抜く術(すべ)を体得し、年長者とのやりとりでも決して怯むことなく、常に挑む姿勢で臨んできた李光頭。殴られても起き上がる。圧力をかけられても下がらない。そんな継父譲りの粘っこさが結果的に成功(と言えるかわからないが)を導いたのである。こんな風に書くと彼がいかにも正義の人に見えるが、正義とは遠いところにいる人物だと思う。善も悪も一手に引き受けて、必要に応じてそのカードを切る、駆け引きの人である。

奇抜なエピソードが次から次へと現れて飽きさせない。しかし同時に、女性を使った過激な場面に、反感も覚えるのである。美処女コンテスト。処女膜販売に群がる愚かな女性たち。林紅が襲われて女性としての快感に目覚める場面。いずれも好奇心を刺激させるのに格好の材料だが、誇張が過ぎて嫌悪感が残った。これも作者の想定内だろうか。

李光頭も林紅も、かけがえのない人間を死に追いやった罰として、もう二度と、太陽の下を歩けなくなった、という結末である。売春宿の女将になった林紅に対し、李光頭は宇宙に宋鋼の遺骨を撒きに行こうとする。もしや自分も宇宙の藻屑になろうとしていないだろうか。

物語に引き込まれると実写版を想像するものだが、これに限っては映像で観たくない。
賛否両論渦巻いているというのが、よくわかった。

春風沈醉的晩上

20101115

<はじめに>
映画『スプリング・フィーバー』中の朗読を聞き、郁達夫の本作品を読もうと思い立った。朗読されたのは物語の半ばとラスト部分で、パンフレットには訳文が載っている。1923年に書かれた本作品は10ページ余りの短編。孫文の広東政府が成立して2年たった頃だ。

タイトルに関する一節は、パンフレットに次のように紹介されている。

“こんなやるせなく春風に酔うような夜は、私はいつも明け方まで方々歩き回るのだった”
「春風沈酔の夜」郁達夫 (以上引用)

春風に酔うとはどんな感覚なのか。映画鑑賞後で、かなわぬ恋に悩んでいる主人公の姿を想像してしまった。(実際読んでみると違ったが)

<あらすじ>
〈私〉は上海の貧民窟で翻訳原稿を書いているが、筆は思うように進まず、日々生活苦にあえいでいた。あるとき階上に住む少女が食料をくれる。その少女、二妹は、自室を出入りするのに〈私〉の部屋を通らなければならず「いつも迷惑をかけているから」と言う。〈私〉は、彼女がたばこ工場に勤務していること、元は父親と暮らしていたがその父が故人となったことを知り、以来言葉を交わすようになる。ところが夜の散歩を始めてから彼女の態度が急によそよそしくなる。〈私〉は、ようやく入った稿料で菓子を買い、二妹と話をする。なんと彼女は、〈私〉が夜中に悪者と関係しているのではないかと疑っていたのだ。

<感想など>
映画の内容とは全く違うが、どうしても映画と比較する目が働いてしまう。例えば『スプリング・フィーバー』で衣料工場に勤務するリーと、本書の二妹が、搾取される立場である点で共通していると思えてくる。

また、タイトルの『春風沈醉的晩上』は、〈私〉が真夜中から明け方にかけて街をうろつきながら感じる状況を表している。その散歩によって、春夏の季節の変わり目に病んでいたひどい神経症が、だいぶ解消されたと書かれてある。劇中、宵闇で悩みぬいている男たちと、夜ふらふら出かける〈私〉とが、重なって見えた。〈私〉がいる場所も、映画の青黒い世界と同じ色で塗られているのではないか。

そして、久しぶりに外出して太陽の光を浴びて大汗をかく〈私〉と、アロハシャツの襟元に刺青をちらつかせて歩くジャン。いずれも、真っ暗闇から突如光の中に躍り出た、という感覚だ。トロリーバスの運転手に怒鳴られても大笑いする〈私〉と、新たな恋人を見つけたジャンには、明るさが漂う。もっとも、本書のラストは再びどんよりとした暗闇に戻ってしまうのだが。

先日読んだ同作者の『遅桂花』とも比較しながら読んだ。共通していると思ったのは女性観。どちらも、主人公が相手の女性に対し憐憫の情を抱き、一瞬恋をする。しかしすぐにこの感情を戒める。いずれも、女性の過酷な現実に対する批判と、感じられた。

全体的に、憂い、やるせなさが漂う作品。
機会があれば、〈私〉がうろついていたあたりを、同じようにうろついてみたい(笑)

郁達夫について検索していくうちに、こんな作品があるのを知った。
こちら→『チェリー・ブロッサム』
郁達夫をチョウ・ユンファが演じているらしい!!
ご本人の顔とはだいぶ違うようだが、何となくその様子が思い浮かんだ。
チョウ・ユンファって、どんな人物も、自分色に染めながらも本人との違和感を感じさせず、演じきってしまうのではないだろうか。
チョウ・ユンファが気になる今日この頃♪である。

遅桂花

20101113

著 者:郁達夫
所 収:中華現代文選 上冊
出 版:上海教育出版社
言 語:簡体字中国語
刊 行:1985年8月

<はじめに>
本書は、80年代後半杭州で学んでいた頃教材として使用していた短編集。序文には「中国文学を学ぶ外国人向けに編集した」とあり、訳注も充実している。目次には郁達夫のほか、魯迅、柔石、老舎らの名もある。この『遅桂花』、授業で扱ったのは最初の数ページのみ。先生が「地元杭州が描かれているから興味があったら最後まで読んでみて」と言ったのを思い出した。

郁達夫(1896~1945)は浙江省富陽県出身。東京帝国大学(現東京大学)卒業後、創作活動をしながら北京大学、広州大学で教鞭をとる。志賀直哉、井伏鱒二、林芙美子らとも交流があったという。先日読んだ金子光晴の紀行文にも上海で郁達夫と談話したエピソードが載っていた。スマトラで日本の憲兵に殺害された話には胸が痛む。

<内容・あらすじ>
30ページ強の短編小説。最後に1932年杭州で書いたとの記述がある。
二部構成の前半は、主人公《郁先生》あての手紙文。差出人は友人の翁則生である。後半は《郁先生》が翁則生の家族と交流する場面が描かれている。タイトル《遅桂花》は遅咲きの金木犀という意味。

翁則生は郁が日本に留学していたころの同級生。肺結核のため勉学を断念、帰国する。彼は婚約解消の辛い体験を経て、現在、母、妹と杭州に在住。ようやく結婚が決まったとの嬉しい報告に、郁は早速上海から杭州に向かう。

杭州到着後、郁は則生が住む翁家山に向かう。途中で金木犀の香が漂ってきたが、この季節にしては遅いなと感じる。

郁は翁則生の家で旧交を温める。母親も妹の蓮も大喜びだ。則生の結婚準備が着々と進む中、蓮は元気がない。彼女は一度結婚したがその生活は苦労の連続で、夫の死後実家に戻っていた。郁は蓮に五雲山を案内してほしいと頼む。

<感想など>
月夜の静謐な雰囲気と、山間部に漂う濃厚な匂い。主人公と同じ空気を吸っているような気分になった。前半の手紙に綴られている友の苦悩と喜びが、郁先生の「会いたい」気持ちに拍車をかける。自然の風景に、苦労を経た家族たちの笑顔が溶け込んで見える気がした。

物語の中心は、郁と蓮が山間部を歩く場面だろう。彼は蓮の自然に対する博識に敬意をおぼえ、彼女をじっと観察する。天真爛漫な振る舞いの中に女性らしい物腰。ふと外国の小説に登場した主人公の女性たちと重ね合わせ、彼女たちの顛末がいずれも不幸だったのを思いだす。このとき郁先生は蓮の手を握り「1分間」見つめていた、とあるが、1分って、相当長い時間だなと思いながらこの場面を繰り返し読んだ。中国語では「過両天」を「2~3日後」と曖昧に表現することもあるから、ここも曖昧に「相当長い間」と解釈した方がいいのか。それともほんとうに「1分間」? 彼女の方も恥ずかしがりもせず彼の顔を見ていたとあり、いよいよこの2人の間は恋に発展するのか?と期待してしまう。

おそらく、郁は彼女に恋心を抱いたのだろう。でも、ここには書かれていないが彼は妻子ある身。彼は蓮に考えていたことをすべて話し、思わず涙してしまう。そして彼女に恋情を向けた自分を激しく責める。彼女の方も郁を好きなのだろう。彼の言葉を聞いた後、懐に飛び込んで泣く。で、そのあと2人の関係は意外な方向に発展する。

「義兄妹の誓い」である。以後2人は「蓮」「大哥」と呼び合う仲に。気持ちの切り替えの早さに驚くとともに、純粋な気持ちの尊さ、相手に対し真摯な態度で臨むことの大切さも感じた。たった1日だが2人の変化は大きい。

『遅桂花』は遅咲きだが第一弾の花より開花期間は長いとのこと。郁は新郎新婦への祝いの言葉でこの例えを使う。実はこの『遅桂花』は、翁則生、母親、蓮、そして自分に対する言葉でもある。

郁と蓮の歩みを目で追ううちに、懐かしい光景が広がってきた。銭塘江のさざ波や、西湖一帯の静かな風景、龍井茶の芳しい香り。そのうち『遅桂花』の季節にかの地を訪れ、2人の足跡をたどってみたい。

龍一『潜伏』

20091110

               

               著 者 : 龍一
               言 語 : 簡体字中国語
               刊 行 : 2009年3月
               出版社: 百花洲文芸出版社(中国・南昌)

<内容・感想など>
10の短編小説が収められており、表題の『潜伏』は最初の作品。
本の帯で、孫紅雷(スン・ホンレイ)、姚晨(ヤオ・チェン)主演のドラマを宣伝し、
全頁左上には小さく、孫紅雷演じる主人公の顔が映っている。
ドラマでは20ページほどの短編を全30回にふくらませてあるようで、おもしろそうだ。
いつか観たいものだ。
ドラマの情報はこちら→ドラマ「潜伏」

そしてつい先日映画化の情報を目にした。情報はこちら→映画「潜伏」
主演は梁朝偉(トニー・レオン)と舒淇(スー・チー)が有力とのこと。
(11/11追記:その後の報道でまだキャストは決まっていないとの監督コメントがありました。)

原作は、国共内戦時、国民党特務機関にスパイとして潜入した共産党員余則成の物語である。
共産党側は彼の履歴をすべて作り変えた上、農村の女性翠平を彼の妻と決める。
独身者よりも妻帯者の方が、疑われにくいからだという。
翠平は身だしなみに気を使わず、タバコの臭いが体に染み付いている上、言葉遣いが悪い。
ベランダで彼女が灰皿として使っているのは、彼が大事にしていた硯だ。
そんな「妻」を、余則成はもてあます。
なぜ君が諜報員の妻として選ばれたのか、という問いに、彼女はこう答える。
「私が文字を知らないからよ」
2人は上司夫妻の信頼を得るが、常に監視され、危機に陥ることも。

2年の共同生活で、彼らは夫婦の営みを行わない。
しかし別れの場面では2人の情が伝わってきて目頭が熱くなった。
最後、翠平の諜報員としての活躍を思い浮かべると切なく、やりきれなさを感じる。

舒淇は、野卑な姿も着飾った姿も想像できて、翠平役にぴったりに思える。
梁朝偉については、原作の主人公よりだいぶ年長であるところが気になるが、
現代も映し出すとすれば適役だろう。

今まで読んだり観たりした国共内戦の物語では、敵方の国民党を非難するものが多かった。
しかしこの作品には、国民党や国民党員を非難する展開はない。
共産党と国民党は、あくまで味方、敵方の関係として描かれている。
そうした扱い方は、映画『戦場のレクイエム』やドラマ『特殊使命』と共通している。
物語では、主人公余則成がずば抜けた忍耐力で、諜報員としての任務を全うする姿を通し、
共産党に対する限りなく高い忠誠心を賞賛する。
やはり共産党を誇りとしていることに変わりはない。
相手を落とさず、味方を高い境地に引き上げる手法だ。

彼は諜報員として選ばれた時点で、平凡な人生を放棄している。
夫婦と言えども、妻翠平には情を持たせないように、また自身も持たないように、
感情をコントロールし、これをやり遂げた…はずだった。
最後の最後で、翠平に『必ず戻ってきて』と言わせてしまうのだ。計算外である。
彼は揺れる。しかしきっぱりと『戻れない』と言うのだ。
後年、作者の前に現れた余則成は、30年後(70年代末か80年初頭)にようやく
国民党から離れたと語る。
彼がどれだけ辛酸を嘗めてきたかは、想像を絶する。

さて、映画では原作で余則成が語る「翠平死亡説」を否定してくれないだろうか。
作者、龍一氏の希望的観測を是非とも実現してほしい。
2人が劇的な再会を果たす場面を、今から妄想している私である。(笑)

三国志三昧

20090409

年度始めで慌しい中、時間のあるときは三国志を開きます。
2種類を平行して読んでいるので混同することもしばしば。

さて、だいぶ前に読み始めたのが、下記の立間祥介訳『三国志演義』。

三国志演義 上・下(中国古典文学大系 26・27巻)
原 作:羅貫中
翻 訳:立間祥介
出版社:平凡社
刊行年:1984年(初版は1968年)



只今下巻第68回を亀の歩みのようにゆるゆると読んでいます。
1冊に60回分が収められ、2段組で500ページ以上。なかなか進みません。
赤壁はすでに過去の出来事になりました。

現在、呉軍の甘寧と凌統が仲良くなった場面です。
(昔、甘寧が凌統の父を殺したため凌統は彼を親の仇として憎んでいた。
しかし今回凌統は甘寧に命を助けられ、一転して甘寧は大恩人となる。) 
ひょっとして『レッド・クリフ』で中村獅童演じる「甘興」は「甘寧」のことではないでしょうか。
「甘寧」の字(あざな)は「興覇」で、よく「甘興覇」と呼ばれます。覇気のあるキャラクターもそっくり!
この回で甘寧も好きな人物の一人になりました。

挿絵は中国の本からの抜粋と思われ、人物たちの目はひゅっと線を引いたように切れ長です。
中国のにおいがするこういう人物画、好きです。

訳文は古典的な中にテンポのよさがあって、胸に心地よく響いてきます。

一方、電車ではこちら↓を携帯。

完訳三国志(全8巻)


原 作:羅貫中

翻 訳:小川環樹・金田純一郎

出版社:岩波書店(文庫)

刊行年:1988年(改訂版第1刷)
     〔初版は1982年岩波書店刊の全8巻〕

只今2巻目の25回に入ったところです。
諸葛孔明はまだ登場せず、孫権の兄孫策が生きています。つまり「赤壁」よりもずっと前。
挿画は葛飾戴斗による『絵本 通俗三国志』からの抜粋で、なるほど浮世絵風。
ぎょろっとした眼に圧倒されます。
翻訳は古典的でなじみの薄い言葉が所々に見られますが、親しみやすいです。(ちょっと矛盾?)
1巻目の後書きに、正史『三国志』との比較について述べた文があって興味がわきました。
実際の劉備玄徳は勇猛で智謀に長けており、彼の「徳」は演義で作られたとのこと。
思い返せば、北方謙三著『三国志』では、関羽や張飛が劉備に「徳」のイメージを持たせるような筋書きになっていました。
北方氏は正史も念頭に置いて書いていたのでしょうか。

2冊とも『レッド・クリフ』とは遠い所を読んでいますが、登場人物のイメージはあの役者たちです。
やはり映像の影響は大きい!!
そして「赤壁の戦い」は、数ある山場の中でも一番臨場感のあるところだと思います。
赤壁以後は何だか風船がしぼんでいくような感覚になるのよね~

『レッド・クリフ PartⅡ』が楽しみです♪


井波律子訳『三国志演義』全7巻

20090104


 原 作:羅貫中

 刊行年:2003年

 出版社:筑摩書房(ちくま文庫)






図書館の返却期限を気にしつつ、マイペースで全7巻を読み終えた。
今、充足感で胸がいっぱいである(笑)。
というのも、最近これほど長編の物語を読み切ったことがなかったし、
かなり複雑な内容で、理解するのに時間がかかったからだ。
1冊読むのにエンタメ系小説の倍は時間がかかったと思う。
7巻の内容はだいたい次の通り。

続きを読む

三国志あれこれ

20081206

『レッド・クリフ』の鑑賞以来、いろんな『三国志』を引っ張り出しては読んでいます。
気になる人物に会うため途中から読んだり、突然ラストを読んでみたり。
著者、訳者の好みが登場人物のキャラクターにも反映されるようで、私自身ずいぶん影響を受けました。

映画鑑賞前に読了した北方謙三著『三国志』では、猛々しい男たちの世界にどっぷりつかりました。
特に魅力的だったのが、呂布、張飛、馬超孟起。
中でも若い時代の馬超には『グリーン・デスティニー』のチャン・チェンが重なり、
これ以外のキャストはありえん!と、のめりこんでしまいました。
ドラマを観たら、きっとそちらの影響も受けるでしょう。

井波律子訳『三国志演義』では馬超がどう表現されているかと読み進むと、
第1巻第10回にこんな文章が…。
「冠の玉(ぎょく)のような顔(かんばせ)、流星のような眼、虎の体に猿の臂(うで)、豹の腹に狼の腰をした若い将軍が…」(以上引用)
な、なんだ、この比喩は。精悍な風貌でたくましい体つき、ということでしょうか。
やっぱり『グリーン・デスティニー』のチャン・チェン!
「演義」の中には超常現象もみられますが、それが全然不思議ではありません。
これをベースにした創作(映画、小説、漫画など)が現実離れしていても何ら問題はないと思いました。
さてこの『三国志演義』には訳者による詳細な注があり、歴史的事項、当時の役職など、知りたい情報満載です。
それを読んでいるとなかなか先が進まないのですが、注を読む「脱線」も楽しいものです。

 好きな場面をチョイスして見ているのが、横山光輝著『三国志』全60巻の漫画本。
 とにもかくにも、諸葛孔明がすばらしい!八面六臂の大活躍です。
 横山三国志のファンである友人は息子に「孔明」と名づけたほど。
 その気持ちはよくわかります。
 いちばん現実的に見えるのはこの三国志かも知れません。



岩崎書店刊『三国志絵巻』は、中国の作家(王 矛、王 敏)、画家(孫 彬、張奇駒)の手による絵本(あづまたつお訳・全12巻)です。
全ての漢字にルビが降ってあり、子ども向けに作られたと思われますが、
小学校中学年くらいだとわかりにくそうです。
人物の顔はみんな一様に見えるし、文章にも硬さが見られます。
私は、ページをめくっていくうちに中国的世界にずぶずぶ入りこんでいきました。
一枚一枚の絵の色使いや、能面の下に隠された人物の感情に、刺激を受けます。
特にのめりこんでしまったのが、赤壁後の劉備と、孫権の妹との関係の描写。
果敢な彼女に魅了されました。

いろいろ読んでいくうちに、男臭さムンムンの世界にあますぎる恋バナは不釣合い、と思えてきます。
『レッド・クリフPART1』のラブシーンに対する違和感は、こういう感覚からきているのかしら。

ところで、映画で諸葛孔明クンが持っていた羽の団扇。これは漫画にも絵本にも登場します。
PART2ではあの団扇がキーポイントになりそう…というのは考えすぎ?
まさかあれで風を起こして…なんていうのも考えすぎ?(そんなのどこの本にも出てこなかったけど)
はやくPART2が見たい!その前に私の妄想は膨らむばかりです。
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孔雀の森

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いろいろな出会いを
大切に♪

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